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女王様見習いの清楚お嬢様は、○○○の穴を埋めて欲しい  作者: 弥波明希
4章 女王様は破り捨てる

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29話 お嬢様は破り捨てる

「私はたくさん勉強をして、立派な大人になりたいと思います」


 将来設計の発表会。教壇に立った私――真白妃奈の声は、思ったよりも大きく響いた。

 何度も、何度も、耳の奥でジンジンと。この教室にはたくさんの人が居るのに、まるで空っぽであるかのように。


 あるいは、空っぽなのは私なのかもしれない。

 私の中の空洞に、飾り立てられた言葉が反響する。


「まずは国立大学の経済学部を目指します――」


 みんなの視線が私に集まる。


 目が合うと小さく手を振ってくれる、好意的な視線。

 発表そっちのけで顔や身体に注がれる、無遠慮な視線。

 つけているだけのテレビ番組を流し見るような、ぼんやりとした視線。


 視線を浴びることには慣れている。新学期の自己紹介の時も、ただ街を歩いているだけの時も、いつもたくさんの人が私を見てきた。

 ショーケースの中のお人形を眺めるように、好奇の眼差しを向けてきた。

 今もそうだ。教室のみんなが私を見ている。だけど、私の言葉に興味を持ってはいない。


「経済学を学ぶのは、就職して役に立つと思うからです」


 でも、仕方ないことだと思う。


 私の発表には熱がない。空っぽな私が何を言ったって、届くわけがない。


 そう思うのに、なんでなの?


 なんで君は、君だけは、そんな目で私を見るの?


 何もかもを見透かすような目が、私を捉えて離さない。

 ねぇ凛音君、知っていますか? 心の奥を覗き込むようなその瞳が、最初怖かったことを。

 私が大した価値もない、見た目だけの女だけだって知られてしまいそうで、逃げ出したくなっちゃうことを。


「経済の仕組みを知ることで、早く社会の一員に――」


 君だけじゃない。かのんちゃんに「また来て」と言われた時もそうだった。

 私は逃げたくなった。私にはなんの価値もないのにって、なにもしていない私を求めるなんて間違ってるって、そう思ったから。


 私は私が大嫌い。私は空っぽだから。誰かの言いなりになって、誰かのためにしか生きれないから。


「一杯努力して、社会の役に立てるように――」


 誰かの、役に。


 ……誰かって、誰? その誰かは一体どこに居るの?

 ……社会って、何? 私はなんの役に立ちたいと思ってるの?


 分からない、分からないよ。

 訳も分からない存在のために役に立つ……それって本当に必要ですか?


 そういう風に思ってしまうのは、私がまだ子供だから?


「……」

 

 もし社会という存在が、知りもしない「誰か」の集まりだと言うのなら、私なんかの手が必要ありますか?

 自分の力が必要だなんて、傲慢じゃないのかな。目的意識もないくせに人を助けるなんて、上から目線じゃないのかな。


 みんな勝手に幸せになればいいじゃん。顔も知らない人まで幸せにするなんて、私にそんな余裕はないんだから。

 目の前で寂しそうにしてるたったひとりの子供にすら、私は声を掛けてあげられなかった。そんな私に何ができるって言うの?


 たくさんの知らない誰かより、私は目の前に居てくれる人の笑顔が見たい。

 ちっぽけな願いだって笑われるかもしれない。それでもこれが、私の手が届く精一杯なんだから。


 顔も知らない誰かより、私は私を幸せにしたい。

 目の前に居てくれる人にも、笑っていてほしい。


 みんながそう思えれば、みんな幸せになるんじゃないかな。お母さんから貰った「幸せになる未来の設計図」なんて、なくったってさ。


「……」


 いつの間にか私は黙り込んでいたみたいだ。みんなの瞳に困惑が浮かんでいる。

 それでもしっかりと、私を見てくれている君と目が合った。だから「大丈夫」だよと微笑んでみたけれど、少し硬かったかもしれない。かわいいって、思ってくれたらいいんだけど。


 彼以外の視線を拒絶するように、私は背を向ける。

 後ろには黒板。貼られた模造紙には、社会という顔のない怪物に奉仕する私。


「……こんなの――」


 これが「幸せになる未来の設計図」だというのなら――。


「――もう、いらないっ!」


 模造紙の端を掴み、力いっぱいに引き裂いた。

 時間をかけて編まれた「将来」が、稲妻のようにひび割れていく。

 

