8話 お嬢様は踏みたい
床に腰を下ろした俺は両足を前に出し、両手を後ろについて真白さんを見上げた。彼女はスカートの裾を気にしながら、不安げに目線を泳がせている。
けれどその頬は、仄かな期待に紅潮していた。
「……一応聞いておくが、頭じゃなくていいのか?」
「さ、さすがにそれは申し訳ないです。……そこを踏むならせめて、お風呂に入って足を洗いたいですし」
太ももを包むタイツをギュッと掴みながら、真白さんはそう言った。色々気になるのは分かるけど、それでも男の家で風呂に入るのはどうかと思う。
「で、では……お邪魔します……」
真白さんが恐る恐る右足を上げ、俺の左足の甲にちょこんと乗せた。
遠慮がちな重みに、背筋がゾクリとする。
「黒川君?」
「いや、なんでもない。……というかさ、『お邪魔します』っておかしくない?」
「そう言われても、人を踏むときの挨拶なんて知りませんし……」
「昔見たアニメで、妹が『おはよう』って言いながら主人公を踏んで起こしてたな」
妹が天井まで届く跳躍をして、勢いそのままに両足でお腹に飛び込んでいた。現実でされたら間違いなく血反吐を吐いてしまうから真似はしないでほしいが。
「そ、それでは……えっと、おはようございます?」
足踏みするように、彼女の足が俺の身体を登っていく。
「……!」
靴下と制服の境目。俺の素肌にほんの一瞬、タイツの生地が触れる。
たったそれだけで、心臓がおかしいくらい高鳴った。
小さな、けれど確かな真白さんの身体の感触。
思わず上げてしまった視線に気付いた真白さんは、戸惑った笑みを唇に浮かべながら、小首を傾げた。
それだけの仕草がやけに煽情的に見えて、さっきからムズムズとした居心地の悪さが止まらない。
「……おはようはやめとこう。起きてはならない何かが目覚めたりしたら、困る」
「はぁ、よくわかりませんが……黒川君、踏まれて痛くないですか? こんなことをしながら聞くのもおかしな話ですけど」
「全然平気だよ。もっと強く踏んでもいいんだぞ?」
「で、でも……」
「やるならちゃんとやれよ。中途半端で不完全燃焼が一番だめだ。なにも得るものがないし、一歩も前に進めないからな」
「……分かりました。それではお邪魔……じゃなくて、おはようございますっと!」
「だから、目覚めさせるなって」
足元を確かめるように慎重に、彼女の右足が俺の膝の下まで辿り着く。
ずっと強張っていた真白さんの口元が、楽しそうに緩みだす。
いつもの上品なお嬢様の笑顔ではない、見たこともない表情。
「もっと強く、していいですか?」
聞きながら、俺の返事を待ちはしない。
真白さんの足が膝を避けようと高く上げられた瞬間、彼女の太ももが押し上げたスカートが僅かにめくれる。
流行を押さえた膝上のスカートの中で、タイツに包まれた太ももがチラリと覗く。今まで見たことがない、見せるはずもない彼女の大事な場所のすぐ近く。
俺は真白さんのもっと奥が、知りたくなって――。
「いたっ!」
太ももをギュッと踏み締められた。顔を上げると、俺を見下ろす冷ややかな視線が降り注いでいる。
「……どこを見ているんですか?」
さっきまでひらひらと誘ってきたスカートを手で押さえながら、顔を赤らめた真白さんの冷たい声。
頭に登っていた熱が、サッと下がっていくのを感じた。
「わ、悪い。つい……」
「……はぁ、やっぱり黒川君はえっちですね」
彼女の足が俺の太ももをグリグリと踏みつける。さっきより弱く、今は気持ちのいいマッサージ程度の圧だ。
怒っていても人を責めきれない真白さんが、今はひどくもどかしかった。
「もっと強く。そんな弱々しい女王様がいるかよ」
「え!? は、はい。わかりました……」
「全然だめだ。またスカート覗くぞ」
「や、やめてください。……このっ、えいっ、えいっ!」
可愛らしく声をあげる真白さんを、もっと見たいと思った。
