30話 お嬢様は超すねる
放課後。教室で意識を失った俺は、保健室で目を覚ますことになった。
一応教室に戻り、妃奈が居ないことを確認してから帰宅すると……部屋の前に何かが居る。
「……なにやってんだ」
恐る恐る近づくと、扉を塞ぐように体育座りをし、膝に顔を埋めている妃奈だった。
派手な髪色も相まって、行き場のない訳アリ少女にしか見えない。悪い男が通りかかったら絶対声を掛けるだろう。
「……嘘つき」
銀髪訳アリ少女がぼそっと呟く。悪い男は俺だったかもしれない。
「……私のこと、特別だって言ったじゃん」
「いや、嘘ついたわけじゃ……」
「凛音君はご主人を捨てる悪いわんちゃんなんだ……」
今の状況だと捨て犬っぽいのはそっちだろ……なんて、さすがに言えない。
「くだらないこと考えてるでしょ。私は真剣なのに」
「なんで分かるんだよ」
「私は凛音君の主人ですもん。……捨てられちゃいましたけど」
妃奈は自分の膝をぎゅっと抱きしめる。短いスカートで体育座りって危なくない? 妃奈は顔を伏せてるし、覗いたら普通に見え――。
「……発情わんこ」
普通にバレた。スカートの中に目でもあるのか。
「とりあえずさ、家入れよ」
「…………ん」
妃奈は素直に立ち上がる。やっと顔をあげたその表情は暗く、目も赤い。
俺は気まずさを無言で噛みしめながら、彼女を部屋に通した。
「お茶飲む?」
「……あったかいのがいい」
当たり前のように注文をつけると、妃奈はクッションの上にぺたんと座った。さっきから妙に言動が幼いというか、甘えたがりになってる気がするけど、不安の現れだろうか。
チクチクと痛む胸を気にしながら、俺は台所に立った。
「……」
沈黙に電気ケトルの音を添える。使うティーパックは、妃奈が家に来るようになってから買ったものだ。
タンスの中には妃奈の女王様衣装もあるし、冷蔵庫には彼女が揃えてくれた調味料や食材が入っている。
妃奈が初めて家に来てまだ一カ月も経っていないのに、俺の家のあちこちに彼女の痕跡がある。
「……凛音君」
ケトルが一仕事終え、お湯をマグカップに移している時に呼びかけられた。
「ん?」
「授業のときにスリッパを投げてごめんなさい。……怪我しませんでしたか?」
「ああ。子供の頃から笑顔の練習で鍛えてるからな、顔は丈夫なんだ」
俺の雑な返しを聞いて、妃奈は小さくクスリと笑う。
「ふふっ。確かに凛音君って、お顔の皮が厚そうですもんね」
「誰の面の皮が厚いって?」
「だってそうでしょう。私のこと特別って言いながら、さっきは――」
声はか細く消えてしまいそうだ。見るとまた膝を抱きしめ、スカートの中が完全防備の体育座りに戻ってしまっていた。
「……勘違いしないでくれ。俺は今後も妃奈と一緒に過ごしたいと思ってる。これは嘘じゃない。俺から頼みたいくらいに本気だ」
「……」
膝に伏せた顔を少しだけあげ、ジト目の上目遣いを向けてくる。不満そうに見えて、実は次の言葉に期待している。そんなソワソワした様子に、俺は苦笑しながらマグカップをふたつ、いつものようにテーブルへと置いた。
「今日の発表は少し驚いたけど、良かったよ。堂々としてて、キラキラとしてて、尊敬する」
「……もっと言って」
「もっと? あー、妃奈の作ってくれるお弁当はいつも美味しい。今後もお世話になりたいです。妃奈が居ないと生活のレベルが全然違うからな」
「……もっと」
「他には……女王様ごっこもまだまだしたい。妃奈の罵倒も切れ味が出てきたような気がしないでもないような……うん。とにかく、まだまだ続けたい」
「えっち変態はぁはぁ発情犬」
「理不尽かよ」
「ふーんだ」
頬を膨らませながらそっぽを向いた。拗ねた子供のお手本のような仕草だ。
「凛音君のことなんか信じてあげませんもん。それならなんで保留って言ったんですか? どーせ私のこと、性欲と食欲を満たしてくれる都合のいい女だって思ってるんでしょ。あとは子守歌でも歌ってさしあげれば、三大欲求コンプリートになりますね!」
「言い方が悪すぎるだろ。……そうだな、さっき保留にした理由は……あー」
思わず言い淀む。次に続く言葉があまりにも自意識過剰過ぎて、口に出すのを憚られるのだ。
しかも相手は稀に見るレベルの美少女。妃奈の反応によっては、こっちも大きな傷を負ってしまいそうで……。
「なんですか、はっきり言ってください」
「……えっと。妃奈さ、俺のこと好きなのか? 恋愛的な意味で」
「――はあぁぁっ!?」
あんぐり開いた口から、悲鳴のような声が漏れる。真っ赤な顔で口をパクパクする妃奈に、俺は金魚みたいだなぁなんて場違いな感想を抱いた。
「ななっ、なんで急にっ、なんの話ですかっ!?」
「さっきの教室のあれさ、愛の告白にしか聞こえなかったんだよ」
「なぁっ!?」
湯だったような顔してんな。熱湯の中で金魚飼ってんのか?
