第8話 しまう場所
朝、入口のほうから音がしなくなっていた。
入口の土壁から毎日聞こえていた、ぽたぽたの音だ。
寝ぼけたまま主坑道を歩いて、確かめに行った。
壁は乾き始めていた。
「……雨、やんだんだ」
*
換気竪坑の下に立って、上を見上げてみる。
ずっと上のほうに、いつもの小さな点が見えた。
灰色じゃなかった。
青かった。
「うわ。シュナ、空が青い。久しぶりに見た」
後ろからついてきたシュナは、上を見なかった。
竪坑から降りてくる風に鼻を向けて、くん、と嗅いだだけだった。
風は、昨日よりずいぶん冷たかった。
*
秋の長雨が終わると、次に来るのは冬だ。
冬は寒い。
寒いと、お腹が減る。
お腹が減ると、困る。
なぜなら、うちにはもう食べるものがほとんどないからだ。
*
背嚢の底をのぞきこむ。
置き去りにされたとき、中に入っていた携行食の残りだ。
堅焼きのパンが、ひとかけら。
干し肉が、指一本ぶん。
以上。
「……これで全部かあ」
*
正直に言うと、よくここまでもったと思う。
一日にちょっとずつしか食べなかった。
しかも、半分はシュナにあげていた。
そのぶん、水はたくさん飲んだ。
湧き水がおいしくて本当によかった。
おいしい水で、お腹はふくれない。
知ってた。
*
僕は干し肉を二つに割った。
大きいほうを、シュナの鼻先に出す。
シュナは一瞬で食べた。
噛んだかどうかも怪しい速さだった。
それから、僕の手に残っている小さいほうを、じっと見た。
「……これは僕の」
「グルル」
伝わってきたのは、たりない、だった。
僕もだよ。
*
パンのかけらも半分にして、二人で食べた。
これで、背嚢は空っぽになった。
明日から、どうしよう。
外には出られない。
入口はふさいだし、竪坑は登れない。
自分でそうしたんだから、文句は言えない。
言わないけど、困る。
*
「シュナ、この家、なにか食べられるものないかな」
湧き水の間の水を飲みながら、僕は言った。
「キノコとか。木の実とか。……土の中に木の実はないか」
シュナは水場から顔を上げた。
髭から水をぽたぽた落としながら、しばらく僕を見ていた。
それから、何も言わずに歩いていった。
*
寝室を抜けて、主坑道へ出る。
入口のほうへ、ゆるい坂を上っていく。
僕は後ろからついていった。
「どこ行くの?」
答えはない。
いつものことだ。
*
シュナが止まったのは、主坑道の中ほどだった。
寝室と換気竪坑の、ちょうどあいだくらい。
北の壁の前で、鼻を壁にくっつけて、上から下まで嗅いでいく。
膝くらいの高さで止まった。
くん、くん、くん、と三回嗅いだ。
そして、掘り始めた。
*
相変わらず、掘るのが速い。
土がうしろに、ばらばら飛んでくる。
ほとんど僕の顔に当たっている。
「シュナ、ちょっと、土、土が」
聞いていない。
*
頭がすっぽり入るくらいまで掘ったところで、シュナの前足が、ごつ、と何かに当たった。
シュナが顔を抜いた。
鼻の頭に土がついている。
僕を見上げて、穴のほうを、あごでしゃくった。
あとはおまえがやれ、ということらしい。
この犬、いつもいちばん楽しいところだけ持っていく。
*
穴に手を入れて、土をゆるめる。
指先に、硬くて、ざらっとしたものが当たった。
石じゃない。
もっと軽くて、少し湿っていて、ぼろぼろしている。
掻き出して、苔の光のほうに持っていってみた。
「……木だ」
黒っぽく腐った、木の根っこだった。
大昔の木が、土に埋まったまま残っていたらしい。
*
そして、その根っこの横っ腹に、なにかがびっしり生えていた。
白くて、丸くて、指先くらいの大きさの、かさ。
「キノコだ!」
僕の声が、主坑道にわんわん響いた。
「シュナ、キノコ! 本当にあった! 言ってみるもんだね!」
シュナは、ふん、と鼻を鳴らした。
当然だ、という顔だった。
*
穴をもう少し広げてみると、根っこは壁の奥のほうへ続いていた。
キノコは、根っこのあちこちに生えている。
白い丸いのと、茶色くて平べったいのと、細長くてひょろっとしたの。
少なくとも三種類ある。
ごちそうだ。
食べられればだけど。
*
そこで僕は、軍で教わったことを思い出した。
知らないキノコは食べるな。
これは、軍の決まりの中でもかなり大事なやつだった。
なぜ大事かというと、知らないキノコを食べて、一晩じゅう転げ回っていた人がいたからだ。
僕じゃない。
僕は横で見ていただけだ。
*
「シュナ、これ食べられるやつ?」
白い丸いのを、シュナの鼻先に出してみた。
シュナは嗅いで、ぷいっと顔をそむけた。
「ダメなやつか」
茶色いのを出してみる。
シュナは嗅いで、くしゅん、とくしゃみをした。
