第十五話 軽い金貨
「お嬢さん、ちょっと見ていただけますか」
ハンスの店の帳場で、天秤が片方に傾いていた。
左の皿には、金貨が十枚。右の皿にも、金貨が十枚。数は同じなのに、左の皿が沈んでいる。
「左は、お嬢さんが競りで払ったのと同じ、古い金貨です。右は、先週王都から下りてきた新しい金貨」
ハンスは、分銅を一つ、右の皿に足した。それで、ようやく釣り合った。
「数は合うのに、目方が合わないんですよ。三十年両替をやってきて、こんなのは初めてで」
わたくしは、新しい金貨を一枚つまみ上げた。
王家の紋。縁の刻み。どこから見ても、本物の金貨だった。ただ、指に載せると、どこか頼りない。
「ハンス。この新しい金貨、店にどれくらいありますの?」
「千枚ほど。王都の商人が置いていったもので」
「お借りしてよろしいかしら。公の秤で、量ってみたいの」
◇
鈴懸の木の下に、千枚の新しい金貨が運ばれた。
マルタが分銅を並べ、グリムが帳面を開く。港の商人たちが、何事かと集まってきた。
公の秤の皿に、金貨が積まれていく。百枚。五百枚。千枚。
マルタが、分銅を動かした。もう一つ。もう一つ。
それから、顔を上げた。
「……古い金貨の、九百枚分しかない」
広場が、ざわめいた。
競りの日、王の秤で量った古い金貨は、ぴたりと二千枚分だった。けれど、王都から下りてきた新しい金貨は、千枚で九百枚分。
一割、軽い。
「混ぜ物だな」
グリムが言った。
「金を減らして、銀か銅を混ぜている。見た目では分からん。量らなければ」
わたくしは、秤の皿に積まれた金貨の山を見下ろした。
王家は、金貨を薄めている。
なぜか。考えるまでもなかった。祝福債の利息は、年に二割。新しい買い手の金で払いきれなくなれば、王家が保証した分を払わなければならない。払う金貨が足りなければ、金貨を薄めて、数を増やすしかない。
◇
翌朝、鈴懸の木の下の板に、新しい行が加わった。
――旧金貨、一枚。新金貨、一枚と一割。
「なんだ、これは」
板の前で、細身の男が眉をひそめた。
仕立てのいい外套。商会ギルドの紋の指輪。競りの日に紙の束を抱え、わたくしから船と倉庫を買っていった、あの男だった。
男の後ろには、荷車が三台並んでいる。王都へ運ぶ鯖を、まとめて買いつけに来たのだ。
「書いてあるとおりですわ」
わたくしは言った。
「新しい金貨は、古い金貨より一割軽い。公の秤で量ったら、そうでしたの。ですから、この市では、新しい金貨は一割増しでお支払いいただきます」
「金貨は金貨だ。王家の紋が打ってある」
「紋の目方は、量りませんの。量るのは、金の目方ですわ」
男の顔が、こわばった。
「この港の値を、勝手に決める気か」
「決めるのは秤ですわ。お疑いなら、どうぞ」
マルタが、秤の皿を空けて待っていた。
男は、秤とマルタと、板を順に見た。それから、漁師たちのほうを振り返った。漁師たちは、誰ひとり籠を差し出そうとしなかった。秤で量らない金貨を受け取る漁師は、もうこの港にはいない。
そのとき、桟橋のほうから声がした。
「私どもは、旧金貨でお支払いいたしますよ」
オットーだった。灰色の上着の番頭が、王都から着いたばかりの船から、重そうな袋を担いで降りてくる。
「目方で量っていただいて構いません。私どもの船は、ずっとそうしてまいりましたので」
漁師たちが、一斉にオットーの船のほうへ籠を運びはじめた。
細身の男は、空の荷車三台の前で、しばらく立ち尽くしていた。
「……旧金貨を、どこで手に入れろと言うんだ。王都では、もう新しい金貨しか出回っておらん」
「わたくしが、お売りしますわ」
わたくしは、扇を開いた。
「旧金貨一枚を、新金貨一枚と二割で。秤で量る相手に払うなら、旧金貨がお入り用でしょう?」
