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悪役令嬢を半年後に処刑するはずが、毎週お茶をするうちに冤罪だと気づきました  作者: 臥裳斗真


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第3話 死ななかったら、何がしたい


 処刑人には、首を落とす前に、その罪を確かめる権利がある。

 落としたあとで間違いに気づいても、首は戻らないからだ。

 もっとも、今では形だけ残った古い権利だった。

 判決は裁判官が出し、証拠は役人が調べ、処刑人は最後に呼ばれて、決められた日に決められた首を落とす。

 それで百年近く、誰も困らなかった。

 俺も困っていなかった。

 先週までは。


「閲覧の理由を」


 王都刑法院の書庫係は、隠す気もなく嫌そうな顔をした。


「執行前の確認」


「処刑人が、ですか」


「そう書いてあるだろ」


 机の上に、執行官章を置く。

 ヘンライン家の印を刻んだ、手垢で黒ずんだ銀の札だ。

 書庫係は札と俺の顔を、三回ずつ見比べた。


「この権利、まだ生きていたんですね」


「死んだとは、どこにも書いてない」


「使う人がいないだけで」


「今日は使う」


 書庫係がため息をついた。

 俺もつきたかった。

 先週までは、刑場で刃を研いで、毎週来る女の焼き菓子を食べて、決められた日に首を落とせばいい話だった。

 毒を見たことがない、と言われるまでは。

 運ばれてきた記録は、思っていたより厚かった。

 証言、押収品、毒の名前、購入の経路、日付。

 どの頁を開いても、話はきれいに通っている。

 通りすぎていて、角がない。

 最初に開いたのは、毒の購入記録だった。

 売ったとされる商人の名前で、指が止まった。

 ベルク・オーランド。


「……おい」


 誰に言うでもなく、声が出た。

 顔は思い出せない。名前は覚えている。

 刑場の人間は、名前と日付を一緒に覚える。それだけは間違えない。

 席を立って、書庫係に声をかけた。


「刑場の収監記録も出してくれ」


「今度は、何を」


「ベルク・オーランド」


「どなたです」


「死んだ男」


「この書庫では、珍しくもありませんが」


「俺が首を落とした」


 書庫係の口が閉じた。

 帳簿は、すぐに出てきた。

 ベルク・オーランド。罪状は窃盗と、押し込み先での殺し。

 刑法院の写しでは、ベルクが刑場へ移されたのは、毒を売ったとされる日の翌日になっていた。

 それなら、売れたことになる。

 だが、刑場の収監帳は違う。

 収監帳をつけているのは、うちの家だ。刑法院の誰も、こっちの帳面までは見に来ない。

 これを書いた誰かも、そう踏んだのだろう。

 指で日付を押さえたまま、もう一度、毒の調書を開く。

 毒を売ったとされる日の八日前に、ベルクは刑場の牢に入っていた。

 そして、売ったとされる日の三日後に、俺が首を落としている。


「……売れないだろ」


 紙に言っても仕方がないが、言った。

 毎朝、牢の前を通っていた。最後の三日は飯も運んだ。

 牢を抜け出して毒屋を開いて、また戻ってきたのでなければ、売れるはずがない。

 次に、証人の名前を拾った。

 宮廷の料理人、もと庭師、貴族の家の御者。

 名前だけなら、何も引っかからない。

 念のため、刑場の帳簿と突き合わせた。

 もと庭師は三年前に窃盗で捕まっていて、王太子派の貴族の口添えで減刑になっていた。

 御者は二年前に傷害で、同じく恩赦。


「二人もか」


 偶然と言えば、偶然だ。

 処刑人をやっていると、世の中がどれだけ偶然で回っているかよく分かる。

 たまたま酒を飲んで、たまたま刃物を持っていて、たまたま相手が死んで、たまたま裁判官の機嫌が悪かった。

 たまたまで、人は死ぬ。

 ただ、たまたま牢にいた男が毒を売って、たまたま恩赦を受けた二人が同じ女を指差す、となると、たまたまが働きすぎている。

 最後に、侍女への虐待の件を開いた。

 判決書では、長く虐待を受けていた侍女がいたことが、悪女の性根を裏づける材料にされている。

 刑場の帳簿に、同じ名前があった。

 ハンナ・レイス。

 鞭打ち二十。

 追放。

 罪名は、偽証。


「……偽証?」


 鞭刑は下役の仕事で、俺は立ち会っていない。

 帳簿には、何を偽ったのかまで書いてあった。

 裁判で、主人を庇った証言。


『ロゼリアお嬢様は、毒など見たこともございません』


 その一行を、二度読んだ。

 三度目は、読まなかった。



 その日のうちに、生まれて初めて疑義申立書を書いた。

 刃の重さなら分かる。縄の長さも分かる。人の首が、どの角度なら一度で落ちるかも分かる。

 本件判決につき重大な矛盾を認める、などという文は、書いたことがない。

 二枚書き損じて、三枚目で諦めた。字が汚いのは元からだ。

