第17話 盟主様
朝、起きたら、ライルがもう起きていた。
昨日と同じだ。
寝床の端で正座して、じっと僕を見ている。
ちなみに寝床のまんなかには、まだシュナが寝ている。
ライルは一晩じゅう、端っこに正座したまま寝ていたらしい。
騎士って、正座で寝られるように訓練されてるのかな。
「おはようございます、レオ殿」
「おはよう。……背中、痛くない?」
「鍛えております」
鍛えてどうにかなるものなんだろうか。
「レオ殿。本日こそ、この身にお役目を」
昨日も聞いた。
たぶん、明日も聞くことになる。
僕は、主坑道の床を見た。
下降通路の入口から寝室まで、小さい足跡が点々と続いている。
泥の足跡だ。
ムクは毎朝、下で遊んで、上に戻ってくる。
そのたびに、こうなる。
「……じゃあ、あれ、お願いしていい?」
*
泥の足跡は、水では拭けない。
そもそも拭くほどの水がない。
だから、乾いた土をかける。
かけて、泥に水気を吸わせて、手で集めて捨てる。
軍にいたころ、水のない場所で覚えたやり方だ。
「こうやって、ぱらぱらってかけて、ちょっと待って、手でまとめるの」
「……は」
ライルは、ものすごく真剣な顔で、僕の手元を見ていた。
「痕跡を、残さぬ」
「うん。残ってると、踏んで滑るから」
「追う者の目を、欺く……」
「ムクの足跡だよ?」
ライルは片腕で、ぱらぱらと土をかけはじめた。
丁寧だ。
ものすごく丁寧だ。
一つの足跡に、ものすごく時間をかけている。
この調子だと、寝室に着くころには、ムクがまた下から戻ってくると思う。
*
昼前、ライルが戻ってきた。
主坑道の床は、きれいになっていた。
意外と速かった。
騎士って、掃除も訓練するのかな。
「ありがとう。のど乾いたでしょ。水、飲んで」
僕は、お椀に水をすくって渡した。
ライルが、右手だけで受け取った。
そして、傾いた。
「あっ」
お椀が、ぐらっと傾いた。
水が、ライルの膝にこぼれた。
冷たい水だ。
この季節の、この家の、いちばん冷たい水だ。
「……っ」
ライルは、声を出さなかった。
えらい。
僕なら「うわっ」くらいは言う。
「ご、ごめん。そっか、片手だと持てないよね」
お椀は、手のひらを二つ合わせたくらいの大きさだ。
両手で包んで飲むように作ってある。
片手で持つと、重たいほうに傾く。
今まで、それで困ったことがなかった。
僕もシュナも、腕は折れていないから。
「いえ。この身の不覚に――」
「不覚じゃないよ。お椀のほうが悪い」
それに、たぶん、それだけじゃない。
昨日の夜、ライルはひと口しか飲まなかった。
僕の口がついたお椀だから、遠慮したのかもしれない。
お椀が一つしかない家って、けっこう不便なんだな。
住んでる本人が、いちばん気づいてなかった。
「……よし」
僕は立ち上がった。
「ライルのお椀、作ろう」
*
湧き水の間の壁は、灰色の粘土でできている。
指でえぐると、しっとりした塊がとれる。
これが、いい粘土なんだ。
ほんとうに、いい。
「見て、これ。指のあとがきれいに残るでしょ。砂が少なくて、粒がそろってるんだよ。こういうのは締めると、ぎゅって詰まって、水を通さなくなるの。水場の底も、これで張ったんだけどさ――」
「は」
「あ、ごめん。とにかく、いい粘土なの」
ライルはうなずいた。
たぶん、半分も聞いていない。
僕も、半分くらいしか説明していない。
片手で持てるお椀が要る。
小さくすればいいのかな。
でも、小さすぎると一口ぶんしか入らない。
それだと、また遠慮される。
持つところがあればいいんだ。
横に、指を引っかける輪っかをつける。
僕は粘土を丸めて、底を平らにして、ふちを立てた。
手のひらで包みながら、ゆっくり締めていく。
粘土が、手の中でだんだん硬くなる。
