第71話 好きをもう何度も口にしたのだろう
耳元で囁かれた限界まで甘い言葉に、僕の理性は完全にショート寸前だった。
ネイビーのルームウェア越しに伝わってくる、凛の柔らかな体温と、狂おしいほどに速い心拍数。
僕のベッドの上に横たわり、向かい合って添い寝をする僕たちの距離は、もはやゼロに等しい。
凛は僕の胸にすっぽりと収まるように身を寄せ、シーツの中で自分の素足を僕の足に絡ませている。
ひんやりとした肌の感触が、僕の体温で少しずつ温められていくのがわかる。
「……奏多。どうして黙ってるの?」
上目遣いで僕を覗き込んでくる凛の瞳は、お風呂上がりの熱と僕への愛情でとろけるように潤んでいた。
「……君が可愛すぎて、言葉が出ないだけだ」
「ふふっ。嬉しい。ねえ、もっと褒めて、もっと私を甘やかして。今日は頑張ったんだから」
本当にズルいな……断れないじゃないか。
凛は悪戯っぽく微笑み、僕もそれに答えるように手を頭に乗せた。
「凛、偉い。頑張ったね」
「そうだよ? 私、今日は頑張ったんだよ?」
今日まで抑え込んでいた感情が、決壊したダムのように溢れ出している。
「凛、好きだよ。好き……大好き。本当に、今日このまま朝まで一緒にいるんだな」
「ええ、そうよ。私が帰りたくないって我儘を言ったんだもの。……奏多は、私がいて迷惑だったかしら?」
「迷惑なわけないだろ。むしろ、こんなに幸せでいいのかって、少し怖いくらいだ」
僕が素直な気持ちを吐露すると、凛は極上の笑顔を見せた。
「私も同じよ。あなたの部屋にいる時だけが、私が本当の自分でいられる時間だったから。……でも、もう違うわ。ただの部屋じゃない、私の大好きな人がいる部屋。」
凛の言葉は、どこまでも真っ直ぐで、そして重たい。
凛の細くて白い腕が僕の背中に回り、ぎゅっと強く抱きしめてくる。
僕も無意識のうちに、華奢な背中に両腕を回し、その温もりを逃がさないようにしっかりと抱きしめ返した。
「んっ……奏多、あったかい……」
「凛こそ。……体、すごく熱いぞ」
「だって、心臓が爆発しそうなんだもの。あなたが私をこんな風にしたのよ」
凛の言う通り、僕たちの間には狂おしいほどの心音のリズムが共有されている。
ドクン、ドクンと鳴り響くその音は、互いの命が重なり合っていることを証明しているようだった。
「ねえ、奏多。私の髪、撫でて」
「ん、こうか?」
僕は凛の湿り気を帯びた艶やかな黒髪に指を差し込み、ゆっくりと梳くように撫でた。
ひんやりとした髪の感触と、指の腹に触れる温かい頭皮。
僕が優しく撫でるたびに、凛は目を細めて「んふふ……」と心地よさそうに喉の奥で鳴いた。
凛、凛……ああ、本当に可愛い。
「可愛い……本当に、可愛いよ」
「えへへ……そう言ってもらえるのが、一番嬉しい」
凛は僕の首筋に顔を寄せ、猫のようにすりすりと頬を擦り付けてくる。
その熱い吐息が僕の肌に触れるたび、ゾクゾクとした甘い電流が背筋を駆け上がる。
「奏多の匂い……すごく落ち着く。ずっと、こうして触れていたかったの」
「……学校では、ずっと我慢してたもんな」
「そうよ。あなたが日向さんと楽しそうに話しているのを見るたびに、胸が張り裂けそうだったんだから。……でも、今は私だけ」
凛の言葉には、隠しきれない独占欲が滲み出ている。
かつての僕なら、その重さに怯え、逃げ出していたかもしれない。
しかし……しかしだ。
今は、彼女のそのすべてが狂おしいほどに愛おしい。
凛の愛情が重ければ重いほど、僕もまた、凛に対して同じだけの、いやそれ以上の熱量で応えたくなる。
「ああ。僕は、凛だけのものだ。他の誰にも渡さないし、どこにも行かないよ」
「あぁっ……」
僕が耳元で囁くと、凛は感極まったような甘い声を漏らした。
「奏多……大好き。愛してるわ」
凛は僕の顔を両手で包み込み、潤んだ瞳で僕を真っ直ぐに見つめてきた。
そして、凛の顔がゆっくりと近づいてくる。
