第92話 忘れない愛を歌うようにね
その日の放課後。
僕の部屋には、僕と凛、そして結城さんの三人が集まっていた。
「……さて。二曲目の反響も落ち着き、我々『Polaris Echo』の知名度は無名ではなくなりました。ここからが本当の勝負ですわ」
結城さんがノートパソコンを閉じ、優雅に眼鏡を押し上げた。
彼女の言う通り、二曲目はネットの海で大嵐を巻き起こし、ライブ映像を経て、その人気は不動のものとなりつつある。
「次なる三曲目。これが、我々の今後の方向性を決定づけると言っても過言ではありません。……灰原さん、凛。次回作の構想は、何かありますか?」
結城さんの問いかけに、僕と凛は顔を見合わせた。
才能のない僕を再起させた一曲目の『Rewrite』。
感情を剥き出しにして叩きつけた二曲目の『Replica』。
次に僕たちが紡ぐべき音は、一体何なのか。
「うーむ……そうだね……どうしよう」
「世間のリスナーたちは、きっと今までの曲のような激しい感情の爆発を、次も求めているでしょうね。しかし、同じアプローチを繰り返すだけでは、アーティストとしての進化はありません。何か、聴く者の予想を裏切るような斬新なテーマが欲しいところですわ」
結城さんは腕を組み、真剣な表情で思案し始めた。
僕も試しにとキーボードの前に座り、頭の中で様々なコード進行を思い浮かべては指先で音階を奏でてみる。
しかし、不思議なことに、以前のように焦燥感に駆られるようなマイナー調のメロディや、胸を掻き毟りたくなるような不協和音が、全くと言っていいほど浮かんこないのだ。
チラリと隣を見ると、凛もまた、難しい顔をして考え込んでいるようだったが、僕と目が合うと、すぐにふにゃりと表情を緩め、甘い視線を送ってきた。
僕もつられて、無意識のうちに微笑み返してしまう。
「……お二人とも」
「「‼」」
不意に、結城さんがジト目で僕たちを睨みつけた。
「話し合いの最中だというのに、先ほどからお互いを見つめ合って、なんですかその甘ったるい空気は。……はぁ。ダメですね、どうにも今日は、動画のインスピレーションが湧いてきません。少し煮詰まってしまいましたわ」
結城さんはわざとらしく深いため息を吐き出すと、ノートパソコンをパタンと閉じて立ち上がった。
「わたくしの頭が働かないのは、この部屋の空気が甘すぎるからかもしれませんわね。……動画のインスピレーションを探すためにも、わたくしは気分転換に近所のカフェに行ってきますわ」
「えっ、結城さん。もう行っちゃうの?」
「ええ。お二人で、しっかりと楽曲のテーマを話し合っておいてくださいな。くれぐれも、ただイチャイチャして時間を無駄にしないように」
結城さんはそう言うと、意味深な笑みを浮かべて鞄を持ち、部屋を出て行った。
「う……うん。分かったよ」
それは、僕と凛を二人きりにするための、あからさまな気遣いだった。
「……結城さん、絶対に楽しんでるよね」
「ええ、栞のそういうところ、本当に助かるわ」
パタンと扉が閉まり、部屋の中には僕と凛の二人だけが残された。
完全な静寂と、少しだけメイン照明を落とした薄暗い部屋。
先ほどまでの真面目な空気が嘘のように、途端に濃密で甘い空気が漂い始める。
「……やっと、二人きりになれたわね」
凛は学校の制服姿のまま、黒縁眼鏡を外して机の上に置いた。
そして、キャスター付きの椅子を僕の方へと極限まで寄せ、僕の右腕に自分の両腕を絡ませてすり寄ってきた。
「ちょっと、凛。……話し合いをしないと」
「しているじゃない。……こうしてあなたにくっついている方が、良いアイデアが浮かぶのよ」
凛は僕の肩にこてんと頭を乗せ、甘いシャンプーの香りを漂わせながら囁いた。
凛の右手の人差し指にはめられた真珠の指輪が、僕の腕に微かに触れる。
学校内の距離が縮まったとはいえ、やはり誰の目もないこの密室での彼女の甘え方は、タガが外れたように強烈だった。
「……それで? 三曲目だけど、奏多は何か作りたい曲のイメージはあるの?」
凛が上目遣いで僕を覗き込んでくる。
その潤んだ瞳に見つめられながら、僕は少しだけ考えて口を開いた。
「うーん……一曲目が再スタートの曲で、二曲目が激しくて痛切な曲だっただろ? だから次は、全く違うアプローチがいいかなって思ってるんだ」
「違うアプローチ?」
「うん。……正直に言うと、結城さんは激しい曲の次をって考えてたみたいだけど、今の僕には、あんな焦燥感に満ちた音はもう作れないかもしれないんだ」
僕が打ち明けると、凛は少しだけ目を丸くした。
「今までの曲たちは、暗闇の中で、誰かに見つけてほしくて泣き叫んでいるような感情が原動力だった。でも、今は違う」
僕は、僕の腕に抱きついている凛の温もりを確かめるように、そっと彼女の肩に手を回した。
「今は、君がいる。君が僕の音を見つけてくれて、一緒に音楽をやって……僕の世界は、もう完全に色づいてしまったんだ。だから、以前みたいに、暗闇の中で叫んでいるような焦燥感が、全然湧いてこないんだよ」
僕が自分の心境の変化を正直に語ると、凛は一瞬だけ息を呑み、やがてふふっと嬉しそうに笑い声を漏らした。
「……奇遇ね。私と全く同じだわ」
「凛も?」
「ええ。……だって、今の私、奏多のことで頭がいっぱいだもの。四六時中、あなたが私のことを好きだっていう事実が嬉しくて、幸せで……胸の奥がずっと温かいの」
凛はそう言って、僕の腕にすりすりと頬を擦り付けてきた。
「誰とも関わらずに孤独に歌っていた頃の、あのヒリヒリした感情なんて、もう思い出せないわ。こんなに満たされて幸せな状態で、暗くて激しい曲なんて、歌えそうにない」
凛の真っ直ぐな言葉が、僕の心臓を容赦なく甘く締め付けていく。
互いに、互いの存在によって完全に満たされている。
負の感情を原動力にしていた僕たちの音楽は、もはや過去のものになってしまったのだ。
「……じゃあ、三曲目は」
「ええ。……世間の期待なんて関係ないわ。今の私たちらしい、甘くて、幸せな、極上のラブソングにしましょう」
凛の提案に、僕は深く頷いた。
僕たちが互いに抱いている、このドロドロに溶けきった感情。
狂おしいほどの独占欲と、才能を全肯定し合う重たい愛情。
それをそのまま音にして、世界に放つのは今の僕たちにしか作れない、最高のラブソングになる予感がした。
カクヨムでも同作品を先行して投稿しております。
先が気になった方はそちらもご覧ください。