 先生の唖然とした顔が視界の端に映って、頬が緩んだ。ガラスケースのお人形が動いたんだもん、仕方ないよね。


 鋭い紙の裂ける音。指先に鋭い痛みが走って、見ると血の粒が膨らんでいた。


「……なんだ。空っぽじゃないじゃん、私」


 独りごちた声は、静寂に包まれた教室の中で響くことなく、落ちていく。


 *


 紙を裂く音が悲鳴のように聞こえ、俺――黒川凛音は目を瞠った。

 教室は困惑に包まれる。眠そうに腕を組んで座っていた先生は、その光景にただただ呆然としていた。

 妃奈が振り返る。銀の髪を翻し、手に持っていた模造紙の一部をぽいと床に放って。彼女の口元には、見たことのない楽し気な笑みが浮かんでいた。


「――さっきまでの話、全部なかったことにしてください」


 すっと、上品なお辞儀をひとつ。それだけで教室は落ち着きを取り戻し、彼女の言葉を待った。

 あれは本当に、妃奈なのだろうか。俺の知っている妃奈は、自己主張の強くない少女だ。

 少し抜けたところと強烈に変な趣味はあるけれど、決して集団の輪を乱すことはせず、目立つ容姿をしていながら溶け込むことがうまい女の子だった。


 なのに、これはなんだ?


「将来設計を作る時、たくさん悩みました。一度はこれでいいと、これが正解だと思おうとしましたが――やっぱり違ったみたいです。皆さんの大切な時間を浪費させてしまい、申し訳ありません」


 妃奈のことが分からない。だからこそ、目が離せない。


「社会の役に立ちたいなんて、そんなだいそれた願いを私は持っていません。ただ私は幸せになりたい。でもなにが幸せなのか分からなくて……『社会奉仕』という安易な言葉に飛びついてしまいました」


 教室中が、妃奈を見ていた。


「ですが、分かったんです。私は社会ではなく――目の前に居る誰かを幸せにしたい」


 力強く語られる言葉に、みんなが聞き入っていた。


「知らない誰かじゃなくて、見えもしない社会なんかでもなくて。今ここに居る『君』のために、私を見てくれている人のために生きたい。……もしかしたら、こんなの子供の言うことだって、笑われるかもしれない。それでも、これが私の偽らざる本音なんです」


 俺は緩む口元を、手で隠した。

 バカにしたわけじゃない。彼女の発言がどんなにお粗末で、とても『将来設計』だなんて言えないものだとしても、バカにできるはずがない。


 高揚か、恥じらいか。妃奈は頬を真っ赤に染めながらも、楽しそうに瞳を輝かせている。

 完璧に準備されてきた模造紙は見る影もなく、もはや発表の体を成してはいない。それでも言葉は、止まらない。


「社会なんて分からないし、自分の人生を思い通りに生きることすらできない私が……将来設計なんてできるわけないんです。きっとこれから、お母さんとたくさん喧嘩すると思います。もしかしたら大学にすら行けなくなるかもしれない」


 妃奈は胸に置いた手をぎゅっと握り、言った。「それでも」と。


「私は自分の足で歩きたい。お飾りの人形のままは……いやなんです」 


 一瞬迷うように、妃奈の視線が教室を泳ぐ。そして――。


「自分の将来は自分で選びたい。例えそれで、傷ついたとしても」


 ――青い瞳が、俺を捉える。


「その第一歩として、この場を借りて伝えます。……涼しい顔をして、さっきから高みの見物を決め込んでいる、黒川凛音君に」


 急に名前を呼ばれて心臓が跳ねた。

 クラスの視線が、音がしそうな勢いで妃奈から俺へと移る。

 妃奈はそんな様子を眺めながら、悪戯が成功した子供のようにクスッと笑った。


「私を悪い子にしたのは君ですよ、凛音君。とぼけたような顔をしたってダメです。こうなった責任……取ってもらいます」


 背中に冷たい汗が流れた。

 女子は「責任」という言葉に好奇の視線をよこし、男はなぜか「悪い子」に反応して騒ぎ出す。空気になっていた先生まで俺を凝視しているのはなんなんだ。


「……何かを選ぶことが、こんなに怖いなんて知りませんでした。逃げ出したいのに、足が震えて動けそうにありません。熱が出たみたいに、クラクラします」


 真っ赤な頬。俺を見る潤んだ瞳。明らかにおかしい妃奈の様子。

 あれ、これはまずいのでは?


