第9話 形にして声に出して
僕がスペースキーを叩くと、スピーカーから不器用で歪な旋律が流れ始める。
イントロが終わり、冬峰さんが息を吸い込む音がヘッドホン越しに聞こえた。
そして、彼女の歌声が部屋に響き渡った瞬間。
部屋の空気が、一変した。
「――っ」
背筋を強烈な電流が駆け抜けたような感覚だった。
透き通るような高音でありながら、魂の奥底を直接揺さぶるような強く熱い声。
旧校舎の音楽室で聴いたアカペラも凄まじかったが、こうしてきちんとしたマイクを通し、僕の作った伴奏と完全にリンクした彼女の歌声は、言葉を失うほどの圧倒的な力を持っていた。
ネットで『心がない』と叩かれ、僕自身も才能の限界を感じてゴミ箱に捨てた曲。
それが今、冬峰さんという圧倒的な熱源を得て、信じられないほどの生命力を宿し、どくどくと脈打っている。
僕は震える手でマウスを操作し、彼女の歌声に合わせてリアルタイムでイコライザーを調整していく。
楽しい。
自分の作った音が、誰かの声によって鮮やかに塗り替えられていくこの瞬間が、恐ろしいほどに楽しかった。
才能がないと絶望していた僕の心に、再び消えることのない熱い炎が灯ったのを感じた。
曲が終わり、深い余韻が部屋を包み込む。
「……どうかしら」
ヘッドホンを外した冬峰さんが、少しだけ不安そうに僕を見る。
「完璧だ。……本当に、君の歌声は天才だよ。僕の空っぽだった曲が、生まれ変わったみたいだ」
僕が心からの称賛を伝えると、冬峰さんは頬をほんのりと赤く染め、ぱぁっと花が咲いたような美しい笑みを浮かべた。
「嬉しい。……私の方こそ、あなたの曲を歌っていると、自分が本当の自分になれる気がするの」
「お見事です、お二人とも」
ソファから結城さんが拍手をしながら立ち上がった。
「凛のボーカルと、灰原さんの楽曲。この二つが合わされば、間違いなくネットの海で大きな嵐を起こせます。わたくしも、動画クリエイターの魂が疼いてきましたわ」
三人の間に、確かな共鳴が生まれた瞬間だった。
僕たちの秘密の第一スタジオは、こうしてゴールデンウィークの熱気と共に、本格的な稼働を始めたのだ。
しかし、一方その頃。
僕の家のすぐ隣。
――ベランダから僕の部屋の窓が見える距離にある日向家では、全く別の嵐が巻き起こっていた。
幼馴染の日向 花穂は、二階の自室から偶然、僕の家に冬峰さんと結城さんが入っていくのを目撃してしまっていたのだ。
「……え? あれは……冬峰さん? うそ……なんで、冬峰さんが奏多の家に?」
学年で知らない者はいない『氷の令嬢』。
誰とも関わろうとしないはずの彼女が、なぜ休日に、しかも私服で奏多の家を訪れているのか。
学校で見る冬峰さんとはまた違う。
ううん、全く別と言ってもいい。
花穂の手の中で、読みかけの漫画雑誌がくしゃりと音を立てて握り潰された。
奏多は中学生のころ、ネットの誹謗中傷に心を壊され、音楽を辞めてしまった。
ずっと隣で彼を見てきた花穂は、彼がどれほど深く傷ついているかを知っている。
だからこそ、無理に踏み込まずに見守ってきたのだ。
それなのに、なぜあんな学年一の美少女が彼のテリトリーに足を踏み入れているのか。
「嫌な予感がする。奏多に聞く……? いや、それだと上手くはぐらかされる……どうしよ~~~~~」
太陽のように明るい花穂の胸の奥底に、チクリとした痛みを伴う、得体の知れない焦燥感と嫉妬の炎が小さく芽生え始めていた。
◇◇◇
ゴールデンウィークが明け、学校が再開された翌朝の通学路。
隣を歩く花穂は、あからさまに不機嫌そうなオーラを放っていた。
「ねえ、奏多。連休中、何か変わったことなかった?」
花穂が鋭い視線で探りを入れてくる。
僕は冷や汗をかきながら、努めて平坦な声で答えた。
「いや? 特には。ずっと家でゲームしてたかな」
「ふーん……? じゃあ、あたしが見たのは幻だったのかなぁ。休みの日に、冬峰さんが奏多の家に入っていくのを見たんだけど」
心臓がドクンと跳ね上がった。
見られていたのか。
よりによって、一番バレてはいけない幼馴染に。
「あ、ああ! あれは違うんだ! ほら、文化祭の出し物の準備でさ、結城さんも一緒だったし!」
「白状したね! やっぱり来ていたんだ!」
「うぐっ!」
自らボロを出してしまった。
花穂相手には慎重に言葉を選ぶつもりだったのに。
「怪しい! なんで帰宅部の奏多があんな美少女と家で準備なんてするのよ! それに、五月に文化祭の準備なんて早すぎるでしょ!」
その通り……その通り過ぎる。
花穂の的確すぎるツッコミに、僕は言葉に詰まった。
彼女が詰め寄ってきた、まさにその時だった。
僕の制服のポケットでスマートフォンが震え、画面が明るく点灯した。
『フユ:おはよう。連休中の録音、すごく良かったわ。今日の放課後も、早くあなたの家に行きたい』
今、このタイミングで鳴るのは非常にまずい。
僕は急いで、スマホの画面を消したが、ロック画面にデカデカと表示されたメッセージを、花穂がバッチリと目撃してしまった。
「……フユって、誰? まさか、冬峰さんのこと⁉」
「ち、違う! これはその、ネットのゲームのフレンドで……!」
必死に誤魔化そうとする僕を、花穂はじっと睨みつけた。
「嘘ばっかり。……奏多、あたしの知らないところで、遠くに行っちゃいそうで嫌だ」
花穂がぽつりとこぼしたその弱音に、僕は胸が締め付けられるような罪悪感を覚えた。
「大丈夫。僕がお前の前からいなくなったって、見つけてたじゃないか。今までだって」
「そうだけどぉ……」
「今回も僕が遠くに行きそうになってたら支えてくれ」
才能の壁に絶望した凡人と、孤独な氷の令嬢。
二人の不協和音が世界に響き渡る日は、もうすぐそこまで迫っていた。
カクヨムでも同作品を先行して投稿しております。
先が気になった方はそちらもご覧ください。




