第九話 差し押さえの競売
砦の中庭に、触れ書きが打ちつけられていた。
――魚市ギルド長ボルガの差し押さえ財産を、競りにかける。品は、船二隻、港の倉庫一棟、ならびに倉庫の中身一切。支払いは金貨にて、競り落としたその場で行うこと。
わたくしは、触れ書きを頭から三度読んだ。
「また三度か」
隣で、グリムがあきれたように言った。
「ええ。最後の一行が、気に入りましたの」
「支払いは金貨にて、か」
「その場で、とも書いてありますわ」
グリムは、触れ書きとわたくしの顔を見比べて、ふん、と鼻を鳴らした。
手元の金貨は、二千五百。首飾りを売った千五百に、積荷保険を引き受ける代表の取り分が積もって、取引所を立ち上げた払いを済ませた残りだ。
◇
競りの朝、砦の中庭には三十人ほどが集まっていた。
港町の商人たち。盟約の顔も何人か見える。漁師たちは、遠巻きに中庭の門のあたりに固まっていた。かつて自分たちの魚を王都へ運んでいった船が、誰の手に渡るのかを見に来たのだ。
その中に、見慣れない男がひとりいた。
細身で、仕立てのいい外套を着ている。指には、王都の商会ギルドの紋を彫った指輪。
「王都から、昨日の船で来た方ですよ」
ハンスが、わたくしの耳元でささやいた。
「商会ギルドの長の、代理だそうで。港の船を、王都に取り戻しに来たんでしょう」
「取り戻す、というのは?」
「ボルガの船は、もとはギルドの長が金を貸して造らせたものだって話です。ボルガが潰れて、貸した金も焦げついた。船ごと取り返して、またこの港の魚を握りたいんでしょうな」
わたくしは、男の横顔を眺めた。
港の魚を握る、ということは、鈴懸の木の下の値を、また王都の言い値に戻すということだ。
◇
競りを仕切るのは、老役人だった。
中庭の真ん中に机を出し、帳面を広げ、その横に、例の秤が置いてある。ひしゃげた王の紋の隣に、新しい検定印が並んだ、あの秤だ。
「では、始める」
老役人が、帳面を読み上げた。
「船二隻。倉庫一棟。倉庫の中身一切。まとめて一つの品とする。金貨五百枚から」
「六百」
最初に声を上げたのは、盟約の船大工の親方だった。
「七百」
塩商の親父が続いた。
「千」
王都の男が言った。
中庭が、少しざわめいた。船大工の親方が肩をすくめ、塩商の親父が首を振る。港の商人の懐で出せるのは、せいぜいそのあたりまでだった。
「千二百」
わたくしは言った。
王都の男が、ゆっくりとこちらを振り返った。わたくしの顔を見て、それから、わたくしの着ている古い外套を見た。
「千五百」
「千七百」
「千八百」
男は、すぐに返してきた。迷いのない声だった。
わたくしは、扇を開いた。
「二千」
男が、眉を寄せた。それから、隣にいた従者に何かを耳打ちした。従者が、懐から分厚い紙束を取り出す。
「二千二百。――支払いは、祝福債で」
中庭が、またざわめいた。
男は、紙束を机の上に置いた。聖女の印と、大聖堂の紋が刷られた証書が、何十枚も重なっている。
「額面で、金貨二千二百枚分。年に二割の利息がつく。金貨より、よほど値打ちがあるでしょう」
老役人が、証書を一枚つまみ上げて、しばらく眺めた。
それから、わたくしのほうを見た。
わたくしは、触れ書きを指さした。
「支払いは金貨にて、競り落としたその場で行うこと。触れ書きには、そうございますわ」
男の顔から、表情が消えた。
「祝福債は、王家が利息を保証しておられる。金貨と同じことだ」
「同じでしたら、金貨にお替えになればよろしいのでは? この港にも、両替商はおりますわ」
わたくしは、ハンスのほうを見た。
ハンスは、申し訳なさそうに肩をすぼめた。
「……今朝、店にある金貨は、ぜんぶでも三百枚ほどでして。近ごろは、皆さん祝福債ばかりお持ちになるもんで、金貨がとんと回ってこないんですよ」
男の指が、紙束の上で止まった。
老役人が、帳面を閉じた。
「触れ書きのとおりだ。金貨で払えん値は、値として数えん。――二千。ほかには」
中庭は、静まり返っていた。
