第7話 日常に挟まれたメッセージ
五月。
世間はゴールデンウィークという大型連休に突入し、どこもかしこも行楽気分の浮かれた空気に包まれていた。
しかし、僕の部屋の中だけは、そんな世間の喧騒とは無縁の、異常なほどの緊張感と熱気に満ちていた。
「……よし、ケーブルの接続は問題ない。マイクの入力レベルも正常だ」
僕はパソコンのモニターに映し出された波形ソフトを睨みつけながら、一人でぶつぶつと確認作業を続けていた。
部屋の隅で半年以上もホコリを被っていたオーディオインターフェースやコンデンサーマイクは、不機嫌そうな電子音を鳴らしながらも、なんとか息を吹き返してくれている。
なぜ、才能に見切りをつけて音楽を捨てたはずの僕が、連休中にこんな機材のセッティングをしているのか。
事の発端は、ゴールデンウィーク前最終日まで遡る。
旧音楽室で秘密の同盟を結んだ日から、冬峰さんは約束通り、学校では僕の存在など完全に視界に入っていないかのように振る舞っていた。
相変わらず誰に対しても無口で無表情。
男子が勇気を出して話しかけても、視線すら合わせずに冷たい言葉であしらう『氷の令嬢』のままだ。
冬峰さんの周りには、シベリアの永久凍土のような見えない壁が築き上げられている。
クラスメイトたちは次第に彼女に話しかけるのを諦め、遠巻きに眺めるだけの存在として扱うようになっていた。
しかし、そんな周囲の扱いなど、当の冬峰さんは全く気にする素振りを見せない。
休み時間になれば自分の席から一歩も動かず、一人静かに文庫本に視線を落としている。
だが、それはあくまで『表』の顔だ。
机の下で震える僕のスマートフォンの画面には、冬峰さんからのメッセージが、まるでスパムのようにひっきりなしに届いていた。
『フユ:ねえ、昨日送ってくれたデモ音源のBメロだけど、もう少しテンポを落とした方が感情を乗せやすいかもしれないわ』
『フユ:サビ前のブレイク、一瞬だけ無音にするのはどう? そっちの方が声が際立つと思うんだけど』
『フユ:今日の放課後は、どうする? 早く続きをやりたいわ』
『フユ:聞いてるの? 既読スルーは許さないわよ』
……恐ろしいまでの連投である。
画面越しの冬峰さんは、教室での冷たい態度からは想像もつかないほど饒舌で、音楽に対して異常なほどの情熱と積極性をぶつけてくる。
チラリと窓際の最後列に視線をやると、冬峰さんは文庫本を開いたまま、表情一つ変えずに机の陰で高速でスマートフォンのフリック入力をしていた。
……器用だな。
その凄まじいギャップと器用さに、僕は内心で頭を抱えるしかなかった。
同じクラスの誰も、あの『氷の令嬢』が今、僕に対してこんなにも熱のこもった長文メッセージを送りつけてきているだなんて、夢にも思っていないだろう。
『ダチ:フユ、あまり灰原さんを急かしてはいけませんよ。それに、今のペースで制作を進めるなら、そろそろ本格的な機材がある場所がないと厳しいかもしれませんわ』
結城さんからの冷静なメッセージが、グループトークに投下される。
彼女の言う通りだ。
旧音楽室はあくまでただの空き教室であり、防音設備もなければ、パソコンやオーディオインターフェース、高音質なマイクといった録音機材も何一つ揃っていない。
質の高い音源を作るためには、どうしてもきちんとした環境が必要だった。
『タラ:機材ね……ちなみに心当たりはあるの?』
『フユ:ないわ。今までスマートフォンと、安物のマイクだけでやっていたもの』
その言葉に、僕はスマートフォンの画面を見つめたまま息を呑んだ。
ユニットを組むにあたって、改めて冬峰さんが過去に『フユ』名義で投稿していた『歌ってみた』動画をいくつか見返したのだ。
