第3話 塞ぐ
寝床のやり直しに、まる一日かかった。
固すぎた表面を剥がして、こね直して、また敷く。
指で押して、少し沈むところで止める。
「これだ。これくらい」
寝転がってみる。
背中が沈んで、そこで止まる。
完璧だった。
シュナが横から乗ってきて、僕の腹の上で丸くなった。
「重い」
「ウォフ」
伝わってきたのは、いいところ、だった。
だから乗るな。
*
寝床が完璧になったら、次の問題が出てきた。
顔が寒い。
夜になると、坑道をまっすぐ風が通ってくる。
崖の口から入って、西へ流れる。
その通り道に、ちょうど僕の頭がある。
二晩耐えて、三日目の朝、僕はくしゃみで目を覚ました。
「……これ、そのうち熱を出すやつだ」
寝床が冷えて、朝に鼻をすすって、三日目に立てなくなる。
その順番を、僕はいま二段目まで進んでいる。
シュナが顔を上げて、こっちを見た。
「ウォフ」
伝わってきたのは、さむい、だった。
毛皮があってもそうなのか。
じゃあ僕はどうなる。
*
入口の様子を見に行った。
外はまだ降っている。
秋の長雨は粘る。
軍でも「泥の季節」と呼んで、誰もが嫌がった。
横穴の口は、崖の斜面にそのまま開いている。
庇のようなものは何もない。
だから風が吹くたび、雨が斜めに吹き込んでくる。
入口から三歩ぶんの床が、いつも濡れていた。
そこから水がじわじわ内側へ滲んで、坑道の床を湿らせている。
このまま放っておけば、寝床のあたりまで来る。
せっかく作り直した寝床が。
僕はしゃがんで、濡れた床を撫でた。
「塞ごう」
言ってから、自分の言葉が少しおかしいことに気づいた。
外へ出る、唯一の穴だ。
でも、出てどうする。
崖の足場はもう流れて消えている。
登れないし、登ったところで、あそこには泥と旗しかない。
僕を探しに来る人もいない。
名前も覚えられていなかったのだから、探しようがない。
「……うん、いいか」
雨と風が入らなくなれば、床が乾く。
床が乾けば、寝床が冷えない。
それだけの話だった。
*
材料は、足元にいくらでもあった。
坑道を掘ったぶんの土だ。
三日かけて掘り進んだ土を、僕はずっと壁際に積んでいた。
捨てる場所がないから、そうするしかなかった。
結果として、山ができている。
「これ、全部運ぶのか」
両腕で抱えられるぶんだけ。
それが僕の限界だ。
坑道の奥から入口まで、往復で二十歩ほど。
一回で抱えられるのは、たぶん洗面器ふたつぶん。
僕は数えるのをやめた。
*
運んで、積んで、押し固める。
冷たい泥が手のひらから逃げようとするのを、少しずつ締めていく。
積んだそばから雨が当たるので、外側は柔らかいままだ。
だから内側から順に固めた。
下から積んで、上へ。
半分まで積んだところで、坑道の風が変わった。
まっすぐ吹き抜けていた風が、上を回るようになる。
顔に当たらなくなった。
「お」
僕は壁の途中で手を止めて、しばらくその場に立っていた。
顔が寒くない。
それだけのことなのに、なんだか嬉しい。
「シュナ、風、止まったよ。感じる?」
シュナは奥の寝床で寝ていた。
寝床の真ん中を、完全に占領して寝ていた。
*
シュナは手伝わなかった。
というより、手伝いようがなかったらしい。
一度だけ口に土を咥えて運んできて、途中で全部落として、そのあと二度とやらなかった。
掘るのは百倍うまいのに、積むのはまるでだめだ。
代わりに、僕が運ぶたび横を歩いてくれた。
歩くだけだった。
*
四日かかった。
最後の隙間は、僕の顔ほどの大きさだった。
そこから外が見える。
白い雨。
濡れた岩壁。
底の見えない裂け目。
僕はしばらく、そこに顔を寄せていた。
二年いた部隊のことを考えようとして、うまく像を結ばなかった。
誰かの顔が浮かぶ前に、雨の音がそれを流していく。
「……まあ、いいか」
両腕いっぱいに土を抱えて、その穴に押し込む。
