↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/20

第4話 風の穴


 朝が来たのかどうか、分からなかった。


 目は覚めた。


 でもそれが眠りから覚めたのか、ただ気を失っていただけなのか、自分でも判断がつかない。


 頭の後ろが重い。


 起き上がろうとして、一度失敗した。


 シュナは寝床の真ん中で丸くなっている。


 揺すると薄く目を開けて、また閉じた。


 伝わってきたのは、ねむい、だけだった。


 「だめだって。それ、寝ちゃだめなやつだって」


 僕は毛の中に手を入れて、ぐしゃぐしゃに掻き回した。


 「起きて。今日は掘るんだから」


 「……ウォフ」


 伝わってきたのは、あとで、だった。


 あとでじゃない。


    *


 昨日の場所は、すぐに分かった。


 真っ暗でも、シュナが先に立って歩いてくれる。


 結局、起きてはくれた。


 塞いだ入口の壁から、西へ五歩。


 坑道が緩く曲がっている、その内側。


 僕は手のひらを上に向けて、天井の下に立った。


 しばらく待つと、指先に冷たいものが触れる。


 ある。


 昨日の気のせいではなかった。


 問題は、そこから先だった。


 背伸びをしても、天井には届かない。


 指の先が空を掻くだけだ。


 「……そうだよね」


 届かないものは、掘れない。


 僕の力は、触っていなければ何も起きない。


 離れた場所の土を動かすようなことは、できたためしがない。


 できたら土木兵なんかやっていない。


 つまり、まず高くならなければいけない。


    *


 方法はひとつしか思いつかなかった。


 床を掘って、その土を、自分の足元に積む。


 掘った穴の底が下がって、積んだぶん、立つ場所が上がる。


 差し引きで、手が近づく。


 「天才じゃないか」


 やってみると、思ったより効いた。


 両腕いっぱいに抱えて、置く。


 足で踏んで、手で押さえて、締める。


 三十回ほど繰り返したところで、指先が天井に触れた。


 「あ」


 触れたところの土は、ひやりとしていた。


 湿っている。


 柔らかい。


 掘れる土だ。


 「よし来た」


    *


 上を掘るのは、横を掘るのとまったく違った。


 まず、落ちてくる。


 崩した土が、そのまま顔に落ちてくる。


 最初の一掴みで目に入って、僕はしばらく何も見えないまま咳き込んだ。


 もともと何も見えていないのだけれど、痛いのは別の話だ。


 上着を脱いで、顔の下半分に巻いた。


 目は、もう諦めた。


 シュナが少し離れたところで伏せている。


 賢い。


    *


 掘る。

 落ちてくる。

 落ちた土を足で踏んで、固める。


 踏んだぶん、足元が高くなる。


 高くなるから、また上が掘れる。


 「……これ、無限にいけるやつだ」


 こんなに都合よく進む作業を、僕は今まで知らなかった。


 軍にいたころは、掘った土を必ずどこかへ運ばされた。


 積み上げれば怒られ、崩せばまた怒られた。


 ここには誰もいない。


 落としたところに積んで、その上に乗ってしまえばいい。


 誰も怒らない。


 最高だ。


    *


 ただし、体は正直だった。


 腕が上がらなくなるのが、昨日より早い。


 十掴みごとに座り込まないと続かない。


 座ると、そのまま眠ってしまいそうになる。


 魔力ではなく体力を食う力なのだと、適性検査の担当官は言った。


 こんなに疲れるなら魔力のほうがよかった、といつも思う。


 いま思っているのは、少し違った。


 空気が悪いのだ。


 同じ作業が、昨日の半分で苦しくなる。


 足元を見ると、シュナがまた寝ていた。


 「起きてろって」


 「……ウォフ」


    *


 どのくらい掘ったか、分からない。


 気がつくと、僕は自分で作った土の柱の上に立って、肩から上を穴に突っ込んでいた。


 天井の穴が、もう筒になっている。


 肘を張れば両側の壁に届く。


 膝で押さえれば体が支えられる。


 人ひとりが、やっと立てる幅だった。


 顔の上を掻く。


 土が首筋を伝って落ちていく。


 その繰り返しの途中で、指が硬いものに当たった。


 「……石だ」


 押してみる。


 動かない。


 僕は筒の中で手を伸ばして、その縁を探った。


 石の板ではなかった。


 岩だ。


 この崖そのものの、岩の底。


    *


 終わった、と思った。


 石も、触れば固さを変えられる。


 できないことはない。


 でも、この厚みを抜くのに何日かかるのか、想像すらできない。


 僕にそこまで保つ体力がない。


 「……えー」


 情けない声が出た。


 筒の中なので、よく響いた。


    *


 僕は岩に手のひらを当てたまま、しばらく動かなかった。


 冷たい。


 ……冷たい?


