16話 女王様の目隠しプレイ
「視界を塞がれるとですね、他のいろんなところが敏感になっちゃうらしいですよ。知ってましたか?」
タオルで目を塞がれた俺の耳を撫でるように、湿った吐息がくすぐった。
たったそれだけで、背筋が甘く痺れてしまう。
いつもよりずっと敏感に、真白さんの存在を意識してしまう。そのことに気付かれたくなくて、
「……物知りなんだな。夜な夜ないかがわしい動画を見ている成果か?」
いつもの調子で言い返してみたが、噛み殺したような笑いが聞こえただけだった。
「ふふっ、普段とのギャップにビビっときちゃいましたか?」
「クラスのやつらが知ったらどう思うだろうな。反応が見てみたいよ」
「そんなこと言うわんちゃんは……めっ、そして……ふーっ」
「……っ!」
びくんと背筋が伸びた。耳へと吹きかけられた吐息に、全身を撫で上げられたように錯覚してしまう。
まずい、想像以上に効いてしまっている。
こんなのおかしいだろ。男が責められるとか誰が得するんだよ。真白さんがされる側なら観覧料がとれるだろうに。
「すーっごい反応。黒川君こそ、今の姿をクラスの皆さんに見られたらどう思われるんでしょうね」
「……生憎、俺には親しい奴はいないからな。誰も興味なんて持たないだろ。真白さんと違って」
「それはどうでしょう。黒川君はお顔も整っていますし、有名人さんでもあります。密かに憧れている子もいるんですよ」
さらりと言い切った。真白さんの友達にそういう子が居るのかもしれない。
きっと真白さん以外の誰か。注意深く観察すれば、誰か分かると思うけど……。
「興味ないな。そういうのはこりごりなんだ」
名前も知らない女子にちやほやされたり、呼び出されたり。
他の誰かにとっては羨ましいことでも、俺には苦痛でしかない。
当然だ。相手は俺じゃなくて『動画に出てる人』を求めて来ているのだから。
鬱陶しいって思うのに、俺はそんな奴らの期待に応えずにはいられない。俺を囲む人が増えれば増えるほど、俺という人間は薄っぺらくなってしまう。
「こりごり……かぁ」
真白さんは妙に実感のこもった声で呟く。
「黒川君の気持ち、分かる気がします。私もショーケースに並べられたお人形さんみたいに扱われるのはいやですから」
「ショーケース?」
聞き返すと、真白さんは何かを言いかけて、悩むように間を開けた。
「……ごめんなさい、なんでもないです。黒川君に比べたら、私の悩みなんてずっとちっぽけなものですし」
そしてごまかすように言う。
「……確かに悩みには大きい小さいがあるかもしれない。でもどんな悩みだって、軽んじるのは違うと思うけど」
「……そうですか。でしたら、最近の悩みを聞いてもらえますか?」
返ってきたのは、さっきまでの暗い雰囲気がまるでない期待のこもった声だった。
意味が分からずとりあえず神妙な顔をして頷くと、後ろで真白さんが笑った気がした。
「それじゃあ私のこと、名前で呼んでください」
「今そんな話だったか?」
「いつまでも名字なのは他人行儀といいますか……距離を感じていやなんですよ」
俺の知る限り、真白さんを名前で呼ぶ男はいないはずだ。なのに俺が急に彼女を名前で呼んだりしたらどうなるだろうか。
面倒なことにしかならない気がする。
「あの……いやなら、いいんですけど」
沈むような声に、断れるわけがない。
「えっと、それじゃ……妃奈――って、痛っ。……耳を引っ張るなよ。言う通りに名前で呼んだだろ」
「妃奈様、でしょ」
距離を感じるとはなんだったのか。
「他人行儀は嫌で、上下関係は良いのかよ」
「女王様を呼び捨てなんて、本来なら不敬罪で斬首ですよ? だけど私は優しいので、えいっ」
