落日
「、」
名前を呼ぼうとして、私は声が出なかった。視界にソドムさんを確認して、その顔、表情。どんな感情が浮かんでいるのかを目が見て、脳が判断した瞬間、ひゅっと喉が鳴った。
「おい」
体を強張らせた私に気付き、皇帝さんが訝るような声を出す。
「……」
ソドムさんは私を見ていた。
そしてこれまで、私は少し先にいるその人が私にどんな目を向けていたのか、はっきりと思い出させた。今とまるで「違うのだ」と、そう突きつけた。
失望や、落胆、そういった感情ではない。
路傍の石を見るような、ものを喋る何かしらの塊が動いているな、とそんな程度の、無関心な目。
「そうか」
何も言えないでいる私に向かってではなく、独り言のようにソドムさんが口を開く。確認や、理解、納得というような声だった。
「突然気配がわからなくなったので、いったい何事かと慌てたが。そうか」
「神獣、この娘を連れ戻しにきたのか」
金属音が皇帝さんの後ろからひっきりなしに聞こえた。その音が聞こえると、私の体の中でぞわぞわとして、咳をすると泥を吐く。ゲホゲホと咽ると、ラト伯爵が心配そうに私の背中をさすってくれた。けれどソドムさんは全く、その場から動かない。
あぁそうか、と私は納得した。
私の体が、ソドムさんの望むようなものから離れていっているんだ。
魔獣の器にしようとして、せっせせっせと、私を作り替えようとしていた。それが皇帝さんといる何かの神様によって「なかったこと」にされていく。そうなると、私を最初、私が最初に、処刑台で叫ぶ前に、私を放っておいたソドムさんに戻った。それだけのことだ。
他に、神獣さんの番になれる器。イドラ殿下の血を引いているというのなら、候補はいるのだろう。ラト伯爵も王家の血を、と言っていた。そうなるとラト伯爵やそのお子さんだって、なれるのだろう。
私は呻きながら、体を丸めながら、ソドムさんを見た。
そしてこれまで、どれだけソドムさんが私に感情を込めた目を向けてくれていたかを知る。
『宝砂殿』
記憶の中のソドムさんは、目を細めて、嬉しそうに、しあわせそうに、口元を緩めて、眉を少し寄せて、私の名を読んだ。
今は違う。まるで違う。
人が塵や汚物を見る目だって、そこには嫌悪という感情がこもっている。けれどもそれすらない。興味関心が一切なく、ただ視界に入る一つの塊程度の認識もない。
こんな風に、私を見るひとが、あんな顔をしてくれていたのか。
咳をする。ゲホゲホと泥を吐き続ける。口の中から、赤真珠やシャコ貝の欠片、これまで飲み込んだ宝石たちが吐き出された。
私はそれを拾わなかった。
吐いて吐いて咳をして、体をどんどん丸めて、膝をついて、苦しさで涙を流す。
「おい!神獣!!」
皇帝さんがいら立った声を上げた。私は反射的に顔を上げ、ソドムさんがくるりと踵を返す、その背と揺れる尾を見た。
あぁ、その尾が私の体に巻き付くことはもうないのだろう。
皇帝さんの制止もむなしく、ソドムさんが去って行く。皇帝さんは追いかけようと一瞬走り出したが、またキィインと金属音がして、そして私の方を振り返り、小さく舌打ちした。
「…………………立てるか」
皇帝さんは私とラト伯爵を置いていかなかった。
私の咳がおさまって来た頃に、水売りから水を買って私に渡す。
「俺と来い」
それしかないだろう、とは言わずに、皇帝さんは私に手を伸ばした。
このシーンが書きたくなくて更新を逃げ回っていました。
大変申し訳ございませんでした。




