第13話 落ちてきた
朝、主坑道の床を拭いていた。
泥の足跡が、下から上まで点々と続いている。
ムクのと、僕のだ。
湿らせた土をこすりつけて、上から乾いた土をかけて、はがす。
これも最近、毎日やっている。
「ぼくのしごと、ほんとうにこれだけかもしれない」
「ウォフ」
同意された。
*
竪坑の下まで来たところで、風が変わった。
いつもは、細くまっすぐ落ちてくる。
それが、ふっと途切れた。
上で、何かが詰まったみたいに。
「……?」
*
顔を上げた。
ごとん、と音がした。
次に、ざざざ、と土がこすれる音。
それが、だんだん、速くなった。
「わ」
*
僕は横に飛んだ。
どぎゃん、と鳴った。
土の三段に、何か大きいものが落ちた。
土埃が上がって、苔の皿が倒れて、床が揺れた。
*
埃が落ち着くまで、僕は壁に張りついていた。
シュナが僕の前に出て、低く唸っている。
ムクは僕の足のうしろから、首だけ出している。
「……なに、いまの」
誰も答えない。
*
苔の皿を拾って、そっと近づいた。
人だった。
鎧を着た人が、三段の上にうつぶせで倒れていた。
*
うちは平屋だ。
二階も屋根裏もない。
上から人が降ってくる構造には、なっていないはずだった。
「……そうか、竪坑か」
落ちてくるとしたら、あそこしかない。
あそこしか、外とつながっていない。
*
僕は妙に冷静に、そんなことを考えていた。
そのあとで、遅れて手が震えてきた。
「シュナ、シュナ、どうしよう」
ウォフ。
シュナは唸るのをやめて、鼻を男の顔に近づけていた。
それから僕を見て、短く鳴いた。
生きてる、という感じの声だった。
*
近づいて、確かめた。
息はしていた。
浅いけど、している。
「生きてる」
口に出したら、膝がまた笑った。
*
土の三段は、風を確かめるために作った台だ。
掘った土が余ったから、踏み固めて均しただけのもの。
たぶん、あれがなかったら、この人は硬い床に落ちていた。
「……作っておいてよかったなあ」
しみじみした。
しみじみしている場合ではなかった。
*
まず、鎧を脱がせようとした。
これが、まったく脱げない。
*
触って、ゆるめようとした。
当然、何も起きない。
金属には、僕の手は効かない。
土なら言うことを聞くのに、鉄はびくともしない。
当たり前だ。効いたら軍が僕を土木にまわしていない。
*
しかたなく、留め具を探した。
背中に革のひもがあった。
結び目が汗と泥で固まっている。
爪でほじって、ほどいて、また別のがあって、ほじる。
*
途中でシュナが、胸当ての縁に噛みついた。
ぐいぐい引っぱりだした。
「だめだめだめ、それ人ごと動くから」
ウォフ。
不服そうに離した。
手伝うつもりではあったらしい。
*
ムクは、肩当てを舐めていた。
「それはごはんじゃないよ」
「きゅる」
しょっぱい、が入ってきた。
情報はいらない。
*
小半日かけて、鎧を外した。
下から出てきたのは、若い男の人だった。
僕より、たぶん少し下だ。
顔のあちこちが擦りむけていて、髪に土が詰まっている。
*
左の腕が、変な方向を向いていた。
脇腹に、痣が広がっている。
頭は、切れてはいるけど浅い。
「……これ、僕にできることあるかな」
考えても、あんまり自信がなかった。
医者は見たことがある。
なったことはない。
*
でも、軍にいたころ、崩れた坑道から人を引っぱり出したことは何度もある。
そのあと衛生兵が何をしていたかも、横で見ていた。
思い出せる範囲で、やってみるしかない。
*
まず、水だ。
頭の傷に土が入っている。
洗わないと、たぶん、まずい。
*
湧き水の間へ行った。
水場は、半分より少し上まで戻っていた。
一晩でこれだけしか溜まらない。
ここの水は、僕とシュナとムクの、一日ぶんだ。
*
お椀を持って、しばらく立っていた。
「……いや、考えるまでもないか」
汲んだ。
一杯だけ。
今日は僕が飲まなければいい。
*
布がなかった。
軍から持ってきたものは、もう全部どこかに使っている。