細くて温かい真白さんの指が、クリームを掬うように俺の首筋を優しく撫で上げた。
与えられた感触に、俺はみっともなく身体を震わせてしまう。
「やめろって! くすぐったい」
「ふふ、まぁたご主人様に反抗ですか? そんな悪いり……凛音わんちゃん……には――」
急に言い淀んだな。男を名前で呼ぶのは恥ずかしいらしい。そこに触れるのはなんだかかわいそうだし、今回はスルーしておくか。
「――し、しっかりと躾をしないといけませんね! 『イケ犬』のアリスもそう言ってましたから!」
「そのアリスってのは本当に主人公なのか? 台詞が完全に悪役だぞ」
「り、凛音君こそ、悪役の変態貴族みたいなことしてます。女の子にこんな恥ずかしい服を着せて喜ぶだなんて」
「……心外だな。その衣装は妃奈……様が喜ぶと思って選んだんだ。真心を込めてな」
俺も言い淀んでしまった。やっぱり様付けはおかしいよな。やめようかな。
「下心の間違いではないですか?」
「下心しかなければ、それは真心だと思う」
「開き直りましたね。はい、有罪です」
布の擦れる音が耳元で鳴る。妃奈様……妃奈の手が、俺の頭に伸びていく気配がした。
「今日はたーくさんくすぐって、これでもかってくらいもみくちゃにしてあげます。主人の私に二度とえっちな悪戯ができないように、ちゃーんと分からせてあげますから」
ふわりと、俺の頭を温かな手が掴む。
髪を弄ぶようにぐしゃぐしゃと動かすそれは決して乱暴には感じず、どこか慎重で大切なものを扱うような優しさが感じられた。
SMにしては刺激が足りないと思うけど、妃奈らしくてこれはこれで悪くない。
「……ん?」
真っ暗だった視界に、ふいに光が入り込む。
頭を撫でられてタオルがずれたみたいだ。鼻の上にタオルの縁が被さってできた隙間から床が見えている。
「えっと、痛かったですか?」
「いや、むしろ『痒い所はございませんか?』とか聞いて欲しいくらいだ」
「……むー、美容室じゃないんですよ。真面目にやってください。……それにしても、わんちゃんの髪はふわふわサラサラで気持ちいいですね。ちょうどいい癖っ毛がすごく羨ましい。エターナルにもふれます」
「本物の犬みたいに触るな」
後ろから髪を弄び続ける妃奈はタオルがズレたことに気がつかない。
伝えてもいいんだけど、撫でるような手付きが気持ちいいんだよなぁ。これを止められるのは少し惜しい――。
「――次は前からやっちゃいますね」
フローリングの上を這うような音と共に、僅かな視界になにかが映り込む。
「よいしょっと」
それは膝立ちのまま歩いてきた妃奈の太ももだった。彼女は移動を終え、ぺたりとお尻から座りこむ。
そんな子供っぽい仕草の後に見えたのは、大人顔負けの立派な胸の谷間。
「!?」
大胆に開かれた衣装から零れてしまいそうなそれが、無防備に揺れている。
制服の上からでも分かる大きさと、制服越しでは分からない質感。その全てから、俺は目を離せない。
「いい子にしていてくださいね、私のわんちゃん」
妃奈は俺の視線に気付いていない。
普段から多くの無遠慮な視線に晒されている彼女はガードが固く、胸どころか足すらも晒すことはほとんどない。
妃奈が見られたくない場所を覗かれていると知ったら、果たしてどんな反応をするだろうか。
重くのしかかる罪悪感と、込み上げるような優越感。ふたつの感情が胸の鼓動を早めていく。
「それでは失礼して……ぐーにぐーにっと」
「……んあっ。やへろっ」
ぺたりと俺の頬を挟んだ妃奈の両手が言葉通りぐにぐにと動き、俺はただ顔芸を披露するだけの置物に成り下がる。
「……じひにひひゃい」
「ふふっ……ふふふっ。なに言ってるのか全然分かんない……!」
声を震わせるほど俺の顔は面白いのだろうか?