この、ぎゅっと詰まっていく感じ。
何回やっても、楽しい。
横に、細く伸ばした粘土をくっつけて、輪にした。
「できた!」
コップだ。
どこからどう見ても、取っ手のついたコップだ。
「ライル、持ってみて」
ライルが、取っ手に指を通した。
持ち上げた。
ぱきっ。
取っ手だけが、ライルの指に残った。
コップの本体は、ライルの膝に落ちた。
膝は、まだ湿っていた。
さっき、水をこぼしたところだ。
「…………」
「…………」
水を入れる前でよかった。
ほんとうによかった。
「……細すぎたね」
「……は」
輪っかを、細く作りすぎた。
根元をちゃんと締めていなかった。
くっつけただけのところは、いちばん弱いんだ。
坑道の枠組みと同じだ。
継ぎ目から崩れる。
土木兵なのに、それを忘れていた。
*
二つめを作っていたら、ムクが来た。
兜をかぶって、ぺたぺた走ってくる。
今日は通路の曲がり角で止まった。
ぶつからずに止まった。
成長だ。
と思ったら、止まったのは、僕の手の中の粘土を見つけたからだった。
「きゅる!」
「あっ、だめ、これはライルの――」
ムクが、粘土の塊に飛びついた。
僕の手から粘土がすっぽ抜けて、ムクの顔にくっついた。
ムクは、それを兜ごと抱えこんで、通路を走って逃げていった。
「きゅあー!」
楽しそうだ。
粘土って、泥の親戚みたいなものだから、ムクにはおもちゃに見えるんだろう。
「……まあ、いいか。壁、まだいっぱいあるし」
シュナが、通路の入口で寝そべったまま、こっちを見ていた。
「シュナ、ムク止めてくれてもよかったんだよ?」
シュナは、ゆっくり目を閉じた。
ウォフ。
たぶん「知らん」だ。
この犬、止める気なんて最初からない。
*
三つめ。
今度は、取っ手を太くした。
根元のところを、指でぐりぐり押しつけて、本体と一つになるまで締めた。
輪っかの大きさは、ライルの指に合わせた。
「ライル、指貸して」
「は」
ライルの人さし指と中指を、輪っかに通してみる。
ちょっときつい。
少し広げる。
今度は、ゆるい。
ほんの少しだけ、狭める。
「……うん、これくらい」
騎士の指は、僕の指よりだいぶ太かった。
剣を握る人の指だ。
僕の指は、土をこねる人の指だ。
どっちも、指には違いない。
最後に、ふちを指の腹でなでて、丸くした。
口に当たるところが、ざらざらしないように。
「できた。……たぶん、できた」
水場から、水をすくって入れた。
半分くらい。
いっぱいにすると、また重さで傾くかもしれない。
「はい、持ってみて」
ライルが、右手の指を取っ手に通した。
持ち上げた。
傾かない。
口もとに運んだ。
飲んだ。
「……の、飲めた!」
声が出た。
飲んだのはライルなのに、僕のほうが大きな声を出していた。
「飲めたよね!? 今、こぼれなかったよね!?」
「……こぼれて、おりませぬ」
「やった! シュナ、見た!? 片手で飲めた!」
シュナは、目を閉じたままだった。
しっぽだけ、一回、ぱたんと動いた。
たぶん「よかったのう」だ。
たぶん違う。
*
ライルは、コップを持ったまま、しばらく動かなかった。
ずっと、コップを見ている。
取っ手のところを、指でなぞっている。
「……気に入らなかった?」
ライルが、コップを、そっと床に置いた。
そして、片膝をついた。
「え」
折れた腕を胸に抱えたまま、頭を下げた。
「――盟主様」
*
「……めいしゅ?」
聞いたことのない言葉だった。
いや、聞いたことはあるかもしれない。
でも、僕に向かって言われたことは、一度もない。
「落ちてきた者を拾い、手ずから傷を継ぎ、水を分け、さらには、この身ひとつのために器まで――」
「いや、あのね、それはただの――」
「この身、これより先、盟主様の御為に」