自分のシャツの裾を裂いた。
いちばん汚れていないところを選んだつもりだけど、たいして変わらなかった。
*
土を落として、傷を洗って、押さえた。
男の人は、うっすら呻いただけで、目は開かなかった。
次は、腕だ。
*
添え木がいる。
木がない。
うちには木材というものが一切ない。
あるのは土と粘土と石と、苔と、泥だ。
*
そこで、気づいた。
粘土がある。
*
湧き水の間の壁から粘土を取ってきて、こねて、腕にあてがった。
まっすぐに戻すときは、手が滑って、一回失敗した。
男の人が短く叫んで、僕も叫んだ。
シュナが飛び起きた。
*
二回目でうまくいった。
腕の形にそって粘土を巻いて、締める。
こういうのは得意だ。
水場の内張りと、やっていることは同じだから。
*
固まってきたところで、指で叩いてみた。
こつこつ鳴った。
「……できた」
思わず声が出た。
ちょっと嬉しかった。
人の腕でちょっと嬉しがるのは、どうかと思う。
*
運ぶのが、いちばん大変だった。
この人は重い。
鎧を脱がせてもまだ重い。
肩の下に手を入れて、ずるずる引きずった。
*
ムクが、うしろから頭で押してくれた。
押す方向が、だいたい横だった。
「まっすぐ、まっすぐ」
「きゅあー!」
たのしい、が来た。
この子にとっては全部あそびだ。
*
第一居室の、僕の寝床の反対側。
壁ぎわに、急いで寝床を作った。
主坑道の壁に積んである乾いた土を運んで、押して、固める。
人ひとりぶんの長さに。
ふちは、少しだけ高く。
*
夜になって、この人が寒がりはじめた。
震えている。
かけるものがない。
火は、使わない。
*
「……あ」
寝床の土に手を置いて、温度を上げた。
わずかにだけど、上がる。
僕にできるのは、そのくらいだ。
*
問題は、すぐ冷めることだ。
だから、何度もやった。
手を置いて、温める。
冷める。
また置く。
そのうち、僕のほうが疲れて眠くなった。
*
シュナが、僕を見た。
それから、のそのそ歩いていって、その人の足もとで丸くなった。
「……ありがとう」
ウォフ。
寒いだけじゃ、という声だった。
たぶん嘘だ。
*
落ちてきた鎧を、隅に運んで置いた。
胸のところに、紋章がついている。
見たことのない形だった。
鳥みたいな、木みたいな模様。
*
僕がいた軍のものではない。
ということは、どこか別の国の人だ。
どこの国だろう。
「……まあ、どっちでもいいか」
どこの誰でも、落ちてきたことは変わらない。
*
夜中に、その人がうわごとを言った。
「……第三、中隊……退がれ……」
「……申し訳、ありま……」
うなされている。
僕は聞かなかったことにした。
*
うちには、外の話は要らない。
この人が何をしてきた人でも、今は腕の折れた人だ。
それ以上のことは、知りたくもない。
*
朝、目が覚めたら、ムクがいなかった。
またか、と思って起き上がった。
いた。
*
兜をかぶっていた。
*
正確には、頭を突っこんで、抜けなくなっていた。
もがもが動いている。
しっぽだけが、元気に振れている。
「……なにしてるの」
「きゅあー!」
*
くぐもった声で、たのしい、が入ってきた。
たのしくない。
抱えて、引っぱって、すぽんと抜いた。
中が泥だらけになっていた。
あとで洗う。
水はない。
*
そのとき、うしろで、かすかな音がした。
振り返った。
寝床の上で、男の人の目が、半分だけ開いていた。
*
こっちを見ている。
いや、僕じゃない。
僕の腕の中で、泥だらけのまま、しっぽを振っている生き物を見ている。
*
男の人は、震える声で言った。
「……しん、じゅう……」
そして、また気を失った。
*
「……なに?」
聞き返したけど、返事はなかった。
ムクが僕の腕から降りて、兜のところへ戻っていった。
また頭を突っこもうとしたので、止めた。
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