第二十話 門番の給金
「ヴァイスベルク公爵家への貸しを、手放したがっております」
桟橋で、オットーが声を落として言った。
「私どものギルドの長が、です。大司教様への貸しが焦げ付きまして。公爵様への貸しは、額面で金貨一万枚。それを、三割で買う者がいれば、と」
「公爵家は、なぜそれほど借りておりますの?」
「北の鉱山でございますよ。東の斜面の採掘権まで買い取られて、坑夫を集めるのに、借りて、借りて。ところが坑夫どもが、目方の足りん新しい金貨では働かんと言い出しまして。旧金貨で払うには、割増が要る。断罪のあと、王家から何かを賜ったそうで、それを元手に始められたとか」
旧金貨の割増を払っている相手の一人は、わたくしだった。
公爵家の金は、娘を売った証言の見返りだ。嘘で得た金から割増をいただくのに、ためらう理由はない。
「三割で、お買いいたしますわ」
◇
王都の門をくぐったのは、追放されて以来、初めてだった。
門番の兵が、わたくしの顔を見て、何か言いかけた。わたくしは、懐から令状を取り出して見せた。
――右の者、身分を剥奪し、以後の住まいを南の港町ヴェルムと定める。
「住まいは、南の港町ですわ。王都には、用があって参っただけ」
兵は、令状を三度読んだ。それから、困ったように隣の兵に見せた。
「……立ち入るな、とは書いてないな」
「ええ。書いてございませんの」
◇
ヴァイスベルク公爵家の屋敷は、王都の東の丘の上にあった。
わたくしが生まれた家だ。
競りを申し立てたのは、額面一万の貸しを三千枚で買い取った債権者、わたくしだった。触れ書きには、旧金貨でなければ値として数えない、ただし債権者は債権で代金に充ててよい、と書かせてあった。王都の貴族は、誰も来なかった。
「金貨八千枚」
わたくしは言った。
ほかに、声はなかった。
代金は、手元の債権と相殺した。残りの二千は、まだ父の借金として、わたくしの帳面に残っている。
◇
屋敷の門の前に、父が立っていた。
白いものの混じった髭。わたくしと同じ、灰色の目。
断罪の広間で、床を見つめたまま証言した人だった。娘は、王家転覆を企てておりました。わたくしは父として、これを見過ごすことはできませぬ。
あの夜、父は一度もわたくしの目を見なかった。
今日も、見なかった。
「……何をしに来た」
父は、門の鉄格子を握っていた。
「屋敷を、いただきに参りましたの」
わたくしは、裁き所の書付を広げて見せた。競りで落とした屋敷の、受け渡しの書付だった。
父の指が、鉄格子の上で白くなった。
「お前が、あの広間でおとなしく裁かれていれば。南の港で、おとなしく朽ちていれば。わしは、何も失わずに済んだのだ」
「ええ。そうでしょうとも」
わたくしは、もう一枚の書付を取り出した。グリムが王都の荷改め所の仲間を通じて手に入れた、下賜の写し。
――ヴァイスベルク公爵に、王家の安寧に資する証言をなした功により、北の鉱山の採掘組合の持分札五百を下賜する。
日付は、断罪の夜の翌日だった。
「お父様が何も失わずに済むために、わたくしは王家転覆を企てたことになりましたのね。五百枚で」
父の目が、写しの上から逸れた。
「……札は、もうない。鉱山が枯れたと噂が立った折に、半値で投げた。跳ね上がった札を買い戻せず、東の斜面に手を出して、ギルドから借りたのだ」
鉱山が枯れた、という噂。
流したのは、わたくしだった。
「……わしは、どこへ行けばいい」
「どこへでも。と、申し上げたいところですけれど」
わたくしは、もう一枚の紙を取り出した。
「お仕事を、ご用意いたしましたの」
父が、初めて顔を上げた。
わたくしと同じ灰色の目が、わたくしを見た。
「この屋敷の、門番ですわ」
◇
書面は、わたくしが書いた。
雇い主と雇われる者の名。仕事は、屋敷の門の番。給金は、王都の門番の相場どおり、月に金貨五枚、月の終わりに払う。ただし、雇われる者が雇い主に負う借金の返済として、そのうち二枚を毎月差し引く。父が辞めると申し出るか、わたくしが身柄を拘束されたときは、この契約は終わる。辞めるときは、残りの借金を一度に返す。
父は、一度で読み終えた。辞めるには、二千を一度に返さなければならない。返せる金は、一枚もない。
父は、長いこと、紙の上の自分の名の欄を見ていた。
「なぜ、わしを雇う」
「あの夜、仰いましたでしょう。父として、これを見過ごすことはできませぬ、と」
わたくしは、ペンを父に差し出した。
「でしたら、この門の前で、わたくしの屋敷を見張っていてくださいな。今度こそ、何も見過ごさずに」
父の手が、震えた。
それでも、父はペンを取った。かつて公爵家の当主として、何百もの書面に書いてきた名を、門番の雇い入れの書面に。
わたくしは、紙を受け取って微笑んだ。
「お給金は相場どおりにお支払いしますわ、お父様」
父は、何も答えなかった。
門の鉄格子の向こうで、かつて自分のものだった屋敷を、黙って見上げていた。
◇
その夜、わたくしは、生まれた家の、自分の部屋だった場所で眠ることにした。
家具は差し押さえられ、窓辺に古い椅子が一つあるだけだった。窓の外で、門の灯りが揺れていた。父が、そこに立っている。
憎んでいるのか、と自分に尋ねてみた。
答えは、出なかった。ただ、あの灯りの下に父が立っていることを、帳面に書くように覚えておこうと思った。今日から毎月、二枚ずつ減っていく数字として。
窓辺で、グリムから預かったこの局の出入りの写しを広げた。
旧金貨の割増と秤の取り分が、合わせて六千。舟の代金、二千。おかみの札とルッツの路銀と手紙の代金で、二百五十。父の債権、三千。
手元に、三千二百と少し。
借りた祝福債は、額面四万、一枚も売らずに港の箱の中にある。
扉を叩く音がした。
使いの少年が、一通の手紙を差し出した。白い封筒。封蝋には、大聖堂の紋。
――エレオノーラ様
――お話ししたいことがございます。互いのために、よいお話になればと願っております。王都にいらしているうちに、お目にかかれれば。
――リリア
願い。嘘にはならない言い方だ。あの方らしい。
わたくしは、門の灯りを見下ろして、扇を開いた。
「……もう一度、ごきげんよう、同業者さん。お待ちしておりましたわ」




