↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
16/20

第16話 うちの案内


 朝、起きたら、ライルがもう起きていた。


 寝床の上で、正座している。

 折れた腕を膝にのせて、じっと僕を見ている。


 怖い。


 「……おはよう」


 「おはようございます、レオ殿」


 「いつから起きてたの」


 「夜明け前より」


 夜明けもなにも、ここはずっと薄暗い。

 どうやって分かったんだろう。

 この人、体の中に鶏でも飼ってるのかな。


 「レオ殿。本日より、この身にできることを、なんなりと」


 「まだ腕、くっついてないでしょ」


 「片腕は、残っております」


 「残ってるほうの腕で、寝ててほしいんだけど」


 ライルは引かなかった。

 正座のまま、ぴくりとも動かない。


 この人は、たぶん、何かしてないと落ち着かないんだな。

 軍にもこういう人はいた。

 休めと言われると、かえって具合が悪くなる人だ。


 「……じゃあ、家の中、見て回る?」


 「は」


 「どこに何があるか分かんないと、困るでしょ。案内するよ」


 ライルの背筋が、さらに伸びた。

 まだ伸びるのか。


 「……拝見、つかまつります」


 「見るだけだよ?」


    *


 まずは、この部屋からだ。


 「ここが寝るところ。で、あれが明かり」


 僕は、寝床の向かいの壁を指さした。

 壁いちめんに苔が生えていて、ぼんやり緑に光っている。


 「入口のところに生えてた苔を、土ごと持ってきたんだよ」


 「土ごと」


 「最初は苔だけはがして貼ったんだけど、二日で枯れちゃってさ」


 あれはへこんだ。

 二日ぶん暗かったし、シュナに三回ぶつかった。

 三回目は、さすがに噛まれるかと思った。


 「苔って、生えてた土がないとだめなんだよ。あと、壁は湿らせとくの」


 話しているうちに、だんだん楽しくなってきた。


 壁の土を、指で押してみる。

 ほどよく、しっとりしている。

 うん、今日もいい感じだ。


 「でもね、固めすぎちゃだめなんだ。固めると水が動かなくなって、表から乾いちゃう。握ったら指のあとがうっすら残るくらいが、ちょうどいいの」


 「……火を、使われぬのですな」


 「火? うん、使ってない」


 「煙が上がれば、谷の上から所在が知れる。ゆえに火を捨て、苔の光を……」


 「火打ち石、持ってないんだよね」


 ライルが、黙った。


 「あと、せっかく通した空気を燃やすのも、もったいないし」


 「……空気まで、お読みになる」


 読んでない。

 吸ってるだけだ。


 そのとき、部屋の隅で、何かが光った。


 「……あれ?」


 落とし口のふたのそばだ。

 壁のいちばん下に、小指の先くらいの、緑の点がある。


 しゃがんで、顔を近づけた。

 苔だった。

 僕が植えた覚えのない場所に、苔が生えている。


 「わあ……増えてる。増えてるよ、これ!」


 たぶん、落とし口のまわりの壁が、いつも湿っているからだ。

 苔壁から、勝手にこっちへ移ってきたんだ。

 誰にも頼まれてないのに。


 「シュナ、見て! 苔が自分で引っ越してきた!」


 シュナは寝床で丸まったまま、片目だけ開けた。

 開けて、閉じた。


 「……興味ないな?」


 ウォフ。


 小さく鳴いた。

 たぶん「うるさい」だ。


 ライルは、僕のうしろで固まっていた。


 「光が……自ら、殖えて……」


 「ね、すごいよね。苔、えらいよね」


 「……尽きぬ灯とは、このことか」


 尽きるよ。

 乾いたら普通に枯れるよ。

 言おうとしたけど、ライルがあまりに真剣な顔をしていたので、面倒になってやめた。


    *


 次は、湧き水の間だ。


 寝室の西の奥の隅から、短い通路がのびている。


 「こっち。十歩くらいだから」


 歩き出してすぐ、ライルが立ち止まった。


 「レオ殿。この道、曲がっておりますな」


 「ああ、うん」


 通路は途中で、ちょっとだけくの字に折れている。


 「まっすぐに通せば、奥まで見通される。あえて折ることで――」


 「まっすぐ掘ったつもりだったんだよ」


 「……は」


 「気づいたら右に曲がってて、シュナに直されたの」


 僕は方向がよく分からない。

 自分の家の中でも、シュナがいないとたまに迷う。

 十歩しかない通路で、なんで曲がるのかは、僕にも分からない。


 ライルは、深く、深くうなずいた。


 「……ご謙遜を」


 してない。


 湧き水の間は、小さい部屋だ。

 僕とシュナが並んで座ると、それでいっぱいになる。

