第13話 事実が二つあると、人が死ぬ
郡司は三日後に部屋まで来た。
アポイントの電話が前日にあった。断ったがそれでも来た。断りましたと言うと、彼は「伺いますとは申し上げました」と答えた。役人の日本語だった。
彼は靴を揃えて上がり、卓袱台の前に正座した。座布団は使った。
榛名は部屋の隅で膝を抱えて座っていた。
「まず、誤解を解かせてください」
郡司は鞄も開けずに言った。
「私どもは、超常現象を扱っておりません」
「じゃあ何を」
「記録の不一致です」
彼は畳の縁を指で示した。
「たとえば、ひとりの人間について、生存と死亡の両方の記録が残ったとします。国はどちらかを選ばなければなりません。年金を払うのか、払わないのか。遺産を分けるのか、分けないのか。保険金を出すのか、返させるのか。裁判をするなら、原告は生きているのか、死んでいるのか」
「それは事務の話でしょう」
「事務の話です」
郡司は頷いた。
「事務の話が、人を殺すことがあります」
※
彼は湯を勧めても断った。何も口にしない人だった。
「昭和五十四年に、私どもの前身がつくられました。当時は法務省の一部局です。理由はある土地の登記が二重になったことでした」
「二重に」
「同じ番地に、まったく異なる所有の記録が二系統ありました。どちらの書類にも改竄がなかった。役所の人間が四人、それを見て四人とも違う説明をした」
畳の目を彼の指がなぞる。
「そのとき初めて国は気づいたのです。事実というのはひとつに決まっていて、それを我々が見つけるものだと思っていた。ところがそうではない場合がある」
「そうではない場合というのは」
「まだ決まっていない場合です」
僕は膝の上の手を握った。
「ご存じですね」
郡司が言った。
「高梨さんは、それを勉強なさっていた」
※
彼は鞄から、あの白い紙を出した。
——事実整合に関する同意書
表題だけ大きく、あとは細かい。僕は反射的に文字組を見た。本文九ポイント、行送り十六歯。読ませる気のある組み方だった。読ませたくない書類は、もっと詰める。
「署名は要りません。今日は置いていくだけです」
「置いていってどうするんですか」
「読んでいただければ」
郡司は正座を崩さないまま、少しだけ姿勢を前に倒した。
「高梨さん。あなたは証明しようとなさっている」
僕は答えなかった。
「三十七枚のレシートも、写真も、脈を数えたことも、全部そうです。証明できれば、みんなが認めてくれると思っておられる」
「違うんですか」
「逆です」
彼の声は少しも高くならなかった。
「証明とは、他人に確認させることです。確認する人が増えれば増えるほど、多いほうの事実に寄っていきます」
「多いほう」
「亡くなったという事実です。それを持っている人間の数を、お考えください」
僕は考えてしまった。
葬儀の参列者。学校の同級生。機構の職員。市役所。保険会社。SNSの二百三十七件。三年分の、命日ごとの花。
部屋の隅で、榛名が顔を上げたのが、視界の端に映った。
「あなたが一人でお持ちの事実は、いま、非常に不安定です」
郡司は同意書を卓袱台の中央に置いた。
「触らないほうが長持ちします」
※
彼は帰り際、玄関で靴を履きながら、一度だけ振り返った。
振り返って部屋の隅を見た。
膝を抱えて座っている榛名の、ちょうどそこを見た。
三秒。
それから何も言わずに、ドアを開けて出ていった。
僕は閉まったドアの前に立ったまま動けなかった。
「透」
榛名の声がした。
「あの人、いま」
「うん」
「わたしのこと、見た?」
僕は答えられなかった。
見たのかもしれない。見ていないのかもしれない。
訊けば、どちらかに決まってしまう。