男は、何も言わなかった。言えなかったのだ。王都の商会ギルドの長は、金庫の金貨の多くを祝福債に替えていたのだろう。代理の男に持たせられたのは、紙の束だけだった。
「二千で、決まりだ」
老役人が言った。
わたくしは、袋から金貨を出して、机の上に積んだ。
グリムが、一枚ずつ数えていく。老役人が、それを秤で量った。王の秤で量った金貨の目方は、ぴたりと二千枚分だった。
◇
中庭を出るとき、王都の男とすれ違った。
「……追放された女が、金貨を二千枚も」
男は、低い声で言った。
「どこから出てきた金だ」
「正直に稼いだお金ですわ。少なくとも、紙ではございません」
わたくしは、立ち止まらなかった。
「ギルド長様に、よろしくお伝えくださいな。次は、金貨を持っていらしてね、と」
背中で、男が奥歯を噛む音が聞こえた気がした。
◇
倉庫の扉を開けると、塩の匂いがした。
樽が、天井近くまで積み上がっている。グリムが、入り口に立ったまま、樽の数を目で数えた。
「四百十二。差し押さえの目録と同じだ」
「やっぱり、売り払わずに残しておりましたのね」
「ボルガは、王都の塩が値上がりするのを待っていた。荷改め所の帳面に、仕入れの日付が残っている」
競りに出たのは、船と倉庫と、その中身一切。
王都の男は、船にしか値をつけていなかった。目録に書かれた「中身一切」を、空の倉庫だと思っていたのだろう。触れ書きを、最後まで読まない人だった。
「この塩、どうする」
「盟約の皆さまに、板の値でお分けしますわ。秤で量って、鈴懸の木の下で」
グリムは、黙って帳面に書きつけた。
◇
その日の夕方、鈴懸の木の下で、盟約の合議が開かれた。
議題は一つ。船主の替わった二隻の船の荷に、盟約の積荷保険を引き受けるかどうか。
「保険は、船主か、船を使う者が替われば切れる。新しい船主の船に引き受けるかどうかは、盟約が合議で決める」
グリムが、規則書の保険の条文を読み上げた。あの篝火の夜にも読んだ一条だ。
わたくしは、席を外した。
手形の判定には、その手形に関わる者は加わらない。規則書にそう書いたのは、わたくし自身だ。保険の条文にその定めはないけれど、自分の船のことを、自分で決めるわけにはいかない。
鈴懸の木から少し離れた石段に腰を下ろして、わたくしは広場を眺めていた。篝火の向こうで、二十三人が顔を寄せ合っている。
ほどなくして、マルタが走ってきた。
「通ったよ。全員一致」
「ありがとう存じますわ」
「船乗りの親方が、明日から乗るってさ。保険のある船なら、って」
マルタは、少し得意そうだった。
「あたしも、手を挙げたからね」
◇
錨亭に戻ると、帳場の上に、わたくし宛ての手紙が置いてあった。
封蝋には、騎士団の紋。
宿のおかみが、にやにやしながらこちらを見ていた。
「騎士団長様からだよ。早馬で」
「お仕事のお手紙ですわ」
「へえ」
わたくしは、手紙を持って部屋に上がった。
封を切ると、短い文面だった。ルーカスらしい、飾りのない字だった。
――祝福債は、兵舎の者の半分と、王都の孤児院の三つが持つに至った。王家は利払いの元手として、北の鉱山の税を当てると、昨日布告した。北の鉱山の採掘組合の持分札は、布告ののち値を上げている。
――残りの一隻の帝国の船は、まだ港を出ていない。部下からの知らせはない。
――以上。
以上、で終わる手紙を、わたくしは初めて受け取った。
それでも、二度読んだ。
北の鉱山の税。
王家の保証は、王家の金庫そのものではなく、北の鉱山から上がる税に乗っている。
祝福債の利息は、新しく買う者の金で払われている。それが続かなくなったとき、人は「王家が払ってくれる」と信じている。けれど、その王家の金は、北の鉱山の税から出る。
鉱山が揺らげば、王家の保証が揺らぐ。
王家の保証が揺らげば、祝福債が崩れる。
兵舎の半分と、孤児院の三つが、それを持っている。崩れるのが遅くなればなるほど、持つ者は増える。
わたくしは、手紙をたたんだ。
「……崩す場所が、もう一つ見えましたわ」