 毒商人の収監日。

 証人二名の恩赦記録。

 侍女ハンナの刑罰記録。

 全部書いて、最後に名前を入れた。

 執行官、ジーク・ヘンライン。

 墨が乾くのを待ってから、出した。

 三日後に返ってきた。

 封は開いていて、中の紙は一枚だった。

 判決に影響なし。


「早いな」


 笑いそうになった。

 三日かけて拾った矛盾を、向こうは一行で捨てた。

 処刑の日取りにも、執行官にも、変更なし。

 黙って、予定どおりにやれ。

 そう書いてあるのと同じだった。


「難しい顔をしておりますな」


 刑場へ戻る途中で、バルド司祭に呼び止められた。


「元からだ」


「今日は、三割ほど増しております」


「測るな」


「長く見ておりますので」


 爺さんは、教会の石段に腰を下ろしていた。

 隣に、いつかの新米神官がいる。俺を見ると、慌てて頭を下げた。

 俺は柱にもたれて、なるべくどうでもよさそうに訊いた。


「司祭」


「はい」


「昔の執行の決まり、まだ全部生きてるのか」


 バルドの眉が、少し動いた。


「さて。急に、どうなさいました」


「仕事の確認だ」


「珍しいですな」


「悪いか」


「いいえ。仕事熱心なのは、結構なことです」


「たとえばの話だ」


「はい」


「刃が折れたら、どうなるんでしたっけね」


 新米が、俺の顔を見た。

 バルドだけは、こっちを見なかった。

 空のほうを、少し見上げた。


「さて。百二十年、誰も折っておりませんからな」


 それだけだった。

 俺も、それ以上は訊かなかった。



 その週、ロゼリアは籠を持ってきた。


「今日は、あります」


 籠を少し持ち上げて見せる。


「別に待ってない」


「そうですか」


「猫がな」


「今日は、猫の分の肉もあります」


「用意がいいな」


「先週、何も持ってこなかったら、ずいぶん寂しそうでしたので」


「猫が?」


「管理人さんが」


「帰れ」


「来たばかりです」


 ロゼリアはいつもの二段目に座った。

 俺は隣ではなく、一段下に腰を下ろした。

 一つ取って、黙って食べた。

 日が傾きはじめたころ、ロゼリアが処刑台を見上げた。


「上へ、行っても?」


「好きだな、お前」


「あと何度見られるか、分かりませんので」


「数えるな」


「前にも、言われました」


 十二段を上る。

 最初の日と同じ段数で、今日は俺も後ろからついていった。

 上には誰もいない。

 広場の露店はもう片づけにかかっていて、遠くの鐘楼に西日が当たっていた。


「ここからだと、王都がよく見えますね」


「死ぬ場所の感想じゃないな」


「死ぬ前に見る景色としては、悪くありません」


 ロゼリアは手すりに手を置いた。

 風が髪をさらっていく。

 俺はその横顔を見ていた。


「死ななかったら?」


「え?」


「もし死ななかったら、何がしたい」


 ロゼリアがこっちを向いた。

 何を言われたのか分からない、という顔を、この女がするのは珍しかった。


「どういう意味です?」


「そのままだ」


「ずいぶん、意地の悪いことをお訊きになるのですね」


「そうか?」


「死刑囚に、生きたあとの話をさせるなんて」


「嫌なら答えなくていい」


 ロゼリアは前を向いた。

 長いこと、黙っていた。

 王城と、市場と、煙突の列と、遠くの門を、順番に眺めている。

 どれも、彼女がもう行けない場所だ。


「食堂を」


 しばらくして、そう言った。


「何?」


「食堂を、やりたいです」


「似合わないな」


 ロゼリアが振り向いた。


「失礼ですね」


「客に毒を盛りそうだ」


「帰ります」


「待て」


「最低です」


「悪役令嬢だろ」


「便利に使わないでください」


「お前が言うな」


 階段のほうへ行きかけた袖をつかみかけて、やめた。

 かわりに、訊いた。


「なんで、食堂なんだ」


 ロゼリアの足が止まった。


「料理が、お好きなのですか」


「俺が訊いてる」


「そうでした」


 少し考えてから、ロゼリアは言った。


「昔、侍女に教わりました」


「焼き菓子も?」


「はい」


「生姜のやつも?」


「それは、私です」


「やっぱり失敗だったのか」


「帰ります」


「悪かった」


 戻ってきて、手すりに背中を預けた。


「ハンナという人でした。私が小さいころから、ずっと」


 帳簿で見た名前だった。

 顔には出さなかった。


「令嬢が厨房に入るものではないと、母にはよく叱られました。ハンナだけが、こっそり入れてくれて」


「甘いな」


「そうでしょうか」


「侍女としては」


「だから、追い出されたのかもしれませんね」


 軽い言い方だった。

 俺は何も言わなかった。

 鞭打ち二十、と帳簿には書いてあった。