「俺があそこで『はい』なんて言ったらさ、授業そっちのけでカップル誕生を祝われる勢いだったと思う。妃奈はそれでも良かったか?」
どのみちあの後に授業は無理だったろう。俺にスリッパをぶん投げた後、妃奈はすごい勢いで教室を飛び出したって聞いたし。
「あ……えっと、ええっ……それはちょっと、困っちゃいますけど……」
「だろ? 妃奈に恋愛的な気持ちはないって思ったからさ。付き合ってるなんて誤解されたくないし、保留しかなかったよ」
「むっ」
「だから妃奈と一緒に居たくないってわけじゃなく……おい、なんで頬を膨らませて睨んでる?」
「凛音君の言いたいことは分かりました。分かりましたけど、ぜーんぜん腑に落ちないんです。モヤモヤし過ぎて副流煙が出ちゃいそうです!」
「そりゃ身体に悪そうだ」
「そうですっ、心にも身体にも悪いんです! だから全部、吐き出すことにしますっ――」
言葉が切れて、一拍の間。怒っていた妃奈の頬から、空気が抜けた。
熱で浮かされたように、彼女は青い瞳を潤ませる。
ギュッと結ばれた桜色の唇が、俺を釘付けにして離さない。
たった数秒の沈黙。それが俺の体温を上げていく。
だけどその感情を……俺は今も、信じられない。
「あの、えっと……ですね。もし、もしですけどぉ……。恋愛的な意味でも……一緒に居て欲しいって言ったら、どうしますか? ほ、ほら、ここなら他の方はいませんし。誰に気を遣う必要はないですよ?」
モジモジと、期待するような目を向けてくる妃奈。そんな彼女と向かい合う俺の気持ちは……冷えていく。
ここで「はい」と言えば、俺達は付き合うことになるかもしれない。もちろん嫌じゃない。むしろ歓迎だ。今はまだ曖昧な気持ちだが、そのうち彼女を好きになると思う。
好きになった「つもり」に、なれると思う。
でも、そんなのダメだ。
俺は本当の感情を知りたい。相手に好意を持つなんて、子供の頃に劇団で散々練習してきた感情だ。
だからダメだ。俺が妃奈と付き合って好きになったとして、その感情が「本物」だと言い切れない。
それこそ妃奈の言う「嘘つき」だ。彼女に失礼だし、俺の望むところでもない。だから――。
「……保留で」
「は?」
可愛らしくテレテレしていた妃奈の顔から、すっと表情が抜け落ちる。同時に部屋の温度まで下がった気がして、俺の血の気も一気に引いていく。
「ま、まってくれ妃奈! 今のは間違い……ではないけど、言葉の綾みたいなもので!」
絶対零度の青い瞳が、無言で俺を問い詰める。
「事情があるんだ……。だからまずは話を……」
「へぇ……そうですか」
冷たい声。色の無かった顔に、氷の笑みが宿る。
「きっと深い訳があるんでしょうね。私の気持ちを二度も……なんて、よっぽどな事情があるとしか思えません」
抑揚なく呟きながら、妃奈は鞄の中に手を差し込む。奥の方から取り出されたそれに――俺は震えた。
「……っ! なんでそんなものを……」
彼女の手にあるのは黒い革製の首輪だった。一瞬ペット用かと思ったが、フロントの金具についた銀色の太い鎖が異質過ぎて、考えを改める。
それは明らかに、人間用だった。
「ふふ、ふふふっ……。ご主人を襲おうとするわんちゃんには『待て』を躾けなければと思って準備していましたが……」
にやりと三日月のように唇を歪め、妃奈は笑う。
「まずはお仕置きが必要……みたいですね」
妃奈様の手の中で、鎖が冷たい音を鳴らした。




