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第80話 はじけて忘れてしまう前に

 同じ頃、灰原はいばら家から少し離れた冬峰ふゆみね家の自室。


 私は、自分のベッドの上に綺麗に広げられた洋服を、愛おしそうに見つめていた。


 淡いアイスブルーのノースリーブワンピースと、上に羽織る薄手の白いカーディガン。


 そして、水族館の中を歩き回っても疲れない、ヒールの低いサンダルだ。


「……ふふっ」


 明日、これを着て奏多かなたの前に立った時、どんな反応をしてくれるだろうか。


 少しだけ目を丸くして、顔を真っ赤に染めながら視線を逸らすのだろうか。


 それとも、照れくさそうに「すごく似合ってるよ、りん」と言ってくれるだろうか。


 奏多かなたの不器用で、けれど真っ直ぐな言葉を想像するだけで、私の心臓は狂おしいほどの速さで脈打ち、顔から火が出そうなくらいに熱くなってしまう。


 スマートフォンを胸に抱きしめ、私はベッドの上でコロンと寝返りを打った。


 画面には、つい先ほどまでやり取りをしていた、奏多かなたとのメッセージ履歴が表示されている。


『奏多:いいよ。僕もりんの声、聞きたいから』


『奏多:もう十分、君に釘付けになってるんだけどな』


 ん~~~~~~~~~~~好き‼ 好き好き‼ ちゅっちゅっ‼


 その短いテキストを何度も何度も読み返しては、クッションに顔を埋めて足をバタバタとジタバタさせてしまう。


 私が声を聞きたいと言った時、奏多かなたも聞きたいと即答してくれた。


 私のことを釘付けになっていると言ってくれた。


 奏多かなたが私のために、しおりにまで頼み込んで慣れない服選びを頑張ってくれたという事実が、私の胸の奥をこれ以上ないほど甘く溶かしていく。


 休日に遊びに行くような友人もしおりしかおらず、男の子と二人きりでデートに出かけるなんて、これまでの私の人生では絶対にあり得ないことだった。


「早く……早く明日にならないかしら」


 私はアイスブルーのワンピースの隣で、再びクッションをぎゅっと抱きしめた。


 奏多かなたと二人きりで水族館を歩く。


『……りん、すごく綺麗だ。見とれちゃったよ』


「んあっ……⁉ 好きっ……‼」


 自分の脳内で再生された奏多の照れ顔と不器用な言葉に、私は耐えきれずにクッションに顔を押し付けてもだえ苦しんだ。


 あの普段は大人しくて、音楽以外には無頓着な奏多かなたが、私のために一生懸命に言葉を選んでくれる。


 ()()()()()()()()()()()()


 顔を真っ赤にして照れる奏多かなたを見るのが、私は大好きなのだ。


 ――そして、水族館の薄暗い館内。


 青い光に照らされた水槽の前を、二人で歩く。


 彼はエスコートしなきゃって少しだけ肩に力が入っていて、歩幅を私に合わせてくれる。


 私がわざと奏多かなたの手の甲に自分の指を触れさせたら、彼はビクッとして、でも決して拒絶したりはしない。


『……りん、はぐれるから。こっちにおいで』


 奏多かなたの方から私の手をきゅっと握ってくれる。


 少しだけごつごつした男の子らしい手と、私より少し高い体温。


 その温もりが直接伝わってきて、彼の心臓の音が私の鼓動と重なる。


「ああっ、もうっ‼ ダメ、奏多かなたがカッコよすぎる……‼」


 私はベッドの上でゴロゴロと転げ回り、完全に限界突破した自分の思考回路に赤面した。


 少しだけ頼りなくて、不器用で、でも優しくて真面目で大好きな奏多かなた


 彼の匂いも、彼の声も、困ったように眉を下げるあの顔も、すべてが愛おしくてたまらない。


 もし……もし、水族館の誰にも見られない深海魚のコーナーとかで、私が彼を壁際に追い詰めたら。


 彼に密着して、上目遣いで見つめたら。


『……奏多かなた、誰も見ていないわよ』


 私がそう囁いたら、彼はどうするだろう。


 いつもみたく、顔を赤くして逃げようとするかな?


 ううん、明日の彼はきっと違う。


 彼は逃げずに、私の腰に腕を回して、私を自分の方へと強く引き寄せるはず。


『……君が可愛すぎて、僕の方が我慢できなくなりそうなんだ』


 そして、私の唇に……奏多かなたの唇が……。


「っ……‼ し、心臓が爆発するぅ……っ‼」


 はー♡はー♡はー♡ 好き……好き‼


 私はベッドから転げ落ちそうになりながら、自分の妄想の破壊力に息も絶え絶えになっていた。


 彼への想いが、とめどなく溢れ出し、私自身にも制御できない怪物のように膨れ上がっている。


 ブブッ。


 その時、スマートフォンのバイブレーション音が鳴り、私は慌てて画面を確認した。


 メッセージの送り主は、しおりからだった。


『栞:りん。明日の準備は万端ですか? お肌のコンディションを整えるためにも、今夜は早く休むことをお勧めしますわ』


 ……()()()()()()()()()()()()()()()()


 でも、しおりのおかげで現実に向き合うことができた。


『凛:ええ、もちろんよ。服も完璧だし、明日のプランも頭に入ってるわ』


『栞:あら、りんのことだから大丈夫じゃないとか言って来そうでしたが……杞憂でしたね』


 ……絶対、しおりは分かってて言っている。


『栞:彼の反応を後で聞くのを楽しみにしていますわ』


 しおりの悪戯っぽいメッセージに、私は思わずくすくすと笑い声を漏らした。


 彼女には本当にお世話になりっぱなしだ。


 でも、明日は、他の誰の目にも入れたくない。


 奏多かなたには、私だけを見ていてほしい。


『凛:任せて。私以外見られないくらい、ドロドロに溶かしてあげるんだから』


 私は力強く返信を打ち込み、スマートフォンをサイドテーブルに置いた。


 部屋の明かりを消し、ベッドに潜り込む。


 目を閉じると、彼の温かい手のひらの感触と、少しだけ不器用な笑顔が脳裏に浮かび上がってくる。


「おやすみなさい、奏多かなた。……明日、覚悟しておいてね」


 暗闇の中で小さく呟いた言葉は、誰に聞かれることもなく夜の空気に溶けていく。

カクヨムでも同作品を先行して投稿しております。

先が気になった方はそちらもご覧ください。

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