20話 お嬢様はかじる
真白さんはぷっくりと頬を膨らませ、木の裏に隠れながら俺と赤坂を見ている。
その目つきはとても恐ろしく、楽しみにしていたプリンを勝手に食べられた人みたいだ。
真白さんは持っていた箱からポッキーを一本取ると、物凄い勢いでかじり始めた。食べ終えるとすぐに次を咥える。
その姿はひまわりの種を食べるハムスターを思い起こさせた。
「膨らんでるほっぺは頬袋だったのか」
「普通に拗ねてるだけだと思いますけど」
「まさか、そんなの食べ辛いだけだろ」
バカなことを言うなと赤坂に笑いかけると、「マジかコイツ」とでも言いたげなジト目で見返してきた。
……そんなにおかしなこと言ったか?
「別に頬袋でもなんでもいいですけど、ご機嫌ななめなのは間違いないんじゃないですか。……はぁ、意味わかんないですよね、眉間に皺を寄せてるのに美人のままなんて。普通の人なら顔面崩壊で大惨事になってますよ。なにか盛れるフィルターでも顔にくっつけてるんですか?」
「知らんけど、いつもAIと仲良くとお喋りしてるな」
主にSMについて。
「あの美顔はAIの贔屓かぁ。いいなぁ、私にも贔屓してくれないかなぁ。サブスクに入ってもいないくせに酷使するから嫌われてちゃってるのかな……」
バキリと音が聞こえてきそうな勢いで、真白さんの咥えていたポッキーが折れた。彼女は表情ひとつ変えず、折れて手元に残った方も口にし、二本同時に食していく。
瞬きひとつせず俺達を見据えながら。
「早くフォローに行った方が良いんじゃないですか? 先輩とは細く長く仲良くさせてもらいたいので、他の女子の反感を買うのはノーセンキューなんですけど」
「昨日色々あってさ、だいぶ気まずいんだよな。正直嫌われててもおかしくないというか……」
また「マジかコイツ」って目で見るのやめろ。それは俺に効く。
「なにヘタレてるんですかねこの人。女子が嫌いな男を見るときに、あんな可愛いくておっかない顔をするわけないじゃないですか。本当に嫌いなら、無表情でムシムシの刑に処すんですよ」
「蒸し……? 中華料理なら俺は好きだぞ」
「無視するか、虫けらのように扱うかです。先輩にはどっちもご褒美かもしれませんね。私はいやですけど」
赤坂が露骨に顔をしかめた。こいつ女友達いなそうだもんなぁ。
「面倒事は勘弁なので、私はこれにて退散いたします。それでは先輩、よい修羅場を」
「あ、おう……」
引き留める理由が思いつかず、脱兎のごとく去って行く赤坂の背中をただ見守った。
逃げ足が早いのも人間関係で苦労している証だろうか。今度会ったらもっと優しくしてやるか。
「……」
一回深呼吸をしてから、俺は改めて真白さんへと向き直る。
彼女の眉間に寄っていた皺は無くなっている。けれど相変わらず目力は凄いし、ポッキーの消費量もすごい。
重い足を強引に動かし、一歩二歩と近づく。ポリポリとかじる音が聞こえてきたが、少しずつ食べるペースが落ちているように見えた。
「……えっと、真白さん」
「ふんっ」
真白さんの眉が不機嫌そうに吊り上がる。同時に、彼女の右足が一歩前へ。
「おい、なんで足を踏んだ?」
ぽりぽり。
返事はない。ポッキーに夢中のようだ。
まぁ彼女に踏まれるとか今更だ。露骨に避けられるよりはずっといい。
日常が戻ってきた気がして安心しちゃうくらいだ。
「それで、えっと……」
ぽりぽり。
「真白さん、昨日は――」
ばきっと音をたててポッキーが折れる。同時に真白さんのつま先がぐりぐりと俺の足の甲を責めてくる。
女王様はとてもご不満のようだ。だけど二度踏まれてその理由が分かった。
「…………妃奈様」
踏む力が弱まった。正解らしい。
「ひゃんでふか、くろきゃわきゅん」
「食べ終えてから喋ろうな」
ぽりぽりぽりぽり――ごくん。……ふきふき。
「――こほんっ、なにかご用でしょうか、黒川君」
さっきの醜態は無かったことにされたみたいだ。呼び方も黒川君に戻ってるし。
「妃奈様は……えっと、まだ教室に着いていなかったんだな」
「私がここに居たら不都合でしたか? 見られたらまずいことでもありまして?」
「そうじゃなくて、妃奈様は今朝うちに届け物に来ただろ。そのまま学校に向かったと思ってたからさ」
衣装を届けに来た彼女が、それを干してから家を出た俺より遅いのは理屈が合わない。途中で自分の家に帰ったとも思えないし。
「そうですね。ご存じのように、今朝私は『例のブツ』を現場に届けに行きました」
「急にミステリー臭がしてきたな」