「……それは、どっち?」
細長いのを出してみる。
シュナはしばらく嗅いでいた。
それから、僕の手をぺろっとなめた。
「おいしいってこと?」
「ウォフ」
伝わってきたのは、おなかすいた、だった。
キノコの話じゃなかった。
*
結局、キノコのことは分からない、ということが分かった。
それに、分かったとしても、うちには火がない。
生のキノコは、たとえ食べられるやつでも、お腹をこわすことがあるらしい。
これも軍で聞いた。
軍では、ろくでもない話ほどよく覚えている。
*
じゃあ、今日のごはんはどうするのか。
穴の前でしゃがみこんで考えていたら、シュナがまた掘り始めた。
今度は、根っこの少し上のほうだ。
「まだあるの?」
シュナは答えずに、掘って、掘って、急に止まった。
そして、その場所をじっと見下ろした。
*
穴の奥から、茶色くて太いものが、にゅっと突き出していた。
僕の手首くらいの太さがある。
表面に細いひげみたいな根が、いっぱい生えている。
指で押してみると、中身がみっちり詰まっていた。
「……芋?」
*
芋だった。
しかも、山芋だ。
軍にいたころ、村の人が山で掘ってきたのを分けてもらったことがある。
生のまま食べられる、数少ない芋だ。
すりおろすと、ねばねばになる。
ごはんにかけると、おいしい。
うちに、ごはんはないけど。
*
「シュナ、すごい、すごいよ! これ食べられるやつ!」
僕は思わずシュナを抱きしめた。
シュナは、ものすごく迷惑そうな顔をした。
でも、しっぽは少しだけ揺れていた。
*
でも、どうしてこんな深いところに山芋があるんだろう。
山芋は、つるを伸ばす草の根っこだ。
上のほうには、つるがあるはずだ。
崖の斜面に生えている何かの根っこが、ここまで伸びてきたのかもしれない。
山芋は、まっすぐ下へ下へ伸びる芋だ。
すごい根性だと思う。
僕も見習いたい。
いや、見習ってどうする。
*
さて、ここからが問題だった。
山芋は、掘るのがものすごく難しい。
細長くて、折れやすい。
途中で折れると、そこから傷んでしまう。
村の人は、半日かけて、まわりの土を少しずつ少しずつ掘っていた。
*
でも、僕には万物クラフトがある。
土なら、手のひらで触ればゆるめられる。
まわりの土だけ、全部やわらかくしてしまえばいい。
そうすれば、山芋はするっと抜けるはずだ。
土木兵の本領発揮だ。
*
僕は山芋のまわりの土に手を当てて、ゆっくりゆるめていった。
土が、ほろほろとほぐれていく。
ほぐれた土を、手ですくって掻き出す。
だんだん、山芋の姿が見えてくる。
長い。
思っていたより、ずっと長い。
*
肘の長さを越えた。
まだ続いている。
「……どこまであるの、これ」
ここで気がついた。
土はゆるめられる。
でも、山芋そのものには、僕の手は効かない。
山芋は生きているからだ。
土がどんなにやわらかくなっても、山芋はやっぱり折れやすいままだ。
*
慎重に、慎重に掘る。
息をするのも、そっとする。
シュナが、横でじっと見ている。
僕の肩の横まで顔を寄せてきて、穴をのぞきこむ。
「シュナ、今いいところだから、押さないでね」
シュナは、僕の肩に前足をかけた。
体重をかけてきた。
*
ぽきっ。
*
「……」
「……」
シュナが、そっと前足を下ろした。
それから、何事もなかったような顔で、うしろを向いた。
「今の、シュナだよね?」
シュナは振り返らなかった。
しっぽだけ、一回ぱたんと床を叩いた。
*
折れた先のほうは、そのまま土の奥に残った。
僕の手には、肘から先くらいの長さの山芋が残った。
半分くらい、なのかな。
もっと奥がどうなっているのかは、分からない。
でも、これだけあれば、しばらくは食べられる。
「……まあ、いいか」
いいことにした。
*
湧き水の間で、山芋を洗った。
ひげ根を指でむしって、泥を落とす。
皮は手でこすると、けっこうむける。
白い中身が出てきた。
端っこを少し折って、口に入れてみた。
*
しゃりっ、とした。
それから、ねばっ、とした。
ほんのり甘い。
土の中で育ったのに、土の味がしない。
「……うま」
もう一口。
「うまいよこれ。シュナ、これうまい」
*
シュナにも小さく折って出してみた。
シュナは嗅いで、なめて、しゃりしゃり食べた。
食べ終わると、次をよこせという顔で、僕の手を見た。
お気に召したらしい。
僕たちは、しばらく二人で黙って山芋をかじった。
*
食べ終わったころ、口のまわりが、むずむずしてきた。
むずむず、というか、かゆい。
すごく、かゆい。
「……あ」
思い出した。
山芋の汁は、肌につくとかゆくなるのだ。
村の人も言っていた。
食べる前に思い出したかった。
*