手のひらで押さえて、締める。
冷たさが伝わってきて、それから、冷たさが動かなくなった。
*
音が、消えた。
*
最初のうちは、最高だった。
雨の音がしない。
風が顔に当たらない。
床が、日に日に乾いていく。
僕は寝床に寝転がって、天井を見上げた。
天井は見えなかった。
真っ暗だった。
苔は爪の先ほどの緑で光っているけれど、あれは光と呼べる量ではない。
自分の手のひらも見えない。
目を開けているのか閉じているのか、途中で分からなくなった。
「……真っ暗だな」
でも、寝床は暖かい。
まあ、いいか。
*
二日目の夕方、ということにしておく。
外が見えないので、時間の見当がつかなくなっていた。
僕は掘る手を止めて、座り込んだ。
息が、浅い。
坂を登ったわけでもないのに、胸が重い。
頭の後ろが、ぼうっと鈍い。
「……あー」
思い当たるものがあった。
軍で、古い坑道に入るときの決まりだ。
入る前に必ず火を灯して、それを先に下ろす。
火が細って消える穴には、絶対に人を入れない。
閉じた穴の空気は、悪くなる。
誰かがそう教えてくれた。
顔は思い出せない。
僕は自分の作った土の壁を振り返った。
四日かけて、隙間なく塞いだ壁だ。
我ながら、よくできている。
「……よくできすぎたなあ」
崩す、という手はある。
でも、崩したらまた風が吹き込んで、雨が入って、床が濡れる。
振り出しだ。
それに、もう一度あれを積み直す体力があるかというと、ない。
シュナが僕の膝に顎を乗せてきた。
伝わってきたのは、ねむい、だった。
「いや、それは寝ちゃだめなやつ」
僕はシュナの背を掻いた。
自分の指先が痺れているのが分かった。
*
立ち上がって、坑道を歩いた。
壁に手をつきながら、東へ。
塞いだ入口のほうへ。
どこかに隙間が残っていないか、探したかった。
なかった。
自分でやったことなので、どこが甘いかも分かっている。
甘いところなど、ひとつもない。
僕はその場にしゃがみ込んだ。
息を吐いた。
その音が、やけに大きく聞こえた。
「……仕事、丁寧すぎたな」
*
シュナが、動いた。
僕の横を通り過ぎて、坑道を少し戻る。
入口の壁から、五歩ほど西。
ちょうど坑道が緩く曲がっている、その内側だ。
立ち止まって、鼻を上げた。
*
僕は顔を上げた。
シュナが、天井を見ている。
真っ暗で表情は見えない。
でも、鼻がひくひく動いているのが、音で分かる。
「グルル……」
唸りではなかった。
もっと短い、確かめるような音だ。
僕は膝で這って、そこまで行った。
シュナの体に手を置く。
伝わってきたのは、こっち、だった。
置き去りにされたあの日、崖の縁に立ったときと同じものだ。
「……何かある?」
立ち上がって、天井へ手を伸ばした。
届かない。
背伸びをしても、指の先が空を掻くだけだ。
そのかわり。
濡れたままの手のひらに、細く、冷たいものが触れた。
*
動いている。
空気が、上から降りてきている。
糸のような、頼りない、けれど確かな流れだった。
僕は手のひらを裏返して、もう一度そこへ差し出した。
冷たい。
外の匂いがする。
雨と、岩と、遠い草の匂い。
「……穴が、あるんだ」
声に出したとたん、胸のあたりが軽くなった気がした。
たぶん気のせいだ。
糸ほどの風で、空気が入れ替わるわけがない。
それでも、僕は笑っていた。
「シュナ、すごいよ。よく見つけたね」
シュナが尻尾で僕の脛を叩いた。
「ウォフッ」
伝わってきたのは、ほめろ、だった。
もう褒めた。
*
僕は真っ暗な天井を見上げた。
どこまで続いているのか、どこへ出るのか、何も分からない。
分かるのは、あそこの向こうに外があるということだけだった。
「よし。明日、掘ろうか」
返事はなかった。
シュナはもう寝床へ戻って、真ん中を占領して寝ていた。
毎回そこなのは、なぜなんだろう。




