第87話 誰も知らぬ景色のその先へ
僕たちはそれぞれの戦利品を抱えながら、広大なミュージアムショップのさらに奥へと足を踏み入れた。
ショップ内は、帰り際に買い物をしようとする家族連れやカップルでごった返している。
「わぁ‼ 可愛いものがたくさんあって、迷っちゃうわね」
「あんまり急がなくていいから」
凛は子供のように目を輝かせ、棚に並べられた商品を一つ一つ丁寧に見つめながら歩き出した。
僕たちはショップ内の様々なコーナーをゆっくりと見て回る。
最初に立ち止まったのは、食器やカトラリーが並ぶ生活雑貨のコーナーだった。
「ねえ、奏多。これ、見て」
凛が立ち止まり、ショーケースに飾られたマグカップを指差した。
それは、淡い水色とピンクのペアマグカップで、二つを並べるとイルカのシルエットが向かい合ってハートの形になるという、いかにもカップル向けの可愛らしいデザインだった。
なんか、ちょっと刺激が強いように感じるのは僕だけだろうか。
「マグカップだね。色合いが綺麗だ」
「ええ。……これ、すごく可愛い。それに、毎日使う日用品でしょ?」
凛はマグカップを愛おしそうに見つめながら、ぽつりと呟いた。
そして、ふいに僕の方へと顔を向け、上目遣いで潤んだ瞳を向けてきた。
「……将来、奏多のお嫁さんになったら。毎朝、私がこれでコーヒーを淹れてあげるの。寝癖のついた奏多が起きてきて、二人で『おはよう』って言いながら、一緒にこれを……」
凛はそこまで口にしてから、自分の頭の中で勝手に展開された破壊力抜群の妄想に耐えきれなくなったらしい。
「っ……‼ だ、ダメよ‼ 想像しただけで、心臓が爆発しちゃう……っ‼」
凛は片手で自分の真っ赤な顔を覆い隠し、その場で身悶えするようにフルフルと震え始めた。
「自分で言っておいて悶絶するのか……」
「だ、だって……奏多と一緒に暮らすなんて想像したら、幸せすぎてどうにかなっちゃいそうだもの……っ」
「まあ、そのうちな?」
「はうっ‼」
顔を赤くしながら雑貨コーナーを抜け、次はアパレルや身につけるグッズが並ぶコーナーへとやってきた。
そこには、水族館の生き物たちをモチーフにしたTシャツやタオル、帽子などが所狭しと陳列されている。
「あっ、これ面白いわね」
凛が興味深そうに手に取ったのは、ペンギンやイルカの顔がデザインされた、ふわふわのカチューシャだった。
「遊園地とかでよく見るやつだな。水族館にもあるんだ」
「奏多、こっち見て」
僕が振り返ると、そこには頭にちょこんとペンギンのカチューシャを乗せた凛が立っていた。
淡いアイスブルーのワンピースと、彼女の清楚な顔立ち、そして頭に乗ったコミカルなペンギンの組み合わせ。
そのあまりにも破壊的なギャップに、僕は文字通り呼吸を忘れ、完全にその場に釘付けになってしまった。
「……どうかしら。似合う?」
凛は少しだけ首を傾げ、あざといくらいの上目遣いで僕を覗き込んでくる。
「……反則だ。可愛すぎて、直視できない」
僕が語彙力を失い、ただ素直な感想をそのまま口にした瞬間。
「んあっ……!」
凛は小さく悲鳴を上げ、再び両手で顔を覆ってしまった。
「も、もう……っ! 奏多のバカっ。そういうことサラッと言うんだから……心臓に悪いわ」
「本当のことだよ。その姿で学校に行ったら、全校男子が気絶するんじゃないか?」
「学校になんて着けていかないわよ! ……あなたにだけ、見てもらえればいいの」
凛は恥ずかしさを誤魔化すように僕の腕にきゅっとしがみつき、僕の肩にこてんと頭を乗せてきた。
しばらく被り物ではしゃいだ後、僕たちはカチューシャを元の場所に戻し、さらに奥のステーショナリーコーナーへと足を進めた。
そこには、マグカップや被り物、文房具といった様々な日用品を見て回りながら、僕たちはショップ内の時間を心ゆくまで堪能した。
「……色々と見たけど、何か欲しいものある? 今日のお弁当のお礼に、僕がプレゼントするよ」
僕が言うと、凛はパッと顔を輝かせたが、すぐに少しだけ遠慮するような表情になった。
「えっ……でも、お弁当は私が作りたくて作っただけだし、チケット代だって奏多に出してもらったのに」
「いいんだよ。僕からの気持ちだから。……遠慮しないで」
「ありがとう……嬉しい」
僕が真っ直ぐに目を見て告げると、凛はほんのりと頬を桜色に染め小さく頷いた。
彼女は少しだけ思案するように視線を巡らせたが、ショップ内でこれといったものを決めきれないようだった。