鼻先が触れ合い、互いの吐息が混ざり合うほどの至近距離。
凛の桜色の唇が微かに震え、僕の唇へと引き寄せられていく。
「……そこは……まだダメ」
僕が少しだけ意地悪く囁くと、凛はハッとして動きを止めた。
「っ……! わ、わかってるわよ! でも、私、もう我慢できなくて……!」
「ずっと我慢してたのも知ってる」
凛は恥ずかしさでパニックに陥り、僕の胸に顔を埋めてぐりぐりと頭を押し付けてきた。
「バカっ、奏多のいじわる……! 私ばっかりこんなにドキドキして、不公平だわ……!」
「不公平じゃないさ。僕だって、今すぐキスしたいくらい、理性がギリギリなんだから」
僕が素直な気持ちを打ち明けると、凛は少しだけ顔を上げ、上目遣いで僕を見た。
「……本当?」
「本当だよ。君が可愛すぎて、どうにかなってしまいそうなんだ」
「……ふふっ。なら、許してあげる」
凛は満足そうに微笑むと、今度は僕の頬にちゅっ、と微かな水音を立てて自分の唇を押し当てた。
「えっ?」
「……唇がダメなら、これくらいはいいでしょ? 前借りのご褒美の、さらに追加分よ」
少しだけ誇らしげな、けれど耳の先まで真っ赤に染まった凛の顔が目の前にある。
「……追加分か。じゃあ、僕からも」
「えっ……⁉」
僕は凛の前髪をそっと払い、白く滑らかな額に、そっと自分の唇を落とした。
「ひゃっ……!」
凛が小さく肩を跳ねさせ、驚いたように目を丸くする。
「僕からの、前借りの追加分だ」
「……奏多……っ」
凛は嬉しさと恥ずかしさが限界を突破した。
「大好き、大好き……っ」
再び僕の胸に顔を埋め、壊れたレコードのように繰り返すばかりになった。
僕たちは、互いの体温と匂いに溺れるように、ただひたすらに体を密着させ続けた。
クーラーが効いているはずの部屋は、僕たちの体から発せられる熱気でむせ返るほどに甘く、そして濃密な空間になっていた。
◇◇◇
「……ねえ、奏多。今日、ライブの時、あなたがすごくカッコよかったわ」
しばらくして、少しだけ呼吸を整えた凛が、僕の胸の中からぽつりと呟いた。
「そうか? 僕は、必死に鍵盤を叩いてただけだけど」
「ううん。暗闇の中で、あなたが一番輝いて見えた。……あなたの音が、私を強くしてくれたのよ」
凛の言葉が、僕の胸の奥を温かく満たしていく。
「歌声も、最高だったよ。……君が僕の音を、みんなに届けてくれたんだ」
「ふふっ、ありがとう」
「ああ、僕ももっと頑張るから、色々と」
「……もう、十分に最高よ」
凛は僕の腕に絡ませた手をさらにきゅっと締め、甘く囁いてきた。
「ねえ、奏多」
「どうしたの?」
「私、もう我慢できない。……もっと、私に触れて。あなたの全部で、私を満たして」
凛は自分の左手を僕の右手に絡ませ握りしめてきた。
指と指の隙間を完全に埋め尽くすような、強い力。
そして、その繋いだ手を、自分の胸の膨らみ。
――狂おしいほどに脈打つ心臓の真上へと押し当てたのだ。
「っ……凛!」
「シーッ……ほら、聞いて。私の心臓、こんなにうるさいの。……奏多が、私をこんな風にしたのよ」
「僕のせいか?」
「奏多のせいよ」
ルームウェアの薄い生地越しに、凛の柔らかな感触と、命の音が直接伝わってくる。
その言葉は、もはや理性を保つことなど不可能なほどの破壊力を持っていた。
僕は凛の腰を抱く手に力を込め、さらに僕の方へと引き寄せた。
「だから、責任。取ってよね? ダーリン?」
だからも~~~本当にズルい。
「……本当に、今日は寝かしてくれないつもりか?」
「ええ。……明日がお休みでよかったわね」
凛は僕の首に両腕を回し、悪魔のように、けれどこれ以上ないほどに甘くとろけた笑顔を見せた。
僕が彼女を大好きなように、彼女も僕を深く愛してくれている。
そんな奇跡のような夜を、僕は凛の体温と共に、この身に深く刻み込んでいった。
カクヨムでも同作品を先行して投稿しております。
先が気になった方はそちらもご覧ください。