彼女の歌声は、その時点で既に圧倒的だった。
透き通るような高音、魂を直接揺さぶるような深いビブラート、そして何よりも、むき出しの感情をそのまま音に乗せる表現力。
そのすべてが、僕のような凡人とは釣り合っていない、天賦の才だと確信させられた。
だが、同時に僕は一つの疑問を抱いていた。
音質が歌声のポテンシャルに対して明らかにチープだったのだ。
それが、ただの安物マイク一本で録音されたものだったとは。
そんな劣悪な環境であれだけの歌声を響かせていたのだとしたら、きちんとした機材を通した時、彼女の声は一体どれほどのバケモノに化けるのだろうか。
「天才型って、こういう人のことを言うんだな……」
僕は思わず小さく呟いた。
才能の暴力だ。
持たざる者からすれば嫉妬で狂いそうになる話だが、今の僕にとって、その才能は共に音楽を作るための最強の武器でもある。
『フユ:ちょっと、既読になってるのに返信が遅い!』
『タラ:ごめん、機材場所を考えてたんだよ! ちょっとは時間をくれ!』
『ダチ:灰原さん、何か心当たりが?』
なくはないんだよな……お金もかからず、時間も気にせず、それなりな防音にも対応している場所。
それは他でもない、僕自身の部屋だ。
かつて『アルタ』として音楽にのめり込んでいた中学生のころ、僕は両親に土下座して頼み込み、部屋に簡易的な防音パネルを敷き詰め、お年玉や小遣いをすべて注ぎ込んで一通りのDTM機材を揃えていた。
引退を決意した時にパソコン内のデータはすべて消し去ったが、機材自体は処分する決心がつかず、部屋の隅でホコリを被ったままになっている。
あそこなら、すぐにでも本格的な録音作業を始めることができる。
しかし、誘ってよいものだろうか。
いくら音楽のためとはいえ、年頃の女子二人を、土日に僕の部屋へ招き入れるなんて。
万が一、隣の家に住む花穂に見られでもしたら、どんな顔をして言い訳をすればいいのか。
両親になんて説明すればいいのか、考えただけでも胃が痛くなってくる。
『ダチ:灰原さん?』
頭を抱える僕を見かねたのか、斜め前の席に座る結城さんが、肩越しに少しだけ振り返って僕のほうを見た。
その瞳は、「早く答えなさい」と無言の圧力をかけてきているように感じられた。
ええい、ままよ!
音楽を再びやると決めたんだ。
ここで躊躇してどうする。
『タラ:なくはない。型落ちのスタジオでよければ、一つ』
『フユ:本当!? それでもいいわよ! どこよ! 教えて!』
食い気味に返信してくる冬峰さんのテンションの高さに、僕は一瞬だけタップする指を止めたが、意を決して文字を打ち込んだ。
『タラ:いや……うちに、そういうスペースがあるんだ』
『フユ:!』
『ダチ:盲点でした』
『タラ:半年くらい使ってないから、まともに機材が動くか分からない。帰ったら確認だけしておくけど、多分大丈夫だと思う。二人が良ければになるけど……』
『フユ:私は良い』
『ダチ:わたくしも構いませんわ。むしろ好都合です』
はは……こうもあっさり決まるとはな。
学年一の美少女と、クラスで一番頼れる女子が、僕の部屋に来る。
文字面だけで見れば、全国の男子高校生から殺意を向けられそうなシチュエーションだ。
だが、当の本人たちには色気のある感情など微塵もなく、ただただ「音楽を作れる場所が確保できた」という実利的な喜びしかないようだった。
『タラ:了解。休日までに準備しておく』
二人にメッセージを打ち終えた僕は、小さく息を吐いて天井を見上げた。
花穂には、うまい言い訳を考えておくか。
カクヨムでも同作品を先行して投稿しております。
先が気になった方はそちらもご覧ください。