 指をずらす。


 もう一度。


 岩と岩の継ぎ目に、爪の先ほどの隙間があった。


 そこから、細い風が降りてきている。


 「……え、ちょっと待って」


 僕は隙間に指を突っ込んだ。


 土だ。


 岩の裂け目に、上から落ちてきた土や砂が詰まっている。


 長い時間をかけて、そこで固まったものらしい。


 岩ではない。


 「掘れる」


 声が裏返った。


 「掘れる掘れる掘れる、これ掘れるやつだ」


 下から、ウォフ、と眠そうな声がした。


    *


 詰まっていたものは、思ったより深かった。


 腕を伸ばして掻き出しては、下に落とす。


 落とす、と言っても真下に自分の顔があるので、半分は僕が浴びている。


 息が続かない。


 顔に巻いた布が濡れて、いよいよ苦しい。


 何度か、腕を下ろして休んだ。


 そのたびに、隙間からの風が少しずつ強くなっているのが分かった。


    *


 抜けたのは、唐突だった。


 指が土を掻いて、その先に何もなかった。


 ごそり、と音がして、握っていた塊が上へ吸われていくように動く。


    *


 風が、降ってきた。


 顔に当たって、布を押し上げて、首の中まで入ってくる。


 冷たい。


 痛いくらい冷たい。


 僕は目を開けた。


    *


 遠くに、灰色の点があった。


 光と呼ぶには、あまりにも小さい。


 星ほどの大きさで、白でもなく、黄でもなく、ただ濁った灰色をしている。


 でもそれは、間違いなく空だった。


 僕の頭の、ずっと、ずっと上。


 どれだけ離れているのか見当もつかない。


 ただ、そこまで岩の裂け目が続いていることだけが分かった。


    *


 力が抜けて、僕は筒の中をずるずる滑り落ちた。


 積んだ土の上に尻から落ちて、ひっくり返る。


 痛かった。


 でも、そのまま起き上がれなかった。


 息を吸った。


 吸った。


 もう一度、吸った。


 頭の後ろの重さが、少しずつ薄れていく。


 指の痺れが、いつの間にかなくなっていた。


 顔の布を外して、僕は仰向けのまま叫んだ。


 「シュナ! シュナ、通った! 通ったよこれ!」


    *


 シュナが跳ね起きた。


 鼻を高く上げて、何度も鳴らしている。


 それから僕の腹に前脚を乗せて、顔を舐めてきた。


 「うわ、待って、土が、土がついてる」


 「ウォフッ、ウォフッ」


 うるさい。


 伝わってきたのは、うれしい、だった。


 それだけなのに、こっちまで笑えてくる。


 「見てよ、上。空が見える。ほんとに小さいけど見える」


 シュナは見なかった。


 鼻を上げて、風の匂いを嗅いでいる。


 どうやら見るより嗅ぐほうが好きらしい。


    *


 起き上がって、僕は穴を見上げた。


 筒の幅は、人がやっと通れるくらいだ。


 もう少し広げようかとも思った。


 やめた。


 広げれば、そのぶん雨が入ってくる。


 せっかく塞いだ入口と同じことになる。


 床が濡れて、寝床が冷える。


 それに、そもそも登れない。


 手が届くのは自分の背丈の倍までで、その上は、つるりとした岩の裂け目が続いているだけだった。


 登る理由も、ない。


 「息ができればいいんだよ、これは」


    *


 最後に、足元を整えた。


 掘り出した土が、穴の下に山になっている。


 このままでは歩くたび崩れて転ぶので、踏んで、押して、段の形に固めた。


 三段ぶん。


 上に立つと、ちょうど手のひらが筒の中に入る。


 風の様子を確かめるのに、これが一番いい。


 「うん。使いやすい」


    *


 その夜、僕は寝床で丸くなった。


 上から降りてくる空気が、頬を撫でていく。


 雨の匂いがした。


 濡れた岩と、土と、遠くの草。


 少しだけ、冷たくなっている気がする。


 外はまだ降っているのだろう。


 そのうち、降らなくなるのだろう。


 僕には関係のない話だった。


 「……おやすみ」


 シュナはもう寝床の真ん中にいた。


 今日くらい端に寄ってくれてもいいと思う。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。