第2話 悪役令嬢は毒を知らない
雨の日でも、ロゼリアは来た。
「今日は来ないと思ってた」
刑場の軒下に駆けこんできた彼女に言うと、濡れた日傘を畳みながら首を傾げた。
「なぜです?」
「雨だから」
「処刑は、雨天中止になりますか?」
「ならない」
「では、来ます」
理屈がおかしい。本人は真面目だった。
裾には泥が跳ねていて、靴も色が変わるほど濡れている。
トマは今日も向かいの酒場へ消えた。雨の日は一杯増やすのが決まりなんだそうだ。誰が決めたのかは知らない。
ロゼリアが、いつもの石段のほうへ歩き出す。
「そこ、座るな」
「はい?」
「濡れてる」
「見れば分かります」
「分かってて座るな」
「では、どこに?」
俺は刑場脇の作業小屋を、顎でしゃくった。
「中」
「よろしいのですか?」
「風邪を引かれて処刑が延びたら、面倒だ」
「なるほど。管理人らしい理由です」
「そうだろ」
嘘ではない。全部でもない。
ロゼリアは気にした様子もなく、小屋の戸をくぐった。
中には、刑場で使う道具がそのまま並んでいる。
縄の束、手枷、木槌、油の瓶、釘の箱、壁に立てかけた何本かの刃。
侯爵家の令嬢を通す部屋ではない。
当の令嬢は、棚を端から珍しそうに眺めていた。
「面白いか」
「はい」
「趣味悪いな」
「処刑台の下で毎週お菓子を召し上がる方に、言われたくありません」
「俺は仕事場だ」
「私は、死ぬ場所です」
「張り合うな」
ロゼリアは籠を作業台に置き、中から布にくるんだ瓶を取り出した。
湯が入っていた。
茶器まで出てくる。
「今日は、紅茶もあります」
「雨だからか」
「はい」
「重かっただろ」
「トマさんに持っていただきました」
「賢いな」
「ありがとうございます」
褒めてはいない。
たぶん本人も分かっている。
窓を雨が叩いていた。
小屋の中に、紅茶の匂いと刃物油の匂いが混ざる。
ひどい組み合わせだが、悪くはなかった。
差し出された焼き菓子は、いつもより薄くて平たい。
「何味だ」
「生姜です」
「蜂蜜じゃないのか」
「毎回同じでは、飽きるでしょう?」
「俺が?」
「猫が」
「猫は食わない」
「では、あなたが」
言うだけ言って、ロゼリアは紅茶に口をつけた。
かじってみると、最初に舌が辛くて、あとから甘さが追いかけてくる。
「どうです?」
「前のほうがいい」
「蜂蜜の?」
「ああ」
「分かりました。参考にします」
「前もそう言って戻しただろ」
「覚えていません」
「嘘つけ」
ロゼリアは、窓の外を見た。
分かりやすい。この女は、ときどき嘘が下手だ。
雨脚が強くなって、帰るにはまだ早い。
暇を持て余したのか、ロゼリアは棚の前を行ったり来たりしはじめた。
「これは?」
「縄」
「見れば分かります」
「真似するな」
「何に使うのです?」
「吊るすのに」
「こちらは?」
「手枷」
「これは?」
「首枷の替えの金具」
「では、こちらの大きな刃は?」
手が止まった。
棚のいちばん奥、布をかけておいた一本を、ロゼリアが覗きこんでいる。
普段使う刃より一回り大きくて、柄の革は何度も巻き直した跡で段になっている。
祖父の代より前からこの家にある刃だ。普段は使わない。
「触るなよ」
「触っていません」
「ならいい」
「ずいぶん、古そうですね」
「古いな」
布をめくって、刃を灯りにかざす。
根元に、髪の毛ほどの細い線が一本走っていた。
去年より、少し伸びている。
指の腹でなぞった。
「そろそろ、替えないとな」
「替えられるものなのですか」
「刃だからな」
「もっと、特別なものかと思っていました」
「使えなくなったら、ただの鉄だ」
「現実的ですね」
「仕事だから」
「普段は、使わないのですか」
「王家に関わる罪だけだ。古い決まりでな」
布を戻した。
ロゼリアはそれ以上訊かなかったし、俺も何も言わなかった。
「処刑人の方は、毎日こういうものの手入れをなさるのですか」
しばらくして、不意にロゼリアが言った。
「さあな。俺は管理する側だ」
「ああ、そうでした」
あっさり納得された。
納得されるたびに、喉の奥に小骨が一本引っかかる。
取り方は知らない。
「怖くはないのですか」
今度は、ロゼリアのほうから訊いてきた。
「何が」
「こういう道具に、触るのが」
「道具は怖くない」
「では、人は?」
「死刑囚か」
「はい」
少し考えた。
「怖いやつもいる」
「私も?」
「今のところ、焼き菓子を持ってくる女だ」
「悪女ですよ」
「自称だろ」
「世間も、そう申しております」
「世間は、菓子を焼いてこない」
ロゼリアが黙った。
俺も、続きは言わなかった。
雨が小降りになったころ、トマが酒場の戸口から顔を出して、手で丸を作った。
時間だという意味らしい。
次の週、籠の中身は蜂蜜入りに戻っていた。
参考にするだけじゃなかったのか、と言うと、偶然です、と返ってきた。
厨房へ入ったことがあるのか、と訊いたのは、その日だった。
「あります」
「令嬢が?」
「見つかると、叱られました」
「何をしに」
「焼き菓子を作りに」
「料理人がいるだろ」
「自分で作りたかったので」
「なんで」
「なんとなく、です」
たぶん、なんとなくではない。
でも、訊かなかった。
その次の週、ロゼリアが門をくぐってきたとき、俺は処刑台の脇で刃を研いでいた。