「迷ってる?」
「うーん……どれも魅力的だけど、なんだか決めきれなくて」
そんな時だった。
ショップの出口のすぐ近く、少し開けた特設コーナーの前に、『アコヤ貝から真珠の取り出し体験!』と書かれたカラフルな看板が立っているのが目に入った。
「あ、奏多。あれ見て」
凛が指差した先には、大きな水槽に沈められたたくさんの貝と、それを取り出して作業をしている親子の姿があった。
看板には、『自分で取り出した真珠を、その場でアクセサリーに加工できます』と書かれている。
「……どう? やってみる? 凛、自分で真珠を取り出してみないか?」
僕が提案すると、凛の瞳がキラキラと輝きを増した。
「私が、自分で……? なんだか楽しそう! やってみたいわ」
僕たちは特設コーナーの受付に向かい、体験料を支払った。
「じゃあ、この水槽の中から、好きなアコヤ貝を一つ選んでくださいね」
スタッフの人が手袋とトングを渡してくれる。
「どれがいいかしら……」
凛は真剣な眼差しで水槽の中を覗き込み、しばらく悩んだ後、少し小ぶりで形の綺麗なアコヤ貝を一つ選び出した。
「これにするわ」
スタッフの人に貝を渡し、専用の作業台へと案内される。
「バターナイフを貝の隙間に入れて、パカッと開いてみてください。その中に、真珠が隠れていますよ」
凛は少し緊張した面持ちでバターナイフを受け取り、教えられた通りに貝の隙間に差し込んだ。
僕も隣で、息を呑んで見守る。
「……えいっ」
パカッ、と貝が開く。
凛はピンセットを使って、貝の身の中をそっと探り始めた。
「あ……あった!」
凛が歓声を上げ、ピンセットの先で小さな丸い粒をつまみ出した。
スタッフの人がそれを受け取り、クロスで綺麗に拭き上げてから、小さなトレーに乗せてくれる。
「おめでとうございます! 綺麗なシルバーブルーの真珠ですね‼」
「わぁ……本当に綺麗‼」
光の加減で青みがかって見える、神秘的で美しい一粒の真珠。
「すごいな。凛が選んだから、やっぱり綺麗な真珠が出たんだよ」
「ふふっ。なんだか、私だけの宝物を見つけた気分だわ」
「こちらの真珠は、追加料金でネックレスや指輪などに加工できますが、どうされますか?」
スタッフの人が、様々なアクセサリーの金具パーツが入ったケースを見せてくれた。
「今日のお礼だ。加工代も僕が出すから、好きなのを選んで」
「……ありがとう、奏多」
凛はケースの中を真剣に見つめ、やがて一つのパーツを指差した。
「私、これにするわ」
凛が選んだのは、両サイドに小さなストーンがあしらわれた、細身のシルバーリングの金具だった。
「指輪……いいな。すごく似合いそうだ」
「ええ。……これなら、ずっと身につけていられるし。いつでも奏多と一緒にいるって、強く感じられるから」
凛は愛おしそうに指輪の金具を見つめた。
スタッフの人に真珠を金具に取り付ける加工をお願いする。
五分ほどで、美しいストーン付きリングが完成した。
小さなジュエリーボックスに入ったそれを受け取り、僕たちはお礼を言って特設コーナーを後にした。
帰り際に、妹へのお土産としてイルカのクッキーも一緒に買っておいた。
「……絶対に失くさないように、大切にするわ」
ジュエリーボックスを前に、凛は頬を赤くして微笑んだ。
「せっかくだから、今つけようか」
僕が提案すると、凛はぱぁっと花が咲いたような笑顔を見せた。
「うんっ! 私もそうしたかったの!」
行き交う人々の喧騒から少しだけ離れたその場所で、僕はジュエリーボックスを開け、真珠の指輪をそっとつまみ出した。
「……手、貸して」
僕が言うと、凛は少しだけ震える右手を、ゆっくりと僕の方へと差し出してきた。
きっとそのうち……この手が左手に変わる日が来るのだろうか。
僕は彼女の冷たくて細い右手を左手でそっと支え、右手で持ったストーン付きの真珠の指輪を、彼女の右手の人差し指へとゆっくりと滑り込ませた。
少しだけひんやりとしたシルバーの感触が彼女の指を通り、関節を抜けて、根元へとぴたりと収まる。
「ぴったりだ」
「ええ……すごく、嬉しい」
凛は自分の人差し指にはめられた真珠の指輪を胸元に掲げ、夕暮れに近づく光に透かして愛おしそうに見つめた。
「大切にするね、奏多」
「ああ。僕も、喜んでもらえてよかったよ」
カクヨムでも同作品を先行して投稿しております。
先が気になった方はそちらもご覧ください。