 ライルが入ると、ちょっと窮屈だった。


 奥の黒い岩の、膝くらいの高さに、細い割れ目が一本ある。

 そこから水の粒がふくらんで、ぽつん、と落ちる。


 「これが、うちの水。昨日、飲んだでしょ」


 「……これが」


 ライルは膝をついて、割れ目を見た。

 ぽつん、と水が落ちるのを、ずっと見ていた。


 「岩から、水を……」


 「もともと出てたんだよ。見つけたのはシュナ」


 「神獣様が」


 「神獣じゃなくて犬だけどね。たぶん、自分が飲みたくて探したんだと思う」


 それより、見てほしいのは水場のほうだ。

 ここは自慢したい。


 最初は、掘ったくぼみにそのまま水をためた。

 一晩で泥水になった。

 飲めたもんじゃなかった。


 だから、この部屋の壁の灰色の粘土を、指の厚さで張った。

 強く、強く締めた。

 そうしたら、水がちゃんと澄んだまま残るようになった。


 苔の壁とは、やることが逆なんだよ。

 苔の土は締めすぎちゃだめで、水場の粘土は締めなきゃだめ。

 同じ土の仲間なのに、扱いが真逆なんだ。

 これが面白いんだよなあ。


 「で、水が落ちるところに、平たい石を置いてあるの。底がえぐれないように」


 「……一滴も、漏らさぬ造り」


 「漏れると、床が濡れるからね」


 「籠城において、最も尊ぶべきは水。兵糧は削れても、水だけは削れませぬ。それを、この岩の奥に……」


 難しい言葉が並んだので、聞き流した。

 それより、粘土のふちに小さなひびが入っていないかのほうが気になる。

 ……うん、大丈夫そうだ。


 そのとき、うしろから、ぺたぺたと足音がした。


 「きゅる!」


 ムクだ。


 ライルの兜を頭にかぶって、走ってくる。

 前が見えていないらしく、通路の曲がり角で、一回、壁にぶつかった。


 ごん、と鳴った。

 兜が。


 「きゅあー!」


 痛くないらしい。

 むしろ楽しそうだ。

 兜って、そういう使い方をするものだったっけ。


 ムクはそのまま、水場へ一直線に向かってきた。

 泥だらけの顔で。


 「待って待って待って!」


 僕はムクを抱きとめた。

 水場のふちの、手のひら一枚ぶん手前だった。


 危なかった。

 この水場に泥の顔を突っこまれたら、今日の水がなくなる。

 なくなるどころか、泥水になる。


 「きゅる……」


 「だめ。ここは飲むところ。遊ぶのは、下の、ぼよんってするとこ」


 ムクは兜の中で、不満そうに鳴いた。

 抱えた腕から、伝わってくるものがある。


 「のどかわいた」だ。


 なんだ、遊びたかったんじゃないのか。


 僕はお椀で水をすくって、ムクの口もとに近づけた。

 ムクは兜をかぶったまま、器用にぺろぺろと飲んだ。


 ライルが、それをじっと見ていた。


 「……神獣様に、御手ずから」


 「のど乾いてたみたい」


    *


 寝室に戻って、隅の落とし口に寄った。


 粘土の板のふたをずらす。

 床に、お椀ひとつぶんくらいの、暗い穴があいている。


 「あと、これ。床にこぼした水は、ここに捨てるの」


 「……この下は」


 「溝。床の下に、水の通り道を掘ってあるんだよ。水場からあふれた水も、この下を通って、ずーっと東へ行って、外に出る」


 「床の下に、水の道を」


 「うん。上からは見えないよ」


 「……外の者には、水の行方すら知れませぬな」


 「シュナが、開いてた溝に足を突っこんだんだよ。だから、ふたをしただけ」


 ライルは、寝床のシュナを見た。

 シュナは、寝たふりをしていた。

 たぶん、あの話はされたくないんだと思う。


 それより、見せたくなった。

 こういうのは、見てもらうのがいちばんだ。


 「ほら、聞いてて」


 僕は、手に持っていたお椀の水を、穴にそそいだ。


 ちょろろろ、と音がした。

 少しして、ずっと下のほうで、こぽ、と鳴った。


 「ね! ちゃんと流れてる!」


 「……おお」


 ライルが、穴に耳を寄せた。

 僕も、耳を寄せた。

 大人が二人、床に這いつくばって、穴の音を聞いている。


 こぽ。


 「ね?」


 「……は」


 それから、僕は、空になったお椀を見た。


 「……あ」


 「レオ殿?」


 「今の、僕が飲むぶんだった」


 水場は、一晩で半分ちょっとしか戻らない。

 ムクに飲ませて、ライルのぶんを残したら、さっきの一杯が今日の僕の水だった。


 やってしまった。

 溝の音を聞かせるために、飲み水を一杯、捨てた。

 土木兵として、いちばんやっちゃいけないやつだ。


 「わ、私の分を」


 「いいよ。怪我人は飲んで」


