第12話 あなたの事実を、こちらに合わせてください
駅前のロータリーで声をかけられた。
「高梨透さんですね」
六十がらみの男だった。灰色のスーツで鞄を左手に提げている。背は低い。髪をきちんと分けていて、靴が磨いてある。役所の人間だ、と直感で思った。
差し出された名刺には、こう刷ってあった。
——内閣府 政策統括官(事象整合担当)付 事象整合室 上席調査官 郡司頼三
僕は名刺の文字を三回読んだ。ゴシック体の九ポイント。行間がやや狭い。
「聞いたことのない部署です」
「新しくありません。昭和五十四年からあります」
郡司と名乗った男は、名刺を渡した左手を、そのまま鞄に戻した。
手の甲に、古い火傷の痕があった。皮膚が引き攣れて、白く、光っている。親指の付け根から手首のあたりまで。
「少しお時間を」
「命日なんですが」
「存じています」
彼は表情を変えなかった。
「だから、今日にしました」
※
駅前の喫茶店に入った。
郡司はコーヒーを頼んで、砂糖もミルクも入れずに、一口も飲まなかった。鞄からファイルを出して卓に置く。
「確認をさせてください」
彼はファイルを開いた。
「今月三日、株式会社文字座の岸田聡氏が、あなたのお宅で湯呑みの数について質問をしています」
僕はコップの水を見た。
「同日夕刻、コンビニエンスストアのレジで、肉まんの個数に不一致が生じました。POSの記録は二個、店員の認識は一個です」
ページがめくられる。
「今月十一日、中野の心療内科で、初診料が二重に計上されています。事務側は二名と認識し、あなたは一名と申告した」
もう一枚。
「あなたの財布に、二人分の決済記録が少なくとも三十七枚あります」
僕は顔を上げた。
「なんで財布の中を知ってるんですか」
「知りません」
郡司は言った。
「三十七、という数字は、決済データ側から出したものです。あなたが数えた枚数と一致しましたか」
「……しました」
「そうですか」
彼はファイルを閉じた。
閉じてから初めて僕の目を見た。
「不一致は、店にも病院にも残ります。ですが店員や事務員の記憶には残りません。彼らは一名分しか覚えていない。記録だけが二名分ある」
「それが、あなたの仕事」
「私の仕事です」
郡司は鞄からもう一枚、紙を出した。
白い紙で、上のほうに小さく罫線が引いてある。
「高梨さん。お願いがあります」
「なんですか」
「あなたのお持ちの事実を、こちらの事実に合わせていただきたい」
僕はその言い方を頭のなかで反芻した。
消してくれ、でもない。忘れてくれ、でもない。
合わせろ、と言った。
校正者の言葉だった。
「どうやって」
「難しいことは申し上げません。日常の中で、二人分を一人分にしていただく。買い物も、注文も、勘定も」
「それだけですか」
「それだけです」
郡司はコーヒーに手をつけないまま、腕時計を見た。
「ただし、私どもは効果を存じています」
「効果」
「二人分を一人分にすると、二人が一人になります」
僕はその言葉の意味を、すぐには理解しなかった。
理解しないほうがよかったのだと思う。
「お断りします」
「そうおっしゃると思っておりました」
郡司は立ち上がった。伝票を取って僕の分まで持った。
それから、椅子の脇でこちらを向いた。
「三年前」
「はい」
「あなたと同じことをおっしゃった方が、四人います」
彼はレジのほうへ歩き出しながら、続けた。
「いまは、どなたもおっしゃっていません」




