31話 私達は心の穴を埋めて欲しい
「ふぅん。つまりこういうことですね? 凛音君は過去の経験から自分の感情を信じられない。恋愛感情は尚更で、私のことを本当に好きだって確信が持てるまで――」
妃奈は大袈裟に息を吸う。
「――ほ・りゅ・う! ……すると」
責め立てるような激しい妃奈の言い方は、残念ながらこの状況にしっくりくる。
なんせ今の俺は首輪をはめられ、四つん這いで女王様の玉座になっているからだ。
当の妃奈様は俺の背中に横座り。その手には俺の首に繋がった鎖があった。なぜか着替えてきた女王様の衣装も、不機嫌なオーラがプラスされて貫禄が出ている気がする。
だが問題は、そこじゃない。
「……うっ」
背中の上で妃奈のお尻が、ぐにゅりと形を変えた。
正直たまらない。さっきから柔らかい弾力と体温が断続的に襲ってくる。
妃奈が座り直すたび、意識が未知の領域に飛んでしまいそうだ。
「……うぅん。思ったより座り心地が悪いですね……」
人も犬も誰かを乗せる体の作りになってねぇんだよ。ましてや普段はお行儀のいいお嬢様を上に座らせるなんて、とてもとても……。
「ねぇ凛音君、また変なことを考えてませんか?」
「……別に。重くて腰が痛くなりそうだって思っただけ……ぐっ!」
妃奈の手で引かれた鎖が、俺の顎を無様に跳ね上げた。
手加減無しかよ。舌を噛みかけたわ。
「……乙女にそんなことを言うなんて、極刑ものです。わんちゃんにはお仕置きと躾がたーくさん必要みたいですね」
楽しそうに呟く妃奈に、嫌な予感がした。
「……お仕置きって、何するんだよ」
「……え? えーっと……それは、ですね……」
なんで急に言い淀むんだ。やっぱりお前……。
「……な、何をすれば……凛音君のお仕置きになるのでしょうか」
「なんで俺に聞く」
「うぅ……。ズボンを脱がせて、お尻ペンペンとかですか……?」
まずい。このままでは男のプライドが処されてしまう。
「そ、そもそもなんでこの後の展開を何も考えてないんだよ。どうせ首輪をつけるのも、いつも見ているアニメの影響だろ?」
「だ、だって! 女王のバイブルたる『イケ犬』では、首輪をつけたまま四つん這いで王城を一周するんですよ⁉ この格好で家から出るつもりですか⁉」
「そんなことしたら捕まる……いや、まてよ」
妃奈の格好は痴女っ子女王様スタイルで、手には鎖だ。本当に大事なところは隠れているが、それ以外はだいたい出てしまっている。それに引き換え、俺は制服に首輪だけ。どっちが捕まるかといえば妃奈だろう。
だったら別にいいか。
「試しに出てみるか」
「いやですっ! まだ私達には早いです!」
俺達ってか、人類に早いだろ。
「国家権力の犬にお世話してもらえるぞ? 妃奈はわんちゃん好きだろ?」
「わんちゃんをお世話するのは主人たる私の仕事です。逆はあり得ません!」
「気になるの、そこなんだ」
よく考えたら、国家権力のわんこは大概男だ。
妃奈は格好がアレでも顔が良すぎる。変態には見えないかもしれない。
そうなると俺が変態扱いされることになるだろう。美少女を乗せて鎖に繋がれながら散歩する変質者……。都市伝説レベルの化け物だな。
「それに、ですね……」
「うん? ……おぉっ」
妃奈が背中の上でモジモジと尻を動かすから、つい変な声を出してしまった。恥じらってるのに破廉恥が過ぎる。
「わたしのこの格好は、凛音君以外には見せたくないと言いますか……。二人だけの秘密にしておきたいんです……」
「っ! おまえっ……!」
ああもうっ、マジで限界だ。
さっきから際どい場所の感触が背中越しに伝わってきてヤバいのに、そんな可愛いことまで言われたらホント無理だ。
