第19話 夕飯会議
朝、起きたら、ライルがいなかった。
寝床の端っこに、正座の跡だけが残っている。
まんなかには、いつもどおりシュナが寝ている。
ライルは、ゆうべ竪坑の下に座ったまま戻ってこなかったんだった。
風邪ひいてないといいけど。
様子を見に行こうとしたら、主坑道の向こうから、ライルが歩いてきた。
すごい顔をしていた。
「……盟主様」
「おはよう。寒かったでしょ」
「この身、不覚を」
「え、なに? 寝ちゃった?」
ライルが、ぐっと黙った。
図星らしい。
「いいよいいよ、夜は寝るもんだし」
「そういう話ではございませぬ」
じゃあ、どういう話なんだろう。
*
ライルについて、竪坑の下まで行った。
土の三段の上が、少し崩れていた。
その横に、何かが山になっていた。
縄だった。
「……わあ」
声が出た。
縄だ。
ほんものの縄だ。
麻をよって作った、太くて、ちゃんとした縄だ。
しゃがんで、手に取った。
ずっしり重い。
たぐっても、たぐっても終わらない。
「長い! ライル、これ長いよ! 三十歩くらいあるんじゃない?」
「盟主様、それは」
「ほら、先っぽに鉄の楔までついてる。すごい、楔だよ楔」
楔なんて、軍にいたころ以来だ。
坑道の枠を組むときに、ひたすら打たされた。
手のひらにまめができて、つぶれて、またできた。
懐かしい。
べつに、いい思い出ではない。
「これ、どうしたの?」
「……上より、落ちてきたものと」
僕は竪坑を見上げた。
灰色の点みたいな空が、ずっと上に見えている。
「ああ、上の岩に楔を打って、縄をかけてた人がいたんだね。それが抜けて落ちてきたんだ」
「……は」
「上の人は困ってるだろうなあ。でも、返しようがないしね」
登れないんだから、返しに行けない。
投げ上げても、届く高さじゃない。
ということは、この縄は、うちのものだ。
ごめんね、上の人。
大事に使うね。
*
縄があったら、何ができるだろう。
お椀に縄をつけたら、水場からいちいちかがまなくても汲める。
いや、水場は浅いからいらないか。
下降通路の段に、手すりを張れる。
ライルが上り下りするとき、つかまれる。
これはいい。
ムクの泥落としのとき、縄で体をこすったら早く落ちるかもしれない。
いや、ムクは縄をおもちゃにするだけだ。
たぶん、兜と同じ運命をたどる。
楔も使える。
粘土の型を押さえるのにちょうどいい。
あと、何かの目印になる。
考えているだけで、にやにやしてくる。
「盟主様」
「ん?」
「床を、ご覧くだされ」
ライルが、主坑道の床を指さした。
*
足跡があった。
ムクの小さい足跡に混じって、大きい足跡が点々と続いている。
竪坑の下から、貯蔵室の前の、下降通路の入口のほうへ。
靴の跡だ。
「毎朝、この床を清めておりますゆえ」
ライルは、真剣な顔をしていた。
「ムク様のものは、すべて覚えております。これは、違う」
足跡を全部覚えてるのか。
すごいな、この人。
僕は自分の足跡も覚えていない。
「僕のじゃない?」
僕も軍の靴をはいている。
大きさも、たぶん同じくらいだ。
「盟主様は、昨夜、下へ降りられましたか」
「えーと……」
降りたっけ。
降りてないと思う。
でも、寝ぼけて降りたことが一度もないとは言い切れない。
「覚えてないなあ」
ライルが、ものすごく深く息を吸った。
そのとき、下降通路の入口から、ぺたぺたと足音がした。
「きゅる!」
*
ムクだった。
兜をかぶって、泥だらけで、ものすごく楽しそうだった。
いつもの三倍くらい泥だらけだ。
鱗が一枚も見えない。
「ムク、朝からどこ行ってたの。下?」
抱き上げた。
伝わってくる。
「たのしい」。
「あそぶ」。
「もういっかい」。
「そっか、下でいっぱい遊んできたんだね」
よっぽど楽しかったらしい。
こんなに「もういっかい」が強いのは、柵にぶつかって跳ね返るのを見つけた日以来だ。
ムクの口に、何かくわえられていた。
小さい革の袋だった。
「なにそれ。拾ったの?」
取り上げて、開けてみた。
中に、ふわふわしたものが詰まっている。
乾いた草と、焦がした布のくず。
「……火口だ」
火をつけるときに、火花を受けるやつだ。
これがあれば、火打ち石で打った火花がすぐに燃えうつる。
火打ち石は、ない。
「火口だけあってもなあ」
鍵だけ拾って、家がないみたいなものだ。
いや、逆か。
どっちでもいいか。
「きっと縄と一緒に落ちてきたんだね。それをムクが下に持ってって遊んでたんだ」
「……盟主様」
「ん?」
ライルは何か言いかけて、口を閉じた。
それから、下降通路の入口の土手を、じっと見ていた。
*
昼間は、縄で手すりを作ってみた。
下降通路の入口の土手に、楔を打ちこんだ。
土だから、よく入る。
そこから縄を垂らして、段の途中の壁にも楔を打とうとした。
楔が、一本しかなかった。
「……一本じゃ、手すりにならないね」
「は」
垂れ下がった縄が、段の上でとぐろを巻いていた。
ムクがさっそく飛びついた。
巻きついた。
抜けなくなった。
「きゅあー!」
楽しそうだ。
僕とライルとで、半刻かかってほどいた。
