第14話 絶対防壁 ―ライル―
目を開けたとき、天井が光っていた。
正確には、壁だった。
緑がかった、やわらかい光。
揺れも、瞬きもしない。
油の匂いも、煙もない。
*
私は、そのまま動けずにいた。
火のない光である。
我が国の大聖堂でも、灯明は必ず燃えている。
燃えないものが、壁一面で光っている。
「……永久の、灯……」
声がかすれた。
*
起き上がろうとして、左腕に激痛が走った。
見ると、腕が白灰色のもので固められていた。
石ではない。
金属でもない。
指で叩くと、こつ、と硬い音がした。
*
骨は、正しい位置に戻されている。
軍医のいる砦でも、これほど確かな固定は見たことがない。
しかも継ぎ目がない。
型をとって流したのでは、こうはならない。
*
土だ。
土を、指で、この形にした者がいる。
「……土くれより、骨を継ぐ……」
私は震えた。
*
思い出せたのは、そこまでだった。
谷に追い落とされ、崖を転げ、岩の裂け目に吸いこまれた。
落ちた。
長く落ちた。
そして、死ななかった。
*
寝台のふちが、わずかに高い。
転げ落ちないためだ。
誰かが、そこまで考えて作っている。
私は敗残の身であり、素性も知れぬ侵入者である。
その者に、寝台を。
*
部屋を見た。
寝台が三つ。
一つは私のもの。
一つは誰かのもの。
残る一つは、まんなかがくぼみ、ふちが丸く盛られている。
獣のためのものだ。
*
人の寝所と、獣の寝所が、同じ部屋に、同じ高さで並んでいる。
我が国では、ありえぬ配置である。
神獣を、傍らに置いている。
対等に。
*
隅に、私の鎧があった。
丁寧に積まれている。
兜だけがない。
*
兜は、通路のほうから、こつん、こつん、と音を立てて近づいてきた。
中に、何かが入っていた。
ふらふら歩いてきて、寝台の脚にぶつかって、ひっくり返った。
短い手足が生えていた。
「……神獣様……」
*
神獣様は、私の兜をかぶったまま、しばらくじたばたしていた。
やがて自力で抜け出し、私を見上げた。
金色の、縦に細い瞳。
全身が泥に覆われている。
*
畏れ多くも、我が兜を。
受け入れてくださった、ということだ。
メルディアの騎士として、これに勝る栄誉があろうか。
「……かたじけのう、ございます」
「きゅる」
神獣様は、兜をくわえて去っていかれた。
持っていかれた。
*
ひとりになってから、私は寝台を降りた。
脇腹が鳴った。
歩けないほどではない。
この場所を、確かめねばならない。
*
通路は、東へ向かってゆるく上っていた。
一本道である。
分岐がない。
攻める側から見れば、これは死を意味する。
*
東の端は、土の壁だった。
塞がれている。
外との唯一の口を、自ら閉ざしている。
退路を断つ、という言葉が頭に浮かんだ。
*
天井に、穴があった。
風が落ちてくる。
私が落ちたのは、ここだ。
真下に、土の段が三つ、丁寧に均されていた。
*
私は、そこに膝をついた。
あの段がなければ、私は硬い床に叩きつけられて死んでいた。
落ちてくる者を、あらかじめ、受け止めるために。
いつからここに用意されていたのか。
*
私が落ちる前からである。
当然だ。
落ちてから作れるものではない。
「……」
膝が、なかなか伸びなかった。
*
通路の途中に、北へ開いた小部屋があった。
乾いた風が、そこだけを通り抜けている。
棚が二段。
乾かされた食物が並んでいた。
*
この深さに、湿らぬ倉を作っている。
風の通り道を先に読み、そこへ倉を置いたのだ。
順序が逆では、こうはならない。
籠城の備えである。
*
その倉の手前の床に、下へ降りる口があった。
段が、ある。
*
降りはじめて、すぐに気づいた。
段が、低い。
異様に低い。
人の歩幅と、まるで合っていない。
*
半歩ずつしか進めない。
膝が笑い、腰が重くなり、脇腹が痛む。
数えるのをやめたころ、ようやく底に着いた。
鎧を着てここを降りる者は、下に着く前に息が上がる。
*
そこに至って、私は理解した。
これは、敵の足を刻むための段である。
*
底は、闇だった。
南の壁ぎわにだけ、小さな緑の光が一つ置かれている。
その光の円の中に、黒く平らな床が広がっていた。
*
踏んだ。
沈んだ。
*
ゆっくりと、足首まで指を沈めるように、床が受け入れる。
罠か。
私は飛びのこうとして、踵で床を蹴った。
*
弾かれた。
*
尻もちをついた。
痛みはなかった。
私の全体重と、蹴りの力が、そのまま押し返されたのだ。
*
もう一度、試した。
押す。沈む。
叩く。弾く。
短剣を抜いて、突き立てた。
刃が、滑った。
*
傷ひとつ、つかなかった。
ゆるやかな力は受け流し、速い力は返す。
打撃を無効化する床。
そのようなものは、文献の中にしか存在しない。
*
「……絶対防壁……」
声に出したとき、手が震えていた。
これが城壁として立てば、投石機も、破城槌も、意味をなさない。
我が国が三十年かけて攻めあぐねた城が、瞬時に無価値になる。
*
光の円の奥に、腰までの高さの柵があった。
同じ黒い材で覆われている。
その向こうは、何も見えない。
近づいて、手をかざした。
*
何も、感じない。
魔力の気配が、途切れている。
柵の手前では、たしかに空気が震えていた。
越えた途端、無になる。
*
遮断結界。
しかも、術式の痕跡が一切ない。
誰が張ったわけでもなく、そこに在る。
私は柵に額をつけて、しばらく黙っていた。
*
この階層の全容を、私はまだ見ていない。
見た範囲だけで、これである。
*
背後で、足音がした。
振り返ると、あの御方が立っていた。
私の手当てをしたのは、この人だ。
背は高くなく、体つきも細い。
服は泥だらけで、袖がまくられている。
*
その人は、私を見て、ひどく困った顔をした。
「あ、起きたんだ。……歩いて大丈夫なの、それ」
*
声が、あまりにも穏やかだった。
私は膝をついた。
*
「……この床は」
「あー、それ」
その人は、少し照れたように頭をかいた。
「うちの子が転ぶから、作ったんだよ」
*
うちの子。
神獣様のことである。
*
神話級の絶対防壁を、幼子が転ばぬために。
城を落とすための材を、痛くないから、という理由だけで。
この方は、力を誇示するためにこれを作ったのではない。
守るべきものが、この深い底に、ただ在るのだ。
*
「……なんという」
「え?」
「なんという、御方か」
*
「いや、そんな大したものじゃないよ。ただの泥だし」
*
ただの泥。
そう仰せになった。
この、刃も通らぬ神代の材を。
私は、額を床につけた。
*
「あの、あのね、そういうのいいから」
「は」
「立って。腕、折れてるんだから」
*
「……はっ」
*
その人は、私を支えて、あの長い段を上らせてくれた。
途中で二度、休ませてくれた。
段の低さの理由を、私は問わなかった。
愚問だからである。
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