第95話 どこから間違っていたんだろう?
秋の公園の静寂の中、イヤホン越しに僕の作ったデモ音源が流れ始めた。
凛のハミングから生まれた、優しく甘いメジャーコードのメロディ。
そこに、僕が迷走しながら数週間にわたって足し続けたシンセサイザーの装飾音や、ストリングスの華やかなバッキングが重なっていく。
花穂は目を閉じ、真剣な表情で音の波に身を委ねていた。
時折、微かに首を揺らしてリズムを取っている。
やがて曲が終わり、イヤホンの中に無音が訪れた。
「……どうかな」
僕が恐る恐る尋ねると、花穂はゆっくりと目を開け、イヤホンを外した。
彼女の瞳には、驚きと、どこか複雑な色が入り混じっていた。
「……これ、すっごく優しい曲だね。奏多が今まで作ってた、あのヒリヒリするような暗い曲とは全然違う」
「わかるのか?」
「わかるよ‼ だって、聴いててすごく温かい気持ちになるもん。……なんだか、ものすごく大切に想ってて、その愛が溢れ出ちゃってるみたいな、そんな曲」
花穂の直感的な感想に、僕はハッとした。
僕が音に込めた凛への重たい愛情を、彼女は一発で見抜いてしまったのだ。
花穂は少しだけ視線を落とし、寂しそうな、けれど強がっているような笑みを浮かべた。
「……こんな甘い曲作らせるなんて、その『ネットの知り合い』さん、よっぽど奏多にとって特別な人なんだね」
「っ……」
「あはは、図星でしょ? 奏多の顔、分かりやすいもん」
鋭すぎるツッコミに、僕は言葉を返すことができなかった。
花穂は僕が音楽を再開した相手が冬峰 凛であることを、まだ知らないはずだ。
しかし、幼馴染の鋭い勘は、確実に核心へと近づいていた。
「……で、どうだった? 曲としては」
「うーん……」
花穂は誤魔化すように空を見上げ、少しだけ唇を尖らせて考え込んだ。
「メロディはすっごく良くて、奏多の真っ直ぐな気持ちが伝わってくるんだけど……なんだろう、伴奏っていうのかな。後ろで鳴ってるキラキラした音が、ちょっと邪魔っていうか」
「邪魔……?」
「うん。なんか、奏多らしくないっていうか、無理に綺麗におめかししようとしてる感じがするの。……昔の奏多の曲って、もっと不器用だけど、ピアノの音がすごく真っ直ぐに響いてきて、心にガンッて響くものがあったじゃない?」
花穂は僕の目を真っ直ぐに見つめ、言葉を探すように宙で手を動かした。
「今の音源は、何かこう……音がいっぱい重なってて、肝心の『奏多の本当に伝えたい気持ち』が厚化粧の下に隠れちゃってるみたい。無理にお花畑みたいなキラキラを足そうとしすぎてる気がするな」
花穂の指摘は、的確すぎて僕の胸を鋭く抉った。
まさに、結城さんが「過剰な装飾のせいで死んでいる」と言ったのと同じことだった。
「厚化粧、か……」
「そうだよ‼ メロディがすごく素直で優しいんだから、もっと『引き算』してみたらどうかな? いろんな音を重ねて隠すんじゃなくて、一番聴かせたい音だけを残すの」
花穂は身を乗り出し、熱を込めて語り続ける。
「例えば、最初はピアノ調だけで静かに始まるとかさ。奏多のピアノ、あたし昔から大好きだったし。ボーカルが入るなら、声とピアノだけで勝負するくらいのシンプルさがあってもいいと思う。奏多の想いは、綺麗に飾らなくても十分に強いんだから」
その言葉を聞いた瞬間、僕の目から鱗が落ちるような感覚があった。
ラブソングだから、世間一般の『甘い曲』の型にはめなければならない。
そんな固定観念に縛られて、僕は凛が紡いでくれたあの素直なハミングの良さを、自分自身で塗り潰してしまっていたのだ。
もっとシンプルに。
不器用な僕たちらしく。
引き算のアレンジで、飾らないピアノの音色と、歌声だけで勝負すればいい。
「……花穂」
「ん?」
「ありがとう。……すごく、助かった。二週間ずっと悩んでたのが嘘みたいに、お前のおかげで迷いが吹っ切れたよ‼」
僕が心からの感謝を伝えると、花穂は少しだけ驚いたように目を丸くし、やがて得意げに胸を張った。
「えへへっ‼ でしょでしょ! あたしに相談して大正解だったね!」
「ああ。本当にお前の直感はすごいよ」
「よーし! じゃあ、この的確なアドバイスのお礼は、駅前のケーキセットで手を打ってあげる! もちろん、奏多のおごりでね!」
「わかったよ。曲が完成したら、必ず奢る」
「絶対だからね!」
僕が約束すると、花穂は小指を突き出してきた。
僕がその小指に自分の指を絡めると、彼女は満足そうに笑った。
「本当にありがとうな、花穂」
「うんっ! 頑張ってね、奏多!」
花穂に見送られながら、僕は公園を後にした。
足取りは、家を出てきた時とは比べ物にならないほど軽かった。
頭の中には、すでに新しいアレンジの構想が溢れ出している。
秋の高く澄んだ空を見上げながら、僕は確かな完成の予感を胸に、自分の部屋へと走り出した。
◇◇◇
奏多の背中が公園の角を曲がり、完全に見えなくなるまで、花穂は笑顔で大きく手を振り続けていた。
しかし、彼が視界から消えた瞬間。
花穂の顔から、太陽のような明るい笑みがスッと消え去った。
秋の冷たい風が吹き抜け、彼女の明るい茶髪を揺らす。
誰もいなくなった静かな公園のベンチに一人、ぽつんと座り直した。
先ほどイヤホンから流れてきた、奏多の新しい曲のメロディ。
それは、温かくて、優しくて、誰かを心の底から愛していることが、痛いほどに伝わってくる甘い音。
「……バカ」
花穂は自分の膝をギュッと抱きしめ、顔を伏せた。
「あんな必死な顔して……あたしの前で、他の女の子のための曲、作らないでよ……」
ポツリと、誰に聞かれることもない寂しい呟きが、秋の空気に溶けていく。
花穂は知っていた。
奏多が音楽を再開した相手が、冬峰 凛だということを。
彼の紡ぐ新しい音が、強烈な愛情で満ち溢れていることを。
そして、それを向けられている相手が自分ではないことを。
「……あたしの方が、ずっと前から奏多のこと見てたのに」
ぽたりと、デニムのショートパンツに小さな水滴が落ちた。
ずっと隣にいた幼馴染の特権は、いつの間にか、霞んでしまっていた。
それでも、花穂はまだ、初恋の未練を捨てることはできない。
「……絶対に、負けないんだから」
花穂は涙を乱暴に袖で拭うと、誰もいない公園で、もう一度自分に言い聞かせるように呟いた。
冷たさを増していく秋の風の中、太陽のような少女は一人、行き場のない想いを持て余したまま、赤く染まり始めた空を見上げていた。
カクヨムでも同作品を先行して投稿しております。
先が気になった方はそちらもご覧ください。




