第15話 名乗り
その人は、なかなか寝床に戻ってくれなかった。
段を上がりきったところで、また膝をつこうとする。
「だから、それやめて」
「は」
「やめて。腕」
*
どうにか寝床まで連れていって、座らせた。
脇腹を押さえている。
顔色は、昨日よりましだ。
血の気はある。
*
「動いていいって、僕、言ってないんだけど」
「……申し訳ありませぬ」
声が硬い。
言葉遣いも硬い。
どこかの偉い家の人なのかもしれない。
*
「まあ、歩けるなら治りは早いと思うよ。骨、ちゃんとくっつきそうだし」
「は」
「腕のそれ、二十日は外さないで」
「……二十日」
*
その人は、腕の粘土を見た。
それから僕を見た。
なにか言いかけて、やめた。
なんだろう。
*
「あの、お聞きしてよろしいか」
「うん」
「この地は、どなたが治めておられるのか」
*
「……治める?」
変な質問だった。
誰が治めるも何も、ここは穴だ。
「誰も治めてないよ。掘っただけだし」
*
「……掘った」
「うん」
「どなたが」
「僕が」
*
その人が、黙った。
やたらと長く黙った。
僕はそのあいだに、お椀の水を確認した。
昨日より少し溜まっている。
*
「……お一人で」
「一人じゃないよ。この子たちがいるし」
シュナが、寝床のそばで寝ている。
ムクは、その人の兜を枕にして寝ている。
「まあ、掘ったのは僕だけど」
*
その人が、寝床の上で姿勢を正した。
折れた腕のまま、背筋を伸ばした。
「名乗るのが遅れました」
*
「メルディア聖王国、第三辺境騎士団、ライル・ヴァンガードと申します」
*
長い。
覚えられる気がしなかった。
*
「えっと、ライルさん?」
「ライル、で結構です」
「じゃあライル。僕はレオ」
「レオ、様」
「様はいらない」
「……レオ殿」
*
まあ、いいか。
殿はちょっと変だけど、様よりはましだ。
*
「レオ殿は、どちらの」
「どちら?」
「……ご所属を」
*
僕は少し考えた。
考えて、答えないことにした。
「ないよ、そういうの」
嘘ではない。
置き去りにされた時点で、あの軍とは切れている。
*
ライルは、また黙った。
黙って、深くうなずいた。
なにを納得したのか、僕には分からない。
*
「お腹すいてない?」
話を変えた。
「……は。いえ、そのような」
その瞬間、腹が鳴った。
派手に鳴った。
*
「すいてるじゃん」
「……面目次第もございませぬ」
「そんな謝ること?」
*
貯蔵室から、乾かしたキノコを取ってきた。
細長いやつを、三本。
ライルの前に置いた。
*
置いてから、手を止めた。
「……あ、いや、待って」
*
僕は、これを食べていない。
シュナが食べて、ムクが食べて、二人とも何ともなかった。
でも、犬と竜が平気だからって、人が平気とは限らない。
*
軍にいたころ、そういう話は聞いた。
馬が食う草で人が腹を壊すとか、その逆とか。
だから僕は、ずっと山芋のほうを食べていた。
山芋は、もうない。
*
「これ、たぶん大丈夫なんだけど、たぶんなんだよね」
「は」
「シュナは平気だった。でも人が食べたのは見てない」
*
ライルは、キノコを見た。
それから、手を伸ばした。
「毒見をいたします」
「え、いや、そうじゃなくて」
*
「怪我人に先に食べさせるのは、違うでしょ」
僕は一本取って、口に入れた。
*
硬かった。
味は、ほとんどない。
土の匂いがする。
噛んでいると、じわっと出汁みたいなものが出た。
「……まあ、食べられる」
*
しばらく待った。
腹は痛くならない。
痺れもない。
眠くもならない。
「うん、大丈夫そう。食べていいよ」
*
ライルは、キノコを持ったまま動かなかった。
うつむいている。
「……どうしたの。嫌いな感じ?」
「いえ」
*
「……素性も知れぬ者のために、御身が先に」
「え?」
「毒見を、されたのですか」
*
「毒見ってほどのことじゃないよ。僕もお腹すいてたし」
*
ライルの目が、赤くなった。
なんで。
*
食べ終わったあと、ライルが部屋を見回した。
「レオ殿。ひとつ、お尋ねしたい」
「うん」
「下の階の、あの床は」
*
来た。
昨日も聞かれたやつだ。
*
「だから、ムクが転ぶから作ったんだって」
「あの黒い材は」
「ただの泥だよ」
*
「……ただの、泥」
「うん。下に溜まってるやつ。ムクが持ってきた」
*
ライルは、しばらく天井を見ていた。
それから、小さく息を吐いた。
「……御身は、それをただの泥と仰せになる」
「ただの泥だからね」
*
「かたじけない」
「なんで?」
*
返事はなかった。
この人は、僕の言うことをまったく信じていない気がする。
でも、全部ほんとうのことしか言っていない。
*
「ねえライル、さっきから思ってたんだけど」
「は」
「僕の話、信じてる?」
*
「無論でございます」
即答だった。
「一言たりとも、疑うてはおりませぬ」
*
そう言われると、こっちが黙るしかない。
「……そう。ならいいけど」
*
夜、寝る前に、ライルが言った。
「レオ殿。この身、腕が治り次第、なんなりとお申し付けを」
「え、いいよ別に。怪我人だし」
「命を拾うていただきました」
*
「拾ってないよ。落ちてきたのを、置いといただけ」
*
ライルが、また目を赤くした。
だから、なんで。
*
僕は苔の皿に布をかけて、寝床に入った。
暗くなってから、小さい声が聞こえた。
「……ただの泥、か」
*
「ねえ、聞こえてるよ」
「失礼いたしました」
*
しばらくして、また聞こえた。
「ただの泥」
「聞こえてるって」
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