5話 お嬢様がなりたいもの
「……やっぱり、気になるか?」
俺の言葉に、真白さんは顔を強張らせた。
「えっと、黒川君の過去のこと、今までは小耳に挟む程度で、あまり気にしてなかったんですけど……。昨日色々あったから、改めてどんな人なんだろうって思って……見たんです。『黒川ファミリーチャンネル』……その、ごめんなさい。探るようなことして」
「別に謝らなくていい。隠してるわけじゃないから」
そもそも本名を出しているので、隠しようがない。
収益化できていたくらいだ。検索すれば母さんと小学生だった俺がいろんな企画をやっている動画が山ほど出るし、ついでに好き勝手言っている外野の言葉も嫌というほど出てくる。
有名税なんて言葉、当時は知るわけがなかった。
「当時はそこそこ有名だったし、劇団に入ってて端役とはいえ映画に出たりもしてる。言葉にすればその程度だけど、でも同級生にそういう人がいたら、やっぱりみんな気になるだろ?」
一年生のときはよく女子に話しかけられたな。当たり障りなく対応していたら飽きられたようだが、今でもたまに話題に出されることはある。
「……そうかもしれません。ですが、私はそんな興味本位で見たわけではないです……」
「ならなんで?」
俺の問いかけに、真白さんは露骨に顔をしかめ、視線を逸らした。答えづらい質問だっただろうか?
「……えっと、恥ずかしい秘密を握られてしまったので、それをネタに変なことを要求されたりするんじゃないかなって……心配になって」
「そっちの方が悪いわ」
俺をなんだと思っているのか。
「だ、だってぇ! すっごく恥ずかしかったんですよ!? 家に帰ってからベッドの上でず~っとバタバタし続けちゃうくらいには……!」
「それと俺が真白さんを脅すのとは関係ないだろ」
「SNSに写真を乗せたりすると、たまに変な人から『会いたいです!』とか、なんか……その、えっちなDMが届いたりするんですよっ! だから黒川君がそういう人だったらどうしようって思ったんです。映画でもヒロインを脅す悪者はよく出てきますし……!」
「同級生相手にそんなことするかよ! いや、見ず知らずの子でもそんなことはしないけど。……っていうか、そのSNSはDMの受信設定変えとけよ」
俺が「貸してみろ!」と手を伸ばすと、真白さんは泣きそうな顔をしてスマホを胸の中に抱え込む。
「これ以上の秘密を握らせるわけにはいきません! こ、このスマホは私以外の人が触れると爆発するアプリが入っています。だ、だから諦めてください!」
なにそれ怖い。
「ほぅ。つまりそのスマホの中には、人には見せられないえっちで変態な画像や動画がたくさん眠っている……ってことでいいか?」
「っ! そんなわけないじゃないですかっ! ただちょっといいなって思った、女王様の衣装やSMグッズの画像があるだけで……。あっ!」
「それはそれで変態だと思うが」
真白さんの頬がみるみる赤く染まっていく。瞬間沸騰器も顔負けの勢いだ。
「ぅぅぅっ……! だからなんですかっ、変態だからなんだって言うんですかっ!? また女の子の秘密を暴いて、一体黒川君は何が目的なんですっ!? 私は……真白妃奈は、決して心は屈しませんからねっ!」
「ほぼ自爆だと思うけど」
羞恥心が限界突破してキャラが崩壊してしまった彼女は、「くっ、殺せぇ」とでも言い出しそうな表情で俺を睨みつける。
これもきっと映画かアニメかの影響だろう。そういうときは何も言わずに見守るのが吉だと誰かが言っていた。
放置されればされるほど、正気に戻った後に悶え苦しむらしい。
真白さんは今夜もベッドの上で足をバタバタすることになるだろう。まぁ夜の過ごし方は本人の自由だし、俺が口を出すことじゃないよな。
「――美味しかったです。ご馳走様でした」
何事か呻いてる真白さんを尻目に箸を置いて手を合わせる。すると彼女は「はっ」と言いたそうな顔をして俺を見た。どうやら正気に戻ったようだ。
「す、すみません。私としたことが、つい取り乱してしまいました……」
「それな」
「もう……こんな自分が嫌になります。なんで私はしっかりした人間になれないんだろうって」
「真白さんはよくやってる方だと思うけど」
ここ二日間の醜態に目を瞑れば、学校での真白さんは優等生そのものだ。成績優秀で先生からの信頼も厚い。
表面的な部分しか見ていないと言われればそれまでだが、俺の知る真白さんは「しっかりしている」部類の高校生だと思うけど……。
「……今日黒川君に来てもらったのは、そのお話がしたかったんです」
「というと?」
「私は常日頃から、両親に育ててもらった恩を返さないといけないって思っています」
「……」
「それなのに……最近おかしいんです。勉強をしていい大学に入れと言われているのに、コソコソと隠れて映画を見てしまったり、素直に言うことを聞けなくなってしまって……」
真白さんの言葉が、胸の中で波紋のように広がる。
重くて、苦しい。そんなありきたりな感情に変換されていく。