だったら俺も遠慮なく見てやろうと、妃奈の胸元へ再び視線を落とした。
「……!」
出かかった声を、喉の奥でせき止めた。
危うく間抜けな声を出してしまいそうになるほど、その光景が衝撃的だったからだ。
「ふふーっ。わんちゃんのほっぺをむーにゅむにゅー」
俺の頬を触る妃奈の両腕が、彼女の胸を脇から挟み、寄せていた。
深くなった谷間が、まるで何かを挟んでいるかのようにむにゅむにゅと動く。
パン粉を捏ねるように胸が形を変え、服との間に際どい隙間を作る。
それで分かったが、やっぱり妃奈はブラジャーを外しているらしい。
蛍光灯の光すら反射しそうな艶やかな曲線。その中心が見えてしまいそうな予感に、俺は思わず息を呑む。
「ほっぺが柔らかくて女の子みたい。羨ましいですねー」
いやいや、妃奈の女の子の部分の方がずっと柔らかそうだから。へこんだり弾んだりしてるから。
「それにスベスベです。いつまでも触ってたくなります」
俺もエターナル揉みしだきたいです。
「今度はツンツンしちゃいましょう。ほっぺの真ん中にえくぼを作って、私好みの可愛いわんちゃんにしてあげます」
やめてくれ。俺もたわわの真ん中をツンツンしたくなる。
「……」
好き放題していた手が、ぴたりと止まった。
「……妃奈、さま?」
返事はない。
彼女の手が俺の頬からゆっくりと離れ、剥き出しの太ももの上にお行儀よく戻って行く。
見てたのがバレたか?
でもそれなら怒るか恥ずかしがるよな。急に黙り込むことはないと思う。
だとしたら、なにか他の理由が――
「凛音君」
それはさっきまでの楽し気な声とも、名前を呼びながら恥じらう声とも違った。
どこか思いつめたような、ピンと張り詰めた声。
「……どうした?」
「今だけ……何も言わずに、私のやることを許してください」
視界の端で、妃奈は膝立ちになる。
続いて感じたのは、包み込むような気配とすっかり慣れた甘い匂いだった。
「……」
何をされたか気付いて、顔が沸騰しそうなほど熱くなる。
俺は抱かれていた。頭を、妃奈に。
もちろん恋人同士のようにぎゅっと密着しているわけじゃない。
下を見れば香り立ちそうな程に近づいた胸が視界を埋め尽くそうとしているわけで、それはつまり、その感触を味わうにはまだまだ遠いということだ。
腕を頭に回しただけ。抱きしめるというより、包み込むと言い換えるのが正解に思える体勢。
なんでそんなことを……なんて言葉は、呑み込んだ。今は何も言わない方がいいと思ったし、彼女もそれを望んでいたから。
「……」
とはいえだ。
目の前に広がる胸だけでもきついのに、仄かに鼻孔をくすぐる彼女の甘い匂いと、緊張していたのだろうか、微かに香る汗の匂いが俺の理性をつついてくる。
頭越しに感じる彼女の細い指は、さっきよりもずっと慎重で、壊れ物を扱うかのように俺の頭を撫で続ける。
熱を帯びた吐息が、耳たぶをくすぐるように掠めて消えた。
戸惑いとは別に、本能的な何かが身体に満ちていくのを感じる。
それは子供の頃にはなかった感情で、だからこそ知りたいと思った、本当の自分への手がかりで――。
「……いきなりごめんなさい」
理性の壁なんて、衝動のままに突き破ってしまいたくなる。
「なんだか急に、寂しくなってしまいました」
俺を抱きしめたまま呟く彼女は、いつもより大人っぽくて――、
「こんなのおかしいですよね。寂しくなるようなことなんて、なにもないはずなのに。急に感情がバグっちゃって……」
濡れた声が、艶を帯びていて――、
「ごめんなさい、私って変ですよね。本当はこんな私、見られたくなかったのに。……やだなぁ、幻滅されたかもって思うと、もっともっと怖くなるんです。離れなきゃって思うのに、身体が思う通りに……動いてくれない……」
震える腕が、何を求めているか分かってしまって――、
「いつもいつも、思う通りにはいかないんです。でも、それでも――」
妃奈が何を言っているのか、もう耳に入ってこなかった。
聞かなくて正解だ。後に続くのは、自分を誤魔化すような言葉の羅列だと思うから。
本当の自分とは、程遠い物だから。
「えっ……」
だから俺は――、
「凛音……君?」
彼女の言葉を封じ込めるように、強く、強く。
その細い身体を、抱きしめた。