「私、昔から上手ではなかったのです」


「今も、たまに硬いな」


「そこは黙っていてください」


「はい」


「ハンナは、何を作っても褒めてくれました。焦がしても、生焼けでも、いつか上手になりますよ、と」


「甘いな」


「ええ」


 今度は、否定しなかった。


「それから、もう一つ、よく言っていました」


「なんて」


 ロゼリアが、少しだけ笑った。


「お嬢様の焼き菓子を、黙って全部食べてくれる人が、いつか必ず現れますよ、って」


 口が止まった。

 手の中に、最後の一つがあった。

 ロゼリアがそれに気づいた。


「無理に召し上がらなくても」


 食べた。


「聞いていらっしゃいました?」


 食べ終えた。


「ジークさん?」


 名前を呼ばれたのは、初めてだった。

 いつかトマが呼んだのを、覚えていたらしい。


「全部、食べた」


「……そうですね」


「帰るか」


「今の流れで、それだけですか」


「他に何がある」


「……ありません」


 少し不満そうだった。

 それでいい。

 処刑台を降りて、門までのわずかな距離を歩きながら、一つだけ訊いた。


「家族は、面会に来るのか」


「来ません」


「父親もか」


「父も」


「恨んでないのか」


「恨んでいますよ」


 即答だった。

 この女が、誰かに向けた気持ちをこんなにはっきり口にするのを、初めて聞いた。


「ただ」


 少し、間があった。


「昔は、好きでした」


 それだけだった。

 俺も、そうか、としか言わなかった。



 その夜、もう一度、書庫へ行った。

 疑義を出したばかりの執行官を、書庫係は追い返せない。

 今度は証言書を、頭から全部読んだ。

 料理人、庭師、御者、王宮の役人。

 その次の一枚で、手が止まった。

 ヴァルシュタイン侯爵。

 実の父親だった。


「娘ロゼリアが敵国の使者と接触していた事実を認める」


 署名と、家の印。

 見間違いようがなかった。

 娘の罪を、父親が裏書きしている。

 証言書の端に、小さな付記があった。

 侯爵令嬢一名の刑の執行をもって、同家への追及を終える。

 面会に来ない理由を、一つ見つけた。

 付記を、もう一度読んだ。

 判決を止めれば、この一行も止まる。

 あの女を無罪にすれば、母親と弟が代わりに取られる。

 写しを並べて済む話では、なかった。

 刑は、執行されなければならない。

 首は、別の話だ。



 次の週も、ロゼリアはいつもどおり来た。

 蜂蜜入りと、猫の肉と、日傘。

 いつもの二段目に座って、いつもの顔で俺を見上げる。


「こんにちは」


「……ロゼリア」


「はい」


 証言書の写しを出した。

 紙を見た瞬間、彼女の顔から、表情が一枚だけ剥がれた。


「知ってたのか」


 返事はない。

 父親の署名を、指で叩いた。


「これ。知ってたのか」


 ロゼリアはしばらく紙を見ていた。

 それから、言った。


「途中からは」


「なんで黙ってた」


「私一人で、済むからです」


「済まない」


「済みます」


「済まない」


 ロゼリアが顔を上げた。


「母と弟は、残ります」


「なんで、お前なんだ」


「殿下には、ほかに妃に迎えたい家がおありでした。私の家は、殿下の敵方でした。私一人で、両方が片づきます」


「片づく、とか言うな。お前は死ぬ」


「一人です」


「一人でも、死ぬだろ」


「それで家が残るなら」


「それでいいのか」


「よくはありません」


 また、即答だった。


「ですが、選べるものが、もう残っていませんでした」


「だったら、言え」


「誰に」


「俺にでも」


「管理人さんに?」


「そうだ」


「何が、変わります?」


 言葉が止まった。

 何も変わらない。

 管理人には、変えられない。

 変えられるかもしれない男は、管理人のふりをして、ここに座っている。

 ロゼリアは紙を丁寧に折って、俺の手に返した。


「あなたには、関係ありません」


「ある」


「ありません」


「ある」


「なぜです?」


 答えられなかった。

 理由なら、いくつもあった。

 どれを口にしても、管理人の言う台詞にはならなかった。


「……あるんだよ」


 結局、それしか出なかった。

 ロゼリアは、困ったように笑った。


「私を殺す人でも、ないでしょう」


 喉の奥に、何かが刺さった。

 小骨どころではなかった。


「そうだな」


 それだけ答えた。

 ロゼリアは立ち上がって、日傘を開いた。

 門まで行って、振り返る。


「また来週」


 少し遅れて、返した。


「……また来週」


 残りは、十回。

 数えないつもりだった。

 もう、無理だった。


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