「だから黒川君の動画を見て思ったんです。凄いなぁって。親の気持ちをちゃんと汲み取って、しっかり応えて、みんなに喜んでもらう。……私も、そんな黒川君みたいになりたいです。両親への恩返しができる、しっかり者に――」
「――くだらない」
つい出てしまった言葉に、真白さんは目を瞠った。
彼女を否定したかったわけじゃない。真白さんがどうなりたかろうが、それは彼女の自由だから。
俺が許せなかったのは、彼女の言葉に共感しようとする――昔の俺の、残滓だ。
「動画の中の俺は、楽しそうに見えたか?」
「……え」
「どうなんだ?」
「あ、えっと……そうですね、いつもにこにこしていて可愛いなって思いました。怒るときはすっごく子供らしく怒るし、泣くときは人目をはばかることなく泣いて――なんというか」
――自由だなって、思いました。
「……」
心が真っ黒に塗られていく。
真白さんに悪意なんてある筈がない。だって、当時の俺はそういう風に見られることを望んでいたのだから。
だから悪いのは俺だ。被害者ぶってる加害者が、俺なんだ。
「……動画さ、いつも母さんとふたりで映ってたろ? 父さんは反対してたんだ、プライバシーを切り売りして俺の将来に悪い影響があるかもしれないって。だからさ、いつも親は喧嘩してて……俺は嫌だったんだよ」
「……」
「がんばって有名になれば、母さんは喜んでくれた。収入が増えれば、父さんも何も言わなくなった。そうして喧嘩はなくなった。だからもっとがんばろうと思った。もっともっとがんばれば、今よりずっと仲の良い家族に慣れると思って」
動画で母さんが笑うことを求めたら、痛いほど笑った。泣くことを求めたら、枯れるほど泣いた。
必要なら怒ったし、喜びもした。母さんのために感情を使った。そうやって、他人に都合のいい自分を、俺は自ら作り続けた。
そんなことを繰り返して、繰り返して、擦り切れて――。
「だけど分からなくなったんだよ。自分が笑ってるのは本当に楽しいからなのか、それともそう求められてるからなのか。自分の感情は、誰のためにあるのか」
「……黒川君、昨日言ってましたよね。人の思ってることを感じやすいって」
「あの頃の癖だ。今でも相手の気持ちを察して、それに合わせたふるまいをしてしまう。だから人付き合いがしんどくてさ、自然とひとりで居ることが増えたんだよね」
ひとりが寂しくないわけじゃない。だけど、みんなに合わせることは寂しい。
集団の中で薄まっていく自分に、俺は耐えられない。
「……その――」
真白さんが何かを言いかけて、やめる。
正座した膝の上で両手でギュッと握り締め、スカートにシワを作りながら、ただ俯いていた。
俺の視線から、逃げるように。
「無神経なことを言ったと思ってるなら、気にしなくていいよ」
「そういうわけには……」
「このこと、真白さんが俺に相談してくれたのは、間違ってないと思う」
「……それは、どういうことですか?」
青い瞳が、再び俺を映した。
「今朝言ってくれたよな。俺が真白さんのよき理解者になれるって。……その通りだと思う。俺は真白さんのいい反面教師になるから」
「そんなっ! 違います、黒川君はすごい人です。私なんかより、ずっとずっと凄いって思ったんです! だから声をかけたのに……」
俺のために泣きそうな顔をしてくれる彼女を、優しいと思った。
その温かな優しさが彼女の心を凍らせるのを、俺は見たくない。
「いいんだ。俺が感情を信じられなくなってから、うまく動画が撮れなくなった。結局父さんと母さんは離婚して、俺は父さんに引き取られたけど、今は別に暮らしてる。真白さんまで俺みたいな失敗をする必要はないと思うから」
「……」
「真白さんが親に恩返しするのはいいことだと思う。でもさ、親の言うことを素直に聞けないのは、他にしたいことがあるんじゃないか?」
「したい、こと……?」
この質問はただのエゴだ。彼女が昔の自分に重なって見えたから、俺とは反対の道に行かせたくなっただけだ。
真白さんの人生に介入する気なんてないくせに――言葉を止められない。
「一般論でも、親に押し付けられた理想像でもない、真白さんのやりたいことだ。どんなにくだらなくてもいい。絶対に笑わない。否定しない。もしなにかあるなら聞かせて欲しい」
それでも、あの頃に自分が言って欲しかった言葉を、彼女に伝えた。
「私は……強い女性に憧れます。芯があって、言いたいことを言えて、決して物怖じしないような――」
明け方の海に陽が差したように、青い瞳が輝く。
桜色の唇がふわりと緩み、彼女は真っ直ぐに俺を見つめ、答えた。
「私は……強い女性に――SMの、女王様になりたいんですっ!」
「――――」
出かかった「ふざけるな」が、喉の奥に引っ込んで消えた。
それを言える自分を、俺はとうの昔に置いてきたから。
チャイムがやけに遠く聞こえる。真白さんはお弁当箱を片づけながら「もちろん協力してくれますよね?」という顔で俺を見る。
期待に満ちた眼差しに、俺は頷く以外の方法を知らなかった。