僕は湧き水の間に顔を突っこんで、口のまわりをごしごし洗った。
冷たい水が、かゆいところに気持ちいい。
顔を上げると、シュナが前足で自分の口のまわりを、しきりにこすっていた。
シュナもかゆかったらしい。
目が合った。
お互い、何も言わなかった。
*
お腹がふくれると、今度は別のことが心配になる。
残った山芋と、キノコを、どこに置いておくかだ。
寝室は、うちでいちばん湿っている。
苔の壁があるし、湧き水の間も近い。
食べ物を置いておいたら、たぶんすぐにかびる。
*
それに、もう一つ問題がある。
床に置いておくと、シュナが食べる。
絶対に食べる。
今もちょっと、山芋のほうを見ている。
「シュナ、これは明日のぶんだからね」
シュナは、目をそらした。
そらし方が、完全に何か考えている顔だった。
*
しまう場所がいる。
湿気が少なくて、涼しくて、シュナの届かないところ。
心当たりはあった。
さっきシュナが掘った、主坑道の北の穴だ。
あのあたりは、換気竪坑から降りてくる風が、ちょうど通り抜けていく。
寝室よりずっと乾いているし、ひんやりしている。
しかも、すぐそばでキノコが生えている。
しまう場所として、これ以上のところはない。
*
次の日から、シュナの穴を広げ始めた。
手のひらで土をゆるめて、両腕で抱えられるだけ掻き出す。
掻き出した土は、主坑道の壁ぎわに積んでおく。
もう何度も繰り返してきた作業だ。
でも、今回はちょっと気をつけることがあった。
*
キノコの生えた根っこを、崩さないことだ。
根っこは、北の奥の壁に埋まったまま残すことにした。
そうしておけば、キノコはまた生えてくるかもしれない。
全部取ってしまったら、それで終わりだ。
少しずつ取れば、ずっと取れる。
……気がする。
キノコのことは、よく分からない。
*
部屋は、僕が立って両手を広げられるくらいの大きさにした。
寝室よりずっと小さい。
でも、しまう場所なら、これで十分だ。
奥の壁には、キノコの根っこが、黒い筋になって横に走っている。
ちょっと、秘密の部屋っぽい。
ちょっとだけ、わくわくする。
*
二日目は、棚を作った。
壁を全部削らずに、胸くらいの高さのところだけ、土を残しておく。
残した土に手を当てて、平らにならす。
ぎゅっと締めて、固くする。
壁から、土の段が一枚、にゅっと突き出したかたちになった。
これが棚だ。
*
胸の高さなら、シュナは届かない。
後ろ足で立ち上がっても、たぶん届かない。
たぶん。
念のため、もう一枚、その上にも棚を作った。
大事なものは、上の段に置くことにする。
*
棚ができたところで、ためしに乗ってみようかと思った。
どのくらい固くなったか、知りたかったからだ。
両手をついて、体重をかけてみる。
ぼろっ。
棚の端っこが、手のひら一枚ぶん欠けて落ちた。
「……人は乗っちゃだめなやつだった」
当たり前だ。
棚だもの。
*
欠けたところは、粘土を少し足して直した。
湧き水の間の粘土を持ってきて、土と混ぜて、押しこんで締める。
今度は、指で叩くとこつこつ鳴るくらい固くなった。
ついでに、下の段にも粘土を混ぜ直した。
これで、山芋くらいなら何本乗せても平気だ。
山芋は一本もないけど。
半分しかないけど。
*
上の段に、山芋を置いた。
下の段に、キノコを並べた。
キノコは、根っこから少しずつ取ってきたぶんだ。
風の通るところに並べておけば、乾くかもしれない。
乾いたキノコをどうやって食べるのかは、まだ知らない。
それは、あとで考える。
しまっておけば、あとで考えられる。
しまう場所というのは、そういうものだと思う。
*
「どう、シュナ。貯蔵室」
シュナは部屋の入口に座って、中を見回した。
鼻を上に向けて、上の段の山芋を嗅いだ。
後ろ足で立ち上がって、前足を伸ばした。
届かなかった。
*
シュナは前足を下ろした。
しばらく、上の段を見上げていた。
それから僕を振り返って、じとっとした目で見た。
「グルル……」
伝わってきたのは、ずるい、だった。
「ずるくないよ。ちゃんと明日、分けるから」
シュナは、ぷいっと向こうを向いた。
でも、部屋からは出ていかなかった。
入口の、いちばん風の通るところに、ごろんと寝そべった。
見張りのつもりらしい。
山芋の。
*
僕は、できたばかりの貯蔵室を、入口から眺めた。
棚が二段。
奥の壁に、キノコの根っこ。
竪坑から降りてきた風が、ひんやりと通り抜けていく。
いい部屋だ。
ほんとうに、いい部屋ができた。
*
ただし、しまってあるのは、半分の山芋と、ひとつかみのキノコだけだった。
棚の上は、ほとんど空っぽだ。
「……しまうものも、探さないとなあ」