 「しかし」


 「夜にはまた溜まるから。一晩くらい平気平気」


 平気ではない。

 喉が、もう乾いてきている。

 人間って、飲めないと分かった瞬間に喉が乾くのは、なんでなんだろう。


    *


 最後に、主坑道を東へ歩いた。


 坑道は、入口へ向かってゆるい上り坂になっている。

 ライルは脇腹を押さえながら、ゆっくりついてきた。


 「この下も、溝が通ってるんだよ。南の壁ぎわ」


 ライルは、南の壁ぎわの床をじっと見た。

 踏み固めた土しか見えないはずだ。


 貯蔵室の前を過ぎて、竪坑の下を過ぎた。

 上から降りてくる風が、首のうしろに当たる。

 冷たい。

 すっかり冬の風だ。


 突き当たりが、入口の壁だ。


 「ここが、昔の入口。雨が吹きこむから、ふさいだの」


 「……存じております」


 ああ、そうか。

 この人、一昨日、自分で見て回ったんだった。


 「で、この壁の足もとの、ずっと下。胸くらいの深さのとこに、溝の出口があるの。お椀ひとつぶんの穴で、崖の外に抜けてる」


 「外へ」


 「うん。水は谷に落ちていく」


 ライルの顔が、少し険しくなった。


 「……レオ殿。その穴から、外の風は」


 「あ、それそれ!」


 つい、声が大きくなった。

 そこを聞いてくれるとは思わなかった。


 「穴をあけた晩にさ、寝室の落とし口から、ぴゅーって風が吹いてきたんだよ。寒くて寒くて」


 「は」


 「だから、出口の手前で、溝の底をいっぺん下げて、また上げたの。そうすると、そこにいつも水がたまるでしょ。水がたまってると、風が通れないんだよ」


 「……水で」


 「そう、水でふたをするの。軍で教わったんだ。誰に教わったかは忘れたけど」


 「水をもって、外界との門を閉ざす……」


 「寒かったんだよ」


 「風のみならず、虫も、においも、あるいは――」


 「うん、虫も来ないし、においも上がってこない。いいでしょ」


 ライルは、また壁の足もとを見つめた。


 見えるのは、土の床だけだ。

 穴も溝も水たまりも、ぜんぶ土の下にある。


 「……何ひとつ、目に見えぬ」


 「うん。上からはね」


 「見えぬものを、見えぬまま、ここまで……」


 ライルが、ぶるっと震えた。

 竪坑の風が、冷たかったのかもしれない。

 このへんは寒いから。


    *


 寝室へ戻る途中、ライルが竪坑の真下で足を止めた。


 土の三段を見ている。

 自分が落ちてきた場所だ。


 「レオ殿。お役目を、ひとつ思いつきました」


 「え、なに」


 「ここに、座らせていただきたい」


 「……ここに?」


 「上より降りるものを、この身が最初に」


 上から降りるもの。

 風のことかな。

 あとは、たまに雨粒くらいだ。


 「寒いよ、ここ」


 「構いませぬ」


 まあ、風に当たりたい日ってあるよね。

 寝てばかりだと、頭がぼんやりするし。


 「じゃあ、寒くなったら戻ってきてね」


 「は」


 夕方、様子を見に行った。


 ライルは、土の三段のいちばん下に座って、竪坑を見上げていた。

 背筋が、ぴんと伸びている。


 その膝の上で、兜をかぶったムクが、丸くなって寝ていた。


 ライルは、片腕でそっとムクの背中を押さえている。

 どうやら、動けなくなっているらしい。


 「……レオ殿」


 「うん」


 「この身、動けませぬ」


 「うん。見れば分かる」


 結局、ムクが起きるまで、ライルはそこから一歩も動かなかった。

 見張りって、たぶんこういうことじゃないと思う。


    *


 夜、水場の水は、半分ちょっと戻っていた。


 お椀にすくって、ライルに渡した。

 ライルはひと口だけ飲んで、黙ってお椀を僕のほうへ押してきた。


 「もっと飲んでいいのに」


 「十分にいただきました」


 嘘だと思う。

 でも、僕の喉はからからだったので、ありがたく飲んだ。


 冷たくて、ほのかに甘かった。

 今日いちばん、おいしいものだった。


 寝ようとして、寝床のほうを見た。


 シュナが、ライルの寝床のまんなかで、もう寝ていた。


 「……シュナ、そこ、ライルの」


 ウォフ。


 どく気は、ないらしい。


 ライルは寝床の端っこに、正座のまま収まった。

 そして、そのまま寝た。





お読みいただきありがとうございました。


面白かった、または応援してもいいよという方は、下部の【ブックマーク】や【いいね】、★評価をいただけると嬉しいです。毎日の更新モチベーションになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。