一生懸命な姿を応援したいなんて、そんな綺麗なものではない。これはもっとドロドロとした、汚くて生々しいなにか。
子供の頃、大人の都合に合わせて演じたどの感情とも違う、未知のもの。腹の底から湧き上がるマグマのような衝動。
その正体が知りたかった。もし叶うなら、この手で触れて、嗅いで、口にして、舌の上でじっくりと転がして、味わってやりたいと思った。
まだ知らない感情。もしそれを真白さんが見せてくれるなら、俺は彼女が――欲しいとすら思えた。
「……痛くない、ですか?」
「ああ」
「もっと強くやっても、大丈夫……?」
湿り気を帯びた声が、落ちてくる。
真白さんの吐息が荒くなる。俺の股関節を踏みつける足の動きが、乱れだす。
遠慮がちだった彼女の瞳に、見たこともない情欲が鈍く瞬いていた。
「……ふふ。私、女王様に向いてるのかもしれないですね、わんちゃんを可愛がるのが、こんなに楽しいだなんて」
とろめく表情で、彼女は俺を何度も「わんちゃん」と呼ぶ。
色香を感じさせる潤んだ瞳が、面白そうに俺を見下ろしている。緩んだ頬は激しく動いた後のように紅潮していた。
彼女は自分の唇を、小さな舌を這わすように舐めた。
それはいつも見るクラスの同級生ではなく、知らない大人の女性の顔だった。
そして彼女の瞳に映る俺は、同級生なんかではなく、一匹のわんちゃんなのだろう。
「あははっ。……なんか、いいですね。私、『イケ犬』のアリスになれていますか? お腹の奥まで熱いですけど、わんちゃんもそうなのででしょうか?」
色っぽく、それでいて無邪気に彼女は笑う。激しくなってきた動きに合わせて、スカートの裾が無防備に揺れていた。
隙だらけだ。きっと気付いていないのだろう。
彼女の足が、俺の大事な場所に変な刺激を与えていることに。
「……ん? なんでしょう、硬いなにかが……」
理性が利かなかった。だからこれは当然の結果だ。
男にとって当たり前の身体の変化。それに気付いた真白さんは、ぴたりと動きを止めた。
……見られている。女子に見せるべきではない、男の生理現象を。
「……悪い」
一拍の間を置いて、彼女の足が跳ね上がった。
「――――ひゃあああっっ‼‼」
部屋の外まで届きそうな悲鳴。乱れたスカートを持ち上げるように、太ももが弾んだ。
だから、見えた。
春物の薄い生地のタイツに包まれた、純白の布。その三角の部分がしっかりと。
清楚な彼女に似合う下着。俺の腹の奥で込み上げるような衝動。
釘付けになった視線に気付いた手が、慌ててスカートを抑えた。
「……なっ、えっ……、なあぁぁぁ!」
呆然とした真白さんは、目が合うと真っ赤な顔で睨みつけてくる。
可愛い赤鬼さんだな。全然怖くない。
「み、見ましたか? いま見てましたよね!? 私のっ、ぱ……ぱぁぁっ……!」
見てないよ、なんて言うにはしっかり見過ぎた。ここは目に焼き付けたことを男らしく白状すべきだろう。
「見ました。奥の方まで、がっつりと」
「――うぅ~っ! そんなはっきり言わないでくださいよっ、バカえっちスケベ犬っ!」
「スケベ犬?」
「最低ですっ! そ、そんなところを大きくしてぇ……。急に硬い物に触れたから最初はベルトかと思ったのに……。もう……もうっ! 黒川君の変態っ!」
好き勝手言いながら真白さんは荷物を掴み、ドタバタと玄関まで転げるように駆けて行った。
一瞬後を追おうかと思ったが、さすがに前かがみのまま走るわけにはいかない。そんな姿を誰かに見られたら言い訳できないレベルの変質者だ。
「……お、お邪魔しましたぁぁ~~!」
続いて玄関の閉まる音。
さすがお嬢様だ。こんなときでも礼儀正しい。
その挨拶が俺を踏む時と同じセリフだなんて、ほんの些細なことだ。
それよりも、今考えるべきことは……。
「……明日、どんな顔して会えばいいんだ」
いつもより熱の籠もったため息を吐いて、俺は頭を抱えた。