縄は、ひとまず貯蔵室の上の棚にしまった。
ムクの手が届かない、いちばん安全な場所だ。
たぶん、この家でいちばん信用されている棚だと思う。
*
夕方、みんなで貯蔵室の前に集まった。
夕飯の相談だ。
この家には、四人いる。
四人いると、夕飯は相談しないと決まらない。
二人のころは、キノコを出せば終わりだった。
「えー、では」
僕は、上の棚から乾かしたキノコを下ろして、床に並べた。
細長いのが、十一本。
「今日の夕飯を決めます」
ウォフ。
「シュナ、賛成ありがとう」
「きゅる!」
「ムクも、ありがとう」
ライルが、正座し直した。
会議っぽくなってきた。
*
「十一本あります。四人です」
「は」
「割れません」
「……割れませぬな」
ライルが、ものすごく深刻な顔をした。
「兵糧は、まず定量を定めるべきかと。一人あたり二本。残る三本は、明日の朝に」
「えー、二本は少ないよ」
「籠城においては――」
「ろうじょうじゃなくて、夕飯だよ」
難しい言葉が出てきたので、ちょっと止めた。
ムクが、キノコの列にそろそろと前足をのばした。
僕は、その前足を、そっと元の場所に戻した。
「ムクは、何本食べたい?」
抱き上げた。
伝わってくる。
「おなかすいた」。
「ぜんぶ」。
「ぜんぶはだめ」
「きゅる……」
*
「シュナは?」
シュナは、キノコの列を鼻でなぞった。
端から端まで、ゆっくり嗅いだ。
それから、いちばん太い一本の前で止まって、座った。
「……それがいいのね」
ウォフ。
交渉の余地はなさそうだった。
「じゃあ、シュナはその太いの一本と、あと一本」
シュナは、太いのをくわえて、自分の寝床のほうへ歩いていった。
二本目は、戻ってきてから決めるつもりらしい。
この犬、会議の途中で退席した。
*
「下に行けば、生のがいっぱい生えてるんだけどね」
第2層の北の壁の、古い根っこだ。
あそこには、細長いキノコが群れになって生えている。
「明日、採りに行こうか。そしたら今日は、ちょっと多めに食べてもいいし」
「……下へ、でございますか」
ライルの声が、急に低くなった。
「うん。暗いから、今日はもう行かないけど」
「明日も、お控えくだされ」
「なんで?」
ライルは答えなかった。
かわりに、下降通路の入口のほうを見た。
そのとき、下から音がした。
*
ぼよん。
ずっと下のほうで、何かが跳ねる音だった。
ぼよん。
どさっ。
少しして、また。
ぼよん。
「……遊び場の床の音だ」
ムクが跳ねたときの音と、そっくりだ。
でも、ムクは、僕の膝の上にいる。
キノコを見つめて、よだれを垂らしている。
「ムク、ここにいるよね」
「きゅる」
いる。
「じゃあ、誰が跳ねてるの?」
ぼよん。
僕は、首をかしげた。
「……泥が、勝手に跳ねてるのかな」
温かい泥だし。
冷えてくると、ちぢんで、ぽこっと鳴ることもあるのかもしれない。
変な泥だから、なんでもありだ。
「変な泥だなあ」
ライルが、ものすごい顔でこっちを見ていた。
*
シュナが、寝床から戻ってきた。
下降通路の入口の土手まで歩いていって、止まった。
鼻を、穴のほうへ向けた。
長いこと、動かなかった。
それから、ゆっくりこっちへ戻ってきて、キノコの列の前に座った。
二本目を、選びはじめた。
「シュナ、下になんかいた?」
シュナは、答えなかった。
いちばん細い一本をくわえて、また寝床へ帰っていった。
細いのを選ぶなんて、珍しい。
お腹いっぱいなのかな。
*
結局、夕飯はこうなった。
僕が二本。
ムクが三本。
シュナが二本。
ライルが二本。
残り二本は、明日の朝。
ムクの三本は、抱っこしたときに「おなかすいた」があまりに強かったからだ。
五歳の子に、会議で勝てる大人はいない。
ライルは、キノコを口に運ぶ前に、コップの水を半分だけ飲んだ。
それから、下降通路の入口のほうを、もう一回見た。
「ライル、今日なんか変だよ」
「……盟主様」
「うん」
「この身、今宵より、あちらに座ってもよろしいか」
ライルは、下降通路の入口を指さした。
「竪坑の下じゃなくて?」
「は」
「あそこ、寒くないの?」
「竪坑の下より、ましかと」
たしかに、竪坑の下よりは風が当たらない。
貯蔵室の前だし、第一居室にも近い。
「いいけど。……見張りの場所、変えたの?」
「は」
「何を見張るの?」
ライルは、答えなかった。
*
夜。
ムクは、火口の袋を抱えて、自分の寝床で丸くなっていた。
すっかり気に入ったらしい。
また一つ、ムクの宝物が増えた。
シュナは、ライルの寝床のまんなかで寝ていた。
今日は、ライルがいないから、遠慮なく真ん中だ。
いつも遠慮してないけど。
寝る前に、主坑道をのぞいた。
ライルは、下降通路の入口の土手の前で、正座していた。
右手に、コップを持っている。
背筋を、ぴんと伸ばしている。
目は、閉じていた。
寝ている。
「……まあ、ゆうべ寝てないもんね」
起こさないように、そっと寝床に戻った。
下の階から、ぼよん、と一回だけ、音がした。
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