話が進んでいく。
僕の「ただの」の続きを、誰も待ってくれない。
「ちょっと待って。様はいらないって、前に言ったよね」
「は。承っております」
「じゃあ」
「ゆえに、レオ様とはお呼びいたしませぬ。盟主様と」
「様ついてるじゃん」
*
ライルは、答えなかった。
かわりに、もっと深く頭を下げた。
そういう問題じゃない。
「あのさ、ライル。僕、そういうのじゃなくて。ほんとに、ただの――」
ごん。
通路のほうで、大きな音がした。
ムクだった。
兜をかぶって、走って戻ってきて、曲がり角でぶつかったらしい。
さっきの成長は、まぐれだった。
「きゅあー!」
ムクは、粘土まみれの顔で、まっすぐこっちに走ってきた。
そのまま、片膝をついているライルの背中に、よじのぼった。
「きゅる!」
ライルは、動かなかった。
背中に竜を乗せたまま、頭を下げ続けている。
「……神獣様まで、この身の誓いを」
「違うと思う。たぶん、のぼりやすかっただけだと思う」
*
僕は、あきらめずにもう一回、聞いてみた。
「ねえ。そのめいしゅって、誰が言い出したの?」
「……は」
ライルが、少しだけ顔を上げた。
「誰が、と申されましても」
「ライルの国の言葉?」
「いえ。……気づけば、口に上っておりました」
なんだそれ。
「自分で言っといて、分かんないの?」
「この地にて、そうお呼びするほかに、ふさわしき言葉を知りませぬ」
だめだ。
何を聞いても、答えが遠くへ行ってしまう。
「……あのね、ライル。僕は、ただの――」
「盟主様」
「……はい」
返事をしてしまった。
*
昼すぎ。
ライルは、竪坑の下の、土の三段に座っていた。
昨日と同じ場所だ。
背筋を、ぴんと伸ばしている。
その横の段に、コップが置いてあった。
飲むわけでもないのに、ずっと置いてある。
ときどき、ちらっと見ている。
取っ手に、指を通してみたりしている。
水、入ってないのに。
「ライル、それ、飲むときに使えばいいんだよ?」
「は。存じております」
「じゃあ、置いとかなくても」
「ここに置くことに、意味がございます」
どんな意味があるんだろう。
たぶん、ないと思う。
僕は寝室に戻って、シュナの前にしゃがんだ。
「シュナも、自分のお椀、ほしい?」
シュナは、ぷいっと横を向いた。
それから、のそのそ立ち上がって、湧き水の間へ歩いていった。
水場のふちに前足をかけて、直接、ぴちゃぴちゃ飲んでいる。
「……いらないんだな」
ウォフ。
たぶん「器なんぞ要らん」だ。
これは、たぶん当たってる。
*
夜。
ライルは、まだ三段に座っていた。
「ライル。そろそろ寝よう。寒いでしょ」
「もう少しだけ」
「風邪ひくよ」
「盟主様こそ、先にお休みを」
また言った。
一日で、何回言われたか分からない。
もう、いちいち返事をするのもくたびれてきた。
呼ばれるたびに振り向いていたら、首が疲れる。
寝室に戻ろうとして、竪坑の下を通ったとき。
ふっと、首のうしろが軽くなった。
上から降りてくる冷たい風が、ほんの一瞬だけ、止まった。
ライルが、立ち上がった。
竪坑を、じっと見上げている。
風は、すぐにまた降りてきた。
いつもの、冬の、冷たい風だ。
「……今の、なに?」
「分かりませぬ」
「気のせいじゃない?」
ライルは、答えなかった。
コップを右手で持って、三段にもう一度座り直した。
「この身は、今宵ここに」
「……風邪ひくってば」
僕は寝床に入った。
シュナは、今夜もライルの寝床のまんなかで寝ている。
竪坑のほうから、ずっと上のほうで、小石がひとつ、ころころと転がる音がした。
気がした。
たぶん、気のせいだ。
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