第二十四話 逃げない詐欺師
祝福債は、売れ続けていた。
王命が出てからの十日で、大聖堂の窓口の列は、むしろ長くなった。路上と広場で行き場を失った金が、屋根のある場所へ流れてくる。
控えの間の窓から、リリアはその列を眺めていた。ギルドの長が毎晩届けてくる売り上げは、毎晩、前の晩より大きかった。
あの人は、王都で祝福債を売れない。四万を抱えたまま、期日の冬至を待つしかない。
勝った、とリリアは思った。
思っただけで、口には出さなかった。
◇
それでも、リリアは逃げ道を数えた。
前の世界で覚えた習慣だった。どれほど勝っていても、出口の数だけは毎晩数える。数えずに眠った者から、捕まっていく。
一つ目。海。
南の港の商会の船には、乗り手がいない。帝国の船も、もう来ない。海は、塞がっている。
二つ目。陸。
帝国の船乗りを追ってから、騎士団長は関所の検めを厳しくしている。陸は、細い。
三つ目。運河。
運河は、船頭組合の自治。王命は及ばない。河港から川を下れば、国の外へ出られる。
王命の文言を決めるとき、運河も入れろと言った者がいた。王都の市場を預かる、市場奉行だ。リリアは、組合の自治を理由に、それを止めた。
本当の理由は、別にあった。
逃げる道は、開けておくもの。
あの人の百艘の舟も、いざとなれば運河から逃げるためだろう。同じ出口を、二人で開けておく。それで構わない。
あの舟で祝福債を売るつもりだとしても、買う者はいない。王都で祝福債を買うのは、窓口に並ぶ民と、値を支えるギルドだけ。民は路上に出られず、ギルドは、わたしの言うことしか聞かない。
◇
出口があっても、持ち出すものがなければ意味がない。
王家の金庫の金貨は、もう薄い。造幣所の台帳を見たことはないが、利払いの帳面を見れば分かる。魔石は重く、祝福債は崩れれば紙になる。
紙一枚で持ち出せて、崩れない金に替えられるもの。
リリアは、窓の外の、南の空を見た。
あの人の港の、取引所の為替手形。
懐に入れてどこへでも運べ、差し出せば、目方の足りた金が払われる。
それに、あの人は、契約を破れない。あの人自身が振出人の欄に署名すれば、その手形は必ず払われる。
この国で、いちばん安全な紙だった。
◇
リリアは、手に入れておいた規則書の写しを、もう一度広げた。
――取引所が振り出す手形の券面には、「本手形は取引所規則に従う」と記す。
――詐取した資金で振り出された手形は、振り出しの時点にさかのぼって無効とする。ただし、事情を知らずにその手形を受け取った者には、盟約が券面の金額を支払う。
――手形の判定は、判定される手形に関わる者を除いた、全員の一致による。
祝福債は、大聖堂が出し、王家が利息を保証した債券だ。詐取ではない。
それに、関わる者。振り出した者と、求めた者。求める側は盟約の外だから、外れるのは振出人のあの人だけだ。
残る二十三人には、帆布屋と、干し肉屋と、縄屋がいる。三人のうち、一人でも無効に反対すれば、手形は無効にならない。
一人でいい。
◇
その夜、リリアは、白い外套の男を呼んだ。
「南の港町へ行って、取引所の為替手形を、少しずつ買い集めてください。旧金貨で。あの取引所は、秤で量りますから」
「旧金貨は、王都にはもうほとんどございません。港の両替で、割増を払って替えるしか」
「それで構いません」
割増は、あの人の懐に落ちる。癪だった。けれど、紙一枚で逃げられるなら、安いものだ。
「それから」と、男が言った。「港には、盟約の外の者が手形を求めるときは、盟約の者の仲立ちが要るという決まりがございます」
「では、こちらの話を聞く方々に」
仲立ちは、話をつなぐだけの者だ。手形を払う者でも、受け取る者でもない。手元の写しには、仲立ちのことは一行も書いていない。写しのあとに、条が足されたのだろう。けれど、判定の条を改めるには、全員の一致が要る。あの三人が座っている限り、こちらに不利な改正は通らない。リリアは、頭の中で票を数えた。
男が下がりかけたところで、リリアはもう一言、付け加えた。
窓の外の南の空を、見たまま。
「振出人の欄には、あの人の名を。わたしには、それがいちばん安全に思えます」