「しっかり者に見えてだらしない君を、放っておけませんでした。私に興味ない振りをして、実はえっちな君に頭を抱えました。身勝手に見えて、いつも私のことを考えてくれている君に救われました」


「ひ、妃奈……」


「いつの間にか傍にはいつも凛音君がいて、君の瞳が私を映してくれることがすごく、すっごく嬉しくなっていました」


 青い瞳は揺らがずに、俺を捉え続ける。


「――これからも私を凛音君の傍に置いてください。それが私の最初の選択で、願いです」


 女子の歓声と男子の悲鳴が交差する。突然のことに妃奈はびくりと肩を跳ねさせ、困ったように周りを見渡した。

 

 ぽかんとした顔しやがって。妃奈はきっと、勢いのままに自分の気持ちを伝えただけだ。

 だから分かっていない、今の言葉が愛の告白にしか聞こえないことを。

 紙を破るなんて大胆なことをやらかしたが、妃奈に公開告白なんてする度胸も必要もないはずだ。「好きです」とか「付き合ってください」なんて決定的なことを口にしてないし、そんな気もなかったんだと思う。


 とはいえ……。


「黒川くぅ~ん。お返事はぁ?」


「黒川てめぇ……明日まで生きれると思うな」


「えっと、あの……皆さん?」


 悲喜こもごもの声の中で、妃奈は困惑を深めている。みんなが俺の返事を待っていた。


「……えぇ~」


 イエスかノーの二択。

 妃奈の傍に居るというのに異論はないに決まっている。女王様ごっこを通して、本当の自分をみつけるという目的は達成していない。

 それが無くても、彼女とは深く関わり過ぎてしまった。今更縁を切るなんてあり得ない。


 俺が押し倒してから開いてしまった距離を埋め、元に戻る。妃奈が望んでいるのはそういうことだと思う。


 だから当然イエスなのだが――それを言ってしまうと、俺と妃奈が付き合ったとみなされるだろう。


 俺たちの関係は女王様と犬だ。彼氏彼女なんて関係を望んでいるとは思えない。

 ここでイエスと言えば噂は一瞬で広まり、俺達は全校生徒公認の恋人になってしまうだろう。

 そんな空気ができてしまえば、妃奈は今度こそ抗うことをやめて流されるかもしれない。

 なにより俺は、妃奈のことを……どう思っているのだろう。


「妃奈」


「は、はい」


 目が合う。妃奈の息を呑む気配が伝わってきた。


 緊張しているのだろう。初めての自己主張だ。彼女の小さな身体の中で、心臓がはち切れそうな程大きな音を立てているのかもしれない。

 俺は少しでも緊張を解いてもらおうと、柔らかく微笑む。妃奈はそんな俺に、どこか安心したように微笑み返し――。


「とりあえず、保留で」


 その表情を凍りつかせた。


「おい黒川、てめぇっ‼」


「黒川君あり得なくない? マジ最低なんだけどぉ~」


 今までの興奮が失望と妬みに取って代わり、罵声の嵐が降りかかる。


「ま、まてって! まずは話を――」


 そう、妃奈と話をしないといけない。

 お互いが何を思っているのかをすり合わせて、それから――。


「……ッ。凛音くんのっ……」


 地獄の底から這い上がってくるような声に、全員の動きがぴたりと止まった。

 今の声、まさか妃奈さん……?


「凛音君のっ、りおんくんのっ――」


 教壇の上で肩を震わせていた妃奈が、涙の溜まった目でキッと俺を睨んだ。


「りおん君のっ……ドスケベ発情犬んっつ‼」


 教室に、鞭で打たれたような音が響いた。


 怒りに任せた妃奈の細腕から発射された彼女のスリッパが、俺の顔面にクリーンヒットしたのだ。


 ゆっくりと、俺の顔から剥がれ落ちていくスリッパ。


 暗転する視界。


 どこからか聞こえた「ぶひっ、我々の業界ではご褒美でござる」という声を子守歌に、俺の意識は遠ざかっていった。


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