男は、奥歯を噛みしめた。
それから、新しい金貨の袋を、わたくしの前に置いた。
マルタが、新しい金貨を量った。わたくしは板の前に立ち、白墨で一行書き足した。
――旧金貨一枚、新金貨一枚と二割にて、成る。
売り値の百分の一を、盟約の箱へ。規則書のとおりに。
◇
手元の二千五百枚は、どれも王の秤で量っても軽くない旧金貨だった。グリムが、一枚残らず量って確かめた。大聖堂の使いから受け取った免罪符の代金は、ギルドの刻印こそあれ、去年までに打たれた旧金貨だった。
秤で量る市には、旧金貨が要る。そして王都の商人たちは、とっくに祝福債と新しい金貨しか持っていない。
グリムが、帳面の一頁を開いて、わたくしの前に置いた。
【一回りの勘定】
・王都の商人に、割増をつけて売る……旧金貨が一枚出て、新金貨が一枚と二割入る
・港の正直な商人から、目方どおりに買い戻す……旧金貨が一枚入り、新金貨が一枚と一割強出る
・残り……旧金貨は増減なし。新金貨が九分ほど残る(盟約の百分の一は別)
旧金貨は、一回りすれば手元に戻ってくる。残るのは、新金貨の九分だけ。
買い戻す相手は、新しい金貨を目方どおりに受け取ってくれる正直な商人たち。オットーの船の商人。港の盟約の者。
グリムが、帳面に数字を書きつけた。
「王都の荷が増えれば、ひと月で千と五百は残る」
「それくらいでよろしいわ」
わたくしは言った。
「正直な方々の旧金貨には、目方どおりの値しかつけませんもの。割増をいただくのは、軽い金貨を押しつけたい方々からだけ」
◇
夕方、ハンスの店の帳場で、わたくしは銀貨の袋を置いた。
「錨亭のおかみさんの札を、譲っていただけますかしら」
ハンスは、少しだけ目を丸くした。それから、帳場の奥へ引っ込んで、角の擦り切れた羊皮紙を一枚持ってきた。北の鉱山の、持分札だった。
「わたしが買ったのは、一枚十四でした。その値で結構です」
「今の値は、百を超えておりますわよ」
「わたしは、これで儲ける気はありません」
ハンスは、札をわたくしの前に置いた。
「それに、お嬢さんがこれをどうなさるつもりか、だいたい分かりますんで」
わたくしは、銀貨で金貨十四枚分を払った。グリムが、それも帳面に書いた。
「これを、おかみさんにお返しくださいな。誰から、とは仰らずに」
「お嬢さんから、とは言いませんよ」
ハンスは、札を懐にしまった。
「言わなくても、分かると思いますがね」
◇
その夜、錨亭の部屋で、グリムが帳面を広げた。
「もう一つある。大司教から借りた祝福債の、利札だ」
額面四万の祝福債には、半年ごとに利息を受け取るための利札がついている。札を切り取って大聖堂の窓口に出せば、二割の半分、一割分の金貨が払われる。
「今度の分で、四千だ。どうする」
「受け取りませんわ」
わたくしは言った。
「利札の金貨は、新しく祝福債を買った方々のお金ですもの。信じて買った方々のお金を、わたくしがいただくわけにはまいりません」
「では、捨てるか」
「利札は祝福債から切り取らずに、そのまま箱にしまっておいてくださいな。いつか、証拠になりますわ。お返しするのは、書面のとおり、同じ祝福債を同じ額面分。どの一枚でも構いませんの」
借りた祝福債は、まだ一枚も売っていない。売るのは、いちばん高い値で買い支える者が現れたときだ。
グリムは、黙って祝福債の束を箱に戻した。
「一割軽い金貨で、二割の利息か」
グリムが、蓋を閉めながら言った。
「ええ。利息を払うために金貨を薄め、薄めた金貨で利息を払う。薄めれば、払える数は増えますわ。けれど、金はどこからも増えません」
わたくしは、箱の上に手を置いた。
「……王家は、もう払えていないのですわね」