腹の底から湧き上がる衝動。……妃奈に何度も抱いてきたもの――劣情だ。
鼓動が激しくなる。呼吸が乱れ、力が湧き上がる。衝動のままに妃奈を組み伏せてしまいたいという想いを――なんとか理性で捻じ伏せた。
これが求めていた物だ。俺が妃奈の遊びに付き合い始めたのは、この荒々しくて熱い何かを知りたかったからだ。
子供の頃に演じたことのない感情こそ、真に自分の心から生まれた「本物」だと思ったから。
「なんか呼吸が荒くなってませんか? 凛音君、お辛いなら降りますけど……」
女《妃奈》の不安げな声が、本能をくすぐる。
このまま欲望に流されたい。
恋愛感情が分からないくせに、妃奈を自分のものにしたいという感情だけは生々しく、こんな自分を最低だとも思う。
それでも俺は「本物」を知りたかった。……妃奈を傷つけない範囲で、だけど。
「降りたらお仕置きにならないだろ。心配しなくていい」
「苦しいならやめるべきです。主人とわんちゃんは信頼し合い、喜びを与え合える関係じゃないといけません」
「それは理想的な関係だな。じゃあさっき言ってた四つん這いで王都を一周、部屋の中で試してみるか? 主人公のアリスだっけ。その子がやったお仕置きなら間違いないだろ」
「……急に乗り気になりましたね。また変なこと考えてますか?」
訝しげな声。信頼し合うにはまだまだ足りないらしい。
「まさか。わんちゃんとしての自覚が芽生えただけだよ」
子供の頃に鍛えた爽やかな口調で妃奈の説得にかかる。言ってることはクソキモいけど、本心を隠して笑うのは得意だからな……。
「……ふぅん、それは殊勝な心掛けです。これからは良きわんちゃんとして、ずっと私の傍に居るのですよ? 間違っても、主人を捨てたりしないように」
「もちろんですとも。……じゃ、さっそくお仕置きを始めようか。まずは俺の背中をまたぐように座ってくれ」
「アリスがしてたようにですね。分かりました」
妃奈は素直に体勢を変え始める。
わんちゃん《俺》が指示を出すことを当たり前のように受け入れたことに苦笑するが、そこは「いい子」の習性みたいなものかもしれない。
「こう、かな」
彼女の足が俺の背中を掠める。開かれた太ももの重みと柔らかさから、妃奈が俺の上で足を開いて座ったことが質感を伴って感じられた。
「それじゃあわんちゃん。まずは台所まで行きなさい!」
楽しくなってきたのか、ノリノリの号令がかかる。
俺は四つん這いのまま妃奈を運ぶ乗り物と化すが、意識は背中に全集中。
柔らかい。温かい。感想はそれに尽きる。
妃奈は俺の思惑にまるで気付いていない。一応お尻の下にスカートを敷いていたが、女王様衣装の薄い布ではとても守れていない。
「……こういうの、憧れてたんです。お父さんもお母さんも忙しくて、いつもひとりで遊んでいましたから」
「大人になってから叶うなんてな」
「……ふふ。私はまだまだ大人にはなれていません。だからセーフです」
大人なのは体だけか。名探偵にはなれないな。
「こども食堂でやってあげればよかったなぁ。こういうのに憧れてる子が居たかもしれないですし」
「女王様が下になるのか?」
「子供相手ならいいんです。……男の子は低学年くらいまでにしておきますけどね。中学生の子達、結構ペタペタしてきたので……」
「……まぁ、男への警戒心が強いのはいいことだ」
現在進行形で俺のことも警戒するべきだと思うけどな。
少しずつ速度を上げながら、不自然にならない程度に身体を揺り動かしていく。
妃奈のお尻がもぞもぞと動いた。
「……なんだか乗り心地が悪くなった気がするのですが」
「犬は走る時に背骨を縦に揺らすんだ。主人なのにそんなことも知らないのか?」