女王様の衣装は真白さん――妃奈にとって言葉にすることもはばかられる危険物らしい。
「それで無事にミッションをコンプリートしたのですけど、いつもと違う通学路にうっかりテンションが上がっちゃいまして……ずっと憧れていた寄り道と買い食いをしてみたんです。それでいつの間にかこんな時間になっていました」
さっきのポッキーは戦利品だったわけだ。
「……ひとりで寄り道か。友達を誘えばいくらでも機会はあるだろうに」
「寂しいやつって思いましたか? そうでしょうね、私がひとりでポッキーを噛みしめている間に、なんとなーんと、黒川君は一年生の女の子とすごく楽しそうにしていましたものね! ……しかも元気で可愛い年下の女の子……大人でクールな私とは、全然タイプの違う……」
妃奈の声が一音下がり、俺の足を踏む力が強くなる。今は大人クールとかいうぶっ飛んだ自己認識に口を出さない方が良さそうだ。
「改めて考えてみればですね、昨日私は結構ひどいことをされたと思うんです。今朝も黒川君の家の前まで行って、例のブツを渡すついでにお話しようと思っていました。だけど結局、顔を合わせる勇気がなくて、逃げてきちゃって……なのに、なのにっ! なんで貴方は朝から他の女といちゃついているんですかっ!」
「いたたっ! 踏み過ぎだって!」
「主人の私に発情するわ、他の女に尻尾を振るわ! ほんっとうに節操のないわんちゃんですねっ‼」
妃奈は桜色の唇をへの字に下げ、大きなおめめをキッと吊り上げる。もし「怒れる美少女」というタイトルの絵があるとしたら、こういう顔が描かれているだろう。
さすが妃奈様だ。怒っているだけで芸術品。
「くだらないことを考えてる顔っ!」
「いってぇっ!」
このまま踏まれ続けたら、足が地面にめり込んで変なオブジェにされてしまう。俺には芸術的な価値はなさそうだしちょっと遠慮しておきたい。
「……で、さっきの子はどちら様でしょう? ドロボウ猫さんですか? 発情わんちゃんにはお似合いですね」
「あの子は一年の赤坂だ。たまにチラシ配りしてて、会ったのは今回が二回目だよ」
「二回目にしては仲が良さそうでしたが」
「誰に対しても距離が近い子なんだろ」
「……下のお名前は?」
「忘れた、呼ぶことないし」
最初に聞いた覚えがあるけど、彼女の強烈な印象のせいで記憶が霞んでしまったようだ。
「……ふぅん、へぇ。呼ぶことはないんですか」
への字だった唇が一の字になる。少し機嫌が戻ったらしい。
「ちなみに、ちなみにですけど……私の名前は?」
「真白妃奈、妃奈様だろ。なにを今更」
妃奈の唇がにんまりとUの字になる。ずっと踏まれっぱなしだった足が解放され、妃奈はウェットティッシュを取り出すとしゃがんで踏んでいた場所を綺麗に拭き始めた。
お陰でピカピカだ。踏まれていた左の靴だけだが。
「……今日はこれで許してさしあげます。見境なく発情するのはだめですよ。少しは我慢ってものを覚えてください」
「別に発情とかしてないんだが」
「どの口が言ってるんですか?」
目力いっぱいの青い瞳に気圧され、俺は口を閉ざした。
赤坂の件だけじゃない。妃奈は昨日のことを言っているのだ。
「……まぁ、あれは私も迂闊でした。男の子の部屋であんな服を着た上に、顔とはいえペタペタと身体を触り続けるなんて、はしたない行為だったと反省しています。……ですので、少しの間、私達は距離を置くべきかもしれません」
「距離?」
「今の私は、黒川君とどう接していいのか分かりません。今も正直結構がんばっていると言いますか……。心の中の女王様を前面に出しているんです」
「心の中の女王様」
「黒川君もですね、解消されていない、え……えっちな欲求が、あると思うんです! ですから、しばらくふたりっきりはやめた方がいいかと。少なくとも、普通にお話できるようになるまでは」
どこか寂しそうな声。言ってることは正論だけど、分からないことがある。
「……妃奈は、俺のこと嫌いにならないのか? あんなことがあったら普通怖くなるだろ。もう二度と近づくなって言われても仕方ないって思ってたんだけど……」
「嫌いです! いじわるだし、えっちな目で見てくるし、涼しい顔して頭の中は変態なことばっかりだし」
「頭の中まで決めつけるな」
「それでも、それでも私が――」
妃奈はふっと、自嘲するように笑った。
いや、今のはただ笑うのに失敗しただけなのかもしれない。
「――妃奈と呼ばれて嬉しいのは、凛音君だけなんです」
言葉へ被せるように、チャイムが鳴った。