布をかけた古いほうではない。普段使う一本だ。
砥石に水を打って、刃を当てる。
同じ角度、同じ力で、同じ音を繰り返す。
ロゼリアは少し離れた石段に座り、黙ってそれを見ていた。
「面白いか」
「前にも、訊かれました」
「答えは」
「少し」
「趣味悪いな」
「それも、前に言われました」
毎週来ていれば、同じ会話も増える。
そういうものだ。
「なぜ、そんなに丁寧に研ぐのです?」
「一度で終わらせるため」
手は止めない。
「斬れないと、痛いだろ」
「……そうですね」
「だから研ぐ」
「お優しいのですね」
砥石の上で、刃が少し滑った。
「どこが」
「苦しまないように、なさっている」
「仕事だ」
「便利な言葉ですね」
「お前に言われたくない」
ロゼリアが笑った。
口の端だけの、いつもの笑い方ではなかった。
「でも」
「なんだ」
「殺す相手のことを、考えるのですね」
砥石から刃を上げた。
「考えないと、雑になる」
「雑にしては、いけないのですか」
「人だからな」
ロゼリアは何か言いかけて、結局やめた。
作業小屋に帳面を取りに入って戻ると、彼女は刃の横に吊るした木札を見上げていた。
日付と名前を焼きつけた札が、何十枚も紐で連なっている。
「これは、何ですか」
「名前」
「どなたの」
「終わったやつの」
「全部?」
「全部」
「覚えていらっしゃるのですか」
「だいたい」
「どうして」
「忘れたら、本当に作業になる」
口にしてから、管理人の台詞じゃなかったな、と思った。
ロゼリアは笑わなかった。
「そうですか」
それだけだった。
いつもの「そうですか」と、少しだけ音が違った。
そのまた次の週は、焼き菓子のかわりに小さな丸いパンだった。
「失敗です」
「見れば分かる」
「まだ召し上がってもいないのに?」
「見れば分かる」
「便利ですね、その言葉」
一つ割ってみる。
本当に硬かった。
「石だな」
「そこまでではありません」
「投げたら人が死ぬ」
「処刑道具に、加えます?」
「嫌だよ」
半分かじる。
硬いが、味は悪くない。
「お味は?」
「普通」
「それは、褒めてくださっています?」
「前よりは」
「前?」
「生姜」
「まだ根に持っていらっしゃるのですか」
「持ってない」
「嘘ですね」
最近、この女はこっちの嘘にも気づくようになった。
あまり、よくない。
帰り際、日傘を開きながら、ロゼリアがぽつりと言った。
「あと、十三回ですね」
「数えるな」
「あなたは、数えないのですか」
「数えない」
「そうですか」
ロゼリアは門を出て、振り返った。
「また来週」
「……また来週」
十三回。
俺も同じ数を知っていた。
その週、ロゼリアは何も持ってこなかった。
「今日は、ないのか」
自分から訊いてから、少し後悔した。
「何がです?」
「……猫の肉」
「猫を肉にしたような言い方は、おやめください」
「猫用の」
「今日は、ありません」
「そうか」
何かが足りない。たぶん、籠だ。
そういうことにしておいた。
ロゼリアは処刑台の二段目に腰を下ろした。
膝の上に、籠がない。
手の置き場所に困っているように見えた。
「どうした」
「何がです?」
「今日は、あんまり喋らない」
「普段、そんなに喋っています?」
「俺よりは」
「比べる相手が悪いです」
そこは、いつもどおりだった。
しばらく、どちらも黙っていた。
風が強くて、どこかの庭から飛ばされてきた花びらが一枚、処刑台の下に落ちた。
ロゼリアの目が、それを追った。
「一つ、伺っても?」
「なんだ」
「毒というのは、苦いものなのですか」
「種類による」
「そうなのですね」
「甘いのもある。匂いのしないのも」
「では、口に入れても、分からないことも?」
「あるだろうな」
「厄介ですね」
「急になんだ」
「少し、気になっただけです」
そこで、引っかかった。
小骨くらいの大きさで。
「王太子に、毒を盛ったんじゃないのか」
ロゼリアがこっちを見た。
「そういう判決に、なっています」
「そういう?」
「はい」
「なら、知ってるだろ」
「何をです?」
「毒の味」
「知りません」
「使ったのに?」
ロゼリアは首を傾げた。
こっちが妙なことを言っているみたいな顔だった。
「私、毒を見たことがありません」
風が止んだ。
止んだように、聞こえただけかもしれない。
「……何だって」
「毒です」
「それは分かる」
「でしたら」
「盛ったんだろ。王太子に」
「判決書には、そう書かれております」
「お前は」
「私は」
ロゼリアは少しだけ考えた。
困っている顔でも、怒っている顔でもない。
いつもの、静かな顔だった。
「見たことも、ありません」
冗談には聞こえなかった。
悪役令嬢の軽口にも。
何か言おうとして、何も出てこなかった。
刑場の帳面に書かれた罪状を、俺は判決の日から何十回も読んでいる。
毒の名前も、混ぜた皿も、日付も、全部書いてあった。
書いてあった、だけだ。
「……ロゼリア」
「はい」
「本当に、か」
ロゼリアは、少しだけ笑った。
「管理人さんまで、信じるのですか?」
変な言い方だった。
俺は返事をしなかった。
酒場の戸が開いて、トマが手で丸を作る。
ロゼリアは立ち上がって裾を払い、日傘を開いた。
「また来週」
いつもならすぐに返す言葉が、喉のところで一度止まった。
「……また来週」




