26話 お嬢様はお世話する
食事を終えた子供たちの声が、交流スペースを賑わせていた。
絵本を読む子やボードゲームで遊ぶ子。年上の子やスタッフに勉強を教えて貰う子に、ただお喋りをするだけの子。
思い思いの時間が流れていた部屋の空気が変わったのは、扉が開いた瞬間だった。
「か、かわいいぃ~~!!」
感嘆の声に迎えられ、扉を開けたままの姿で硬直している――妃奈がいた。
「お姉さん、ボランティアの人ですか?」
「あ、えっと……そうだよ……って、わぁぁ!」
別のことをしていたはずの子供達が一斉に立ち上がり、ドドドと床を鳴らしながら妃奈に殺到する。
俺が来た時は、チラっと見られたくらいだったのになぁ……。
一瞬で囲まれた妃奈は子供に手を引かれ――いや、奪い合いになっている。両腕を綱引きされてしまっている。
困った目で俺に助けを求めてくるが、軽く笑いかけてから目を逸らした。
子供のおもちゃを奪う趣味はない。
「……あの人、黒川さんの彼女ですか?」
話しかけてきたのは、俺の隣で黙々と宿題をしていた中学生の女の子、彩美さんだ。
勉強を教えて欲しいと言われて横に居るんだけど、この子めちゃくちゃ優秀で、正直教えることがない。
きっとクラスでも上位なのだろう。俺ができることは無さそうだけど、居てと言われたので背後霊のように黙々と見守っていた。
「ただの同級生だよ」
「……ふぅん」
彩美さんは冷ややかな目で妃奈を見る。この子だけじゃなく、似たような反応をした人は他にも何人か居て、みんな中学生くらいの女の子達だった。
まぁ中学生男子共が一番盛り上がってるからなぁ、仕方ないと思う。学校でもこういう場面はたまに見るし。
「ねぇひなちゃん、動物なに好き~?」
妃奈は低学年の子供たちと本を読むことになったようだ。
途中で中学生男子達が力に任せて妃奈を奪おうとする場面があり、怒った赤坂の鉄拳制裁が炸裂していた。さすが頼りになるお姉ちゃんだな。
「ん~、動物さんはなんでも好きだけど、一番はわんちゃんかなぁ」
「かのんは小さいわんちゃんが好き!」
子供――かのんちゃんがペラペラと本をめくり、妃奈に見せる。動物の図鑑でも見ているのだろうか。
「うんうん。私ね、最近わんちゃんを飼い始めたんだぁ」
妃奈もかのんちゃんに笑いかける。良い雰囲気だ。
「わんちゃんいいなぁ。お姉ちゃんの家にいるの?」
「ううん。お母さんには秘密の場所に居るの。わんちゃんね、いつもぶすってしてるけど、ご飯をあげたらすごい喜んでくれるんだ」
「ちっこい?」
「んーん。私より大きいよ」
「……お姉ちゃん、なんで人のページを見てるの? それわんちゃんじゃないよ……?」
俺は妃奈からそっと目を逸らした。
「彩美さん、何か分からない問題でもあった?」
ちょうどペンが止まっていたので、声を掛ける。たまには存在をアピールしておこう。役に立たない背後霊はいないも同然だからな。
「俺の分かる範囲で教えるよ。分からなければAIが教えてくれるし」
「……それって、黒川さんいらなくない?」
中学生女子って辛辣。
「かのんちゃん、そろそろ帰る時間だよ~」
涙を呑んで彩美さんにスマホを明け渡していると、ボランティアのおばさんが妃奈と話をしていた子に声をかけた。
「え~、まだ遊びたい~」
「お母さんと約束したでしょ? お仕事で迎えに来れない日は、おばさんと一緒に帰るって」
親が迎えに来れない子は、家まで送ると聞いた。
スタッフと親が普段から顔なじみだからできることだと思う。地域密着型のボランティアだ。
しばらくの間ぐずぐずと文句を言っていたかのんちゃんだったが、いいことを思いついたのか、ぱっと顔を明るくした。
「そうだっ、お姉ちゃんも一緒に帰ろ!」
「えぇっ!?」
静かに様子を見守っていた妃奈に矛先が向き、彼女は変な声を出した。ついでにかのんちゃんの後釜を狙っていた中学生が「それなら俺の家に――」と呟き、赤坂にまた鉄拳制裁を受けていた。
「たくさん絵本あるんだ。いっしょに読もうよ」
「……えっと、ごめんね。お姉ちゃんはお家には行けないんだ」
「かのんの宝物も見せてあげるからっ!」
交渉上手なかのんちゃんを相手に、妃奈は申し訳なさそうにする一方だ。
初参加の高校生に、子供を送る役を任せられるはずがない。それに誰かのわがままを聞いてしまったら、他の子に「ずるい」と言われてしまう。
気配り上手の妃奈はきっと分かっているはずだ。だけど強く断ることもできず、結局送り役のおばさんがかのんちゃんを宥めていた。
亀の甲より年の功って……ん? 今おばさんが刺すような目で俺を見たような……。
「おねぇちゃん、またくるよね……?」
「え、えっと……また他の人が来てくれると思うから、その人と仲良く――」
「やだっ!」
声が響く。かのんちゃんと妃奈を中心に、緊張した空気が広がっていく。
「ひとりはやだもんっ!」
「……あのね、かのんちゃん。お姉ちゃんは――」
「おうちに帰って、ママが居ないとね、ここがきゅって痛いの」
胸に手を当てたかのんちゃんを見て、妃奈は言葉を詰まらせた。
この場を乗り切るだけなら「また来るね」と言えばいい。なのにそれをしないのは、妃奈がかのんちゃんの期待を裏切りたくないからだろう。
俺が誘ったときも「一度だけ」だと言っていた。彼女が休みの日をどう過ごしているか知らないが、学年上位の成績を維持するために努力しているだろうことは容易に想像がつく。
泣き出しそうなかのんちゃんに、妃奈の瞳が揺れる。嘘はつきたくない。だけど彼女の期待に応えることもできない。
親の期待を背負い続けてきた妃奈や俺にとって、人の期待を裏切ることは自分を否定するに等しい痛みだ。
「かのんちゃんがいい子にしてたら、お姉ちゃんもまた来てくれるよ」
宥めるおばさんの言葉に、顔を歪ませたのは妃奈の方だった。
それでもすぐに愛想笑いを張り付けて、何度も振り返りながらも去って行くかのんちゃんに、手を振り続ける。
妃奈の隣はすぐ他の子供に埋められてしまい、何事もなかったような空気が流れ始めた。
……いや、実際なにもなかったのだろう。小さい子が駄々をこねるなんて、ここでは当たり前の光景なんだと思う。
それでも、妃奈は無理して笑っているように見えて――。
「黒川さん、ここ教えてください」
隣を見ると、彩美さんが不機嫌そうに俺を見ていた。
「どれ? AIじゃ分からなかった?」
「……やっぱ人に教えて貰える方がいいです。せっかくここに来てるんですから」
そう言ってつまらなそうにそっぽを向く彼女に、俺は苦笑してしまう。
今は妃奈のことを考えている場合じゃない。そんなの、俺を頼ってくれる彩美さんや赤坂に失礼だ。
そう思うのに、心に刺さった棘が抜けない。
――いい子にしてたら、か。
「大人って残酷だよな……」
つい零れた独り言に、彩美さんはわずかに顔をしかめた。




