第72話 私らしくおはよう
薄暗い部屋に、カーテンの隙間から微かに朝の光が差し込み始めていた。
完全な静寂の中、僕の耳に届くのは、すぐ隣から聞こえてくる規則正しい寝息と、微かなクーラーの駆動音だけだった。
……朝か。
ゆっくりと目を開けると、そこには僕の腕の中にすっぽりと収まり、静かに眠る凛の姿があった。
ルームウェア越しに伝わってくる、柔らかな体温。
シーツの中で僕の足に絡められた素足からは、ひんやりとした滑らかな感触が直接伝わってくる。
昨夜の文化祭の後、お泊まりをして朝まで抱き合っていた僕たちは、完全に密着したまま朝を迎えていた。
……可愛いな。
本当に、どうしようもなく可愛い。
長い睫毛が白い頬に影を落とし、少しだけ開いた桜色の唇から、甘い吐息が規則的に漏れている。
僕の腕の中でこんなにも無防備な姿を晒している凛が、たまらなく愛おしい。
好きだ、彼女のことが好きすぎて、どうにかなってしまいそうだ。
ずっと見ていたい。
このまま時間が止まってしまえばいいのに。
そっと頬に触れようと指を伸ばした、その時だった。
「ん……っ」
不意に、凛が小さく身じろぎをし、僕の胸にすりすりと頬を擦り付けてきた。
そして、ゆっくりと重い瞼を開け、潤んだ瞳で僕を見上げた。
「……おはよう、奏多」
起きて一番最初に紡がれた言葉が、僕の下の名前だった。
その甘く、とろけるような響きに、僕の心臓は朝一番からドクンと大きな音を立てて跳ね上がった。
「おはよう、凛。……よく眠れた?」
「ええ。……奏多の腕の中、すごく温かくて、安心したから。一度も目が覚めなかったわ」
凛は悪戯っぽく微笑むと、僕の首に両腕を回し、さらにぎゅっと強く抱きついてきた。
朝から、ズルいな。
僕も彼女の華奢な背中に腕を回し、その温もりを逃がさないようにしっかりと抱きしめ返した。
「……ねえ、奏多」
「なに?」
「朝の挨拶。……何か忘れてない?」
凛は僕の胸から少しだけ顔を上げ、潤んだ瞳で僕の唇を見つめてきた。
そのあからさまなおねだりに、僕の顔は一瞬で熱くなる。
そういうところが、本当に可愛くてズルい。
「だ、だから、キスは付き合うまでお預けだって言っただろ?」
「ちぇっ……奏多のいじわる。じゃあ、ほっぺたになら、いいわよね?」
凛はそう言うと、僕の返事を待たずに少しだけ背伸びをして、僕の右頬にちゅっ、と柔らかい唇を押し当ててきた。
微かな水音と、唇の熱が僕の頬に刻み込まれる。
「……おはようの、前借り」
少しだけ誇らしげに、けれど耳の先まで真っ赤に染めて微笑む。
可愛すぎる。
僕はたまらず凛の体をさらに強く抱き寄せ、凛の額に僕の唇をそっと落とした。
「ひゃっ……!」
「僕からも、お返し」
「もう……奏多ったら……」
凛は照れ隠しのように僕の胸に顔を埋めてきた。
ルームウェアの襟元が少しだけはだけて、凛の透き通るような白いうなじや鎖骨が覗いている。
それに加えて、密着した体から伝わってくる彼女の柔らかな膨らみの感触。
僕の心臓は、昨夜からずっと休むことなく早鐘を打ち続けている。
これ……もつかなぁ……。
「……ねえ、奏多。今日はお休みよね?」
「ん? ああ。今日は振り替え休日だからな」
「よかった。じゃあ、今日は一日中、ずっと一緒にいられるわね」
凛の言葉には、隠しきれない独占欲と愛情がたっぷりと込められていた。
昨日までの文化祭の熱狂が嘘のように、僕たちの間には穏やかで甘い時間が流れている。
「でも、そろそろ起きないと。母さんたちが起きてくる時間だ。僕たちがずっと部屋に籠っていたら妹が突撃してくる」
「……もう少しだけ、このままでいさせて」
「凛……」
「奏多の匂い、もっと嗅いでいたい。……チャージさせてちょうだい」
凛は僕の上に半分覆い被さるような体勢になり、僕の首筋に鼻先を寄せて、深呼吸をするように僕の匂いを吸い込んできた。
彼女の吐息が首筋にかかるたび、背筋にゾクゾクと甘い電流が走る。
も~~~~
「くすぐったいってば……」
「ふふっ。奏多のここ、弱いのね」
凛は僕の反応を楽しんでいるかのように、わざと僕の首筋にちゅっ、と軽いキスを落とした。
「っ……! 凛、本当に……!」
「あははっ、顔真っ赤。……可愛いわ、奏多」
甘えきった凛のペースに、僕は完全に翻弄されていた。
凛の髪を優しく撫でながら、僕はもうしばらくの間、この甘すぎる拘束に身を委ねることにした。
僕だって、本当はずっとこうしていたいのだから。
カクヨムでも同作品を先行して投稿しております。
先が気になった方はそちらもご覧ください。