「そうなんですか? それならまぁ、仕方ないです……ね」
「ああ。ご主人様なら耐えないと」
「分かりました。私は理解ある主人ですか、ら……」
おや、悩まし気な声が聞こえたぞ。
「……んっ。ごほんっ。ちょっと喉の調子が悪いみたいで……んんっ!」
「発表がんばったもんな。偉かったぞ」
「……あ、ありがとうございます。……ね、ねぇ、もう少しゆっくり歩きませんか? なんか擦れて……くすぐった――」
妃奈の息が荒くなっていく。良い調子だ、まさかここまでうまくいくなんて。
上で鎖を持っていない方の手が、ぎゅっと俺のシャツを握ったのを感じた。
「もうっ、これ……絶対狙ってます、よね。……このっ、へんっ……たいっ‼」
「うぐえっ!」
後ろから強く鎖を引かれ、首輪に喉を抑えつけられた俺は、汚い声を出して急停止した。
首がもげるかと思ったわ。下手な乗り手に扱われる馬の気持ちが分かった気がする。
「……りおんくん」
妃奈はゆっくりと背中から降りると、鎖を引っ張って俺に顔を向けさせ、にこりと笑う。
「少々おいたが、過ぎませんか?」
笑っているのに笑ってない。見下ろす瞳の冷たさに、俺は身震いした。
「ごめん。やり過ぎました」
「そこにゴロンしなさい」
「は?」
「お腹を見せて寝るんです! わんちゃんの服従のポーズをしなさい!」
雷が落ちるような剣幕に、俺は慌てて仰向けに転がった。
妃奈のつららのような視線が下がっていく。俺の顔からお腹、そして――。
「……はぁ、やっぱり。まぁたそんなところを大きくしちゃったんですか? ほーんと、はしたないわんこなんですから」
俺の大事な部分を見て、吐き捨てるように言った。
今までとはまるで違う罵倒に、背中がゾクッとする。俺の困惑の視線に、妃奈は薄く笑った。
「私のこと好きじゃないくせに、体は好き放題したいんだ? ……ほんと、最低ですね。変態さんにはきつーくお仕置きしなければいけません」
妃奈は見せつけるように足を上げ、俺の太ももへと乗せた。俺の大事な所を慎重に避けるような仕草が、強がってても妃奈だなと思わせる。
「いいですか、節操なしのわんちゃん。主人に悪戯するのは悪いことだって、しっかり教えてさしあげます」
動物のようになまめかしく、それでいて淑女のようにたおやかに笑う妃奈。学校で見る清楚で控えめな彼女とはまるで違う表情に、目が眩みそうになる。
穢れなきお嬢様が俺を見下ろし、自分の唇をぺろりと舐めた。俺を踏みつけることによって無防備に開かれたスカートの隙間から、黒いエナメルの三角地帯が覗く。
もちろん下着じゃない。ただの衣装だ。だけど、普段決して人の目に晒すことのない足の付け根。その、肌と生地の境界線が、俺の理性を限界まで軋ませた。
「ちゃんとできたら腕によりをかけてご飯を作ってあげますからね。がんばるんですよ」
飴と鞭。お嬢様と女王様。まだまだ甘い方が多い妃奈だから、俺を見下ろす――いや、見下している姿を目に焼き付けておきたい。
「覚悟してくださいね。いつか変わらず――」
これからもっと変わっていく妃奈を、俺だけのものにしたいと思った。
「私だけのわんちゃんにしてみせます。――私のことを好きだって、心から言わせてあげますから」
妃奈が俺を強く踏んだ。絶対逃がさないとでも言いたげな圧力と痛みが、太ももに加えられていく。
だけど嫌じゃない。それが妃奈と関わる代償だというのなら――俺は喜んで受け入れたい。
子供の頃に演じたことがない倒錯的な欲望。それが俺の求めた「本物」を教えてくれるなら、どこまでだって妃奈についていく。
彼女の一歩が俺の一歩になるように、肩を並べながら。




