21話 わんちゃんは盗み聞く
昼休み、売店でパンでも買おうと思って廊下に出ると後ろから声をかけられた。
「りおんく……く、黒川君。これ、落としましたよ」
振り返ると不機嫌そうな青の瞳。妃奈が不機嫌そうな顔で、見覚えのある保冷バッグを差し出してきた。
いつも俺用のお弁当を入れていた物だ。最近毎日作ってくれていたけど、今日はないと思っていた。
「……俺は落としてないけど」
気まずさについ憎まれ口を叩くと、妃奈はバッグを俺の胸へ押し付ける。
「黒川君は落としました。いいですね、落としたんです」
有無を言わさぬ目力。普段の何気ない仕草は意外と女王様っぽいところもあるんだよな。99%はぽんこつだけど。
「……ありがとう、真白さん」
「聞こえません」
「……妃奈」
他人に聞かれたくない呼び名をこっそり言うと、妃奈は満足そうに口角を上げた。そのくせ「ふんっ」とわざとらしく鼻をならし、ぷいとそっぽを向く。
心の中の女王様は絶好調みたいだ。
「もし本当に黒川君の物じゃなかったら、私のロッカーにでも入れておいてください」
それだけ言って、妃奈は俺に背を向ける。
ひらりと舞う銀の髪。合わせて香る甘い匂いが昨日の一幕を思い起こさせ、俺はひとりになれる空き教室へと急いだ。
前かがみになって歩いていたのは、誰にも気付かれていないはずだ。多分。
「……はぁ」
やけに遠く感じた空き教室。窓側の席に腰を下ろし、ため息をひとつ。
さっそく保冷バッグから青い弁当箱を取り出す。妃奈は何も言わないが、この箱は俺のために用意してくれたものだと思う。
彼女にはお世話になりっぱなしだ。昨日の女王様衣装はその恩返しのつもりだった。なのにあんなことになってしまった。
彼女が俺に食事を作ってくれるのは「わんちゃんの体調管理」のためらしい。だけど昨日のことで妃奈が女王様をやめてしまったら、もう俺の世話を焼く理由は――。
「……んあ?」
沈んだ気持ちで弁当箱を開けると、変な声が漏れてしまった。
二段ある弁当箱。一段目はいつも通り野菜中心のおかずが入っている。栄養バランスと味が調和していて見た目も素晴らしかった。
問題は二段目。
箱一杯に敷き詰められた白米の上に、細く刻まれた海苔で文字が描かれている。それを見て俺の思考は――一瞬フリーズした。
――エロ犬!
几帳面に並べられた海苔での罵倒。いつもは中央にある梅干しが端っこに追いやられ、その上にゴマと海苔で不機嫌そうな顔が描かれていた。
怒っているくせに、手間がかかっている。衣装を届けに来たことを考えれば、俺なんかよりもずっと早くから起きて準備を始めたはずだ。
「……頭が上がらないな」
お弁当にまで罵倒されているのに、つい頬が緩んでしまう。
美味しい物を食べる時は箸が止まらない。あっと言う間に完食した俺は、水道で弁当箱を洗ってからティッシュで水気を拭き、ついでに流れてしまったゴミも回収する。
学校にはスポンジも洗剤もないから、どのみち妃奈は帰ってから洗うんだと思う。それでもこのくらいはしたかった。
後は彼女のロッカーに入れとけばいい。俺は教室に戻るため歩き出す。
そういえば妃奈は「黒川君の物じゃなかったら、私のロッカーにでも入れておいてください」と言っていたな。
もしかして、俺が食べずに突き返すとでも思ったのだろうか。
そんなこと、ありえるはずがないのにな……。
「せめて美味しかったってメッセージくらいは……ん?」
廊下の曲がり角、この先は職員室というところで――声が聞こえた。
「――先生、ちょうどよかったです」
「真白か。どうした?」
妃奈と先生の声だ。今出ていくと邪魔になりそうなので、俺は角を曲がらず会話が終わるのを待った。
「将来設計の課題を提出しにきました。来週発表ですから」
盗み聞きしている感じになってしまっているけど、大事な話というわけでもなさそうだし別にいいか。
「ああ、そうだったな。確かに受け取ったぞ」
将来設計の課題ではグループごとに別れて代表者を決め、来週はその人達がクラス発表をすることになっている。
当然俺もグループ内での話し合いに参加したが、俺も含めて半分は明確なビジョンを描けておらず、真面目に書いていた人が消去法で代表者になっていた。
きっと妃奈も同じなんだろうな。偉いというか、損をするというか。
「真白は熱心で本当に偉いな。成績も生活態度も優秀だ。品行方正、大和撫子とはまさに真白のことだと思うぞ」
「外国の血が入ってる私に、大和撫子なんて似合いませんよ」
男を踏んで顔を赤くする大和撫子なんて居てたまるかよ。
でも歴史を遡れば、そんな女王様も一人くらいはいたかもしれない。
卑弥呼とか。
「見た目なんて関係ないぞ。人は中身が大事だからな」
その通り。えっちな女王様コスをしていたって、大事なのは中身だ。妃奈は人間性も衣装の中身――特に胸元が本当に豊かだからなぁ。
「希望の大学とかあるのか? 選択肢が多くて逆に悩むだろ」
「そう……ですね」
妃奈が一瞬言い淀む。
なぜか急に、嫌な予感がした。
「……とにかくいい大学に入って、安定する仕事につけたらなって思います。……そっちの方が、親も喜ぶので」
心臓を鷲掴みされたように、呼吸が止まった。
「おお、そうか。困ったことがあったらいつでも相談に来いよ。真白なら有名なあの大学も無理じゃないと思うからな」
バクンバクンと胸を打つ音。はっきりと聞こえていたはずの声が、遠くなっていく。
俺は何に動揺しているのだろう。ただ彼女の将来設計を聞いただけなのに。
「先生のご期待に応えられるよう、がんばり――」
妃奈の将来設計の話は既に聞いていた。
その時と何も変わっていない。だから、驚くことはなにもない。気にする必要はない。
なのに、そのはずなのに、自分を納得させようと思えば思うほどに、その後に続いた妃奈の言葉を思い出してしまう。
――見栄えだけよくて、中身すっかすかな安物のマカロンみたいな将来設計。
「俺の……せいか?」
俺が昨日彼女を押し倒し、妃奈は俺に身を委ねた。自立しようとしていたはずの妃奈が人形に戻りかけた。
妃奈の意志を、俺が挫いたのか?
いや、さすがに考えすぎだろう。昨日のことがあったからって、将来の選択が変わるわけがない。ありえない。
そう思いたいのに、思えなかった。
「それでは、失礼します」
扉の開閉音。先生が職員室に戻ったようだ。
顔を出して様子をうかがうと、妃奈は俺に背を向け――教室の方に歩いていく。
今の俺は今朝の妃奈そのものだ。ポッキーがあれば食べていただろう。
妃奈は俺と赤坂が何を話していたか気にしていた。なら俺も今の妃奈が何を考えているのか、気にしたって許されるはずだ。
彼女の将来をとやかく言う資格なんてない。だけど今朝のことがあるんだから、おあいこってやつにしてほしい。
「――妃奈!」
後から声を掛けられると思っていなかったのだろう。妃奈の肩が大袈裟に跳ねる。
立ち止まった妃奈の元へ早足に近づく。銀の髪を揺らしながら振り返った彼女の手首を――強く掴んだ。




