第6話 僕にとって正しい人
旧音楽室の扉を開けると、そこには夕日を背に受けて立つ冬峰さんの姿があった。
彼女は僕の顔を見るなり、すべてを悟ったような、柔らかく美しい微笑みを浮かべた。
「……待ってたわ」
「うん。……ごめん、待たせて。結城さんから全部聞いたよ。君が、僕の曲をずっと探してくれていたこと」
僕はゆっくりと音楽室の中に入り、冬峰さんの正面に立った。
「栞はお節介だから、私がうまく言えないことを察してあなたにすり寄ったのね」
「答えを言おう。僕は凡人だし、またあの時のように曲を作れるようになるかはわからない。でも、僕の曲を君が歌ってくれるなら……少しだけ、今までよりもほんの少しだけ変化があるかもしれない。だから、僕でよければ、君と一緒に曲を作りたい」
僕が震える声で告げると、冬峰さんの瞳からポロリと大粒の涙が零れ落ちた。
氷の令嬢が初めて見せた、あまりにも無防備で感情的な姿に、僕は息を呑んだ。
「でも、一緒に曲を作る条件として、一つだけ絶対に守ってほしいルールがあるんだ」
「ルール……?」
「学校の教室や廊下では、極力、僕に話しかけないでほしい。会話はすべてメッセージアプリでのやり取りにするか、どうしても必要な時は結城さんを介して連絡すること。……これが、僕が参加する条件だ」
僕が真っ直ぐに見つめ返して告げると、冬峰さんは不思議そうに小首を傾げた。
「どうして? 同じクラスなんだから、普通に話せばいいじゃない」
「ひとまず今は、ダメなんだ。……君は自分で気づいていないかもしれないけど、君は学年中で『氷の令嬢』としてものすごく目立っている。そんな君が、急に僕みたいな人に話しかけたりしたら、あっという間にクラス中で噂になって、平穏な高校生活が崩壊してしまう」
僕は過去のトラウマから、とにかく目立つことや、他人の悪意に晒されることを極端に恐れていた。
そして、それは恐らく……
「そうね。私も噂になるのは非常にリスクがあるわ」
向こうも同じ考えだろう。
氷の令嬢なんて二つ名が付くほどの女性だ。
人付き合いが良くないのは誰の目から見ても明らかだ。
「今、何か失礼なこと考えたわね?」
「気のせいだ。」
ホントに……勘だけは鋭いな。
「クラスの人間関係も固まって、少しは落ち着く時期がいずれ来る。それに……それまでに僕自身の心も、君の隣に立つ覚悟が完全に決まるかもしれない。だから、それまでは絶対に秘密にしておきたいんだ」
僕が必死に説明すると、冬峰さんは少し不満そうに美しい唇を尖らせたが、やがて小さく息を吐いた。
「……わかったわ。学校では他人のふりをしてあげる。その代わり、メッセージの返信は早くしてよね」
「確認できる範囲で善処するよ。……それと、もう一つ」
僕は俯き、自分の過去への未練を断ち切るように言葉を紡いだ。
「僕はもう『アルタ』じゃない。あの名前は、もう二度と名乗れない。才能がないのに夢を見た、愚かな過去の残骸だから。……ネットの海から逃げ出した臆病者が、あの名前を使う資格はないんだ」
僕がそう弱音を吐き出すと、冬峰さんは涙を指先で拭い、ふっと優しく微笑んだ。
「なら、新しい名前にすればいいわ」
「新しい名前?」
冬峰さんは音楽室のホワイトボートに文字を書き始める。
「ええ。……『アルタ』の文字を並べ替えて……」
『アルタ』→『ALTA』→『……』
「そうね、安直だけど、アナグラム変換して『タラ』なんてどう?」
「タラ……?」
『TALA』→『タラ』
確かに安直だ。
でも、これくらいなら大きく変わることはない。
今まで通りの音楽活動もできそうだ。
「そう。これなら、あなたの欠片を残したまま、新しくなれるでしょ? 過去を完全に捨てるんじゃなくて、バラバラにして再構築するの。新しいあなたとして、私と一緒に歩き出すために」
冬峰さんの言葉は、まるで魔法のように魅力的で、僕の心を縛り付けていた冷たい鎖を一本ずつ解いていくようだった。
過去を否定するのではなく、再構築する。
それなら、僕もまた、新しい音を紡ぎ出せる気がした。
「……わかった。それで行こう」
「ふふ、よろしくね、私は今まで通り、『フユ』として歌うわ」
「じゃあ、動画の編集と広報は、わたくし『ダチA』にお任せください」
「「⁉」」
いつの間にか音楽室に入ってきていた結城さんが得意げに胸を張った。
「し、栞? 入ってくるときはノックをしてとあれほど……」
「わたくしはしましたよ。三回も。隙間から覗いてみたらいい雰囲気だったので」
「しおり~~?」
頬をぷくっと膨れさせて冬峰さんは結城さんを見るが、結城さんは知らん顔で僕と冬峰さんをみる。
「ま、まあまあ」
これで、作曲家、ボーカル、クリエイターの三人が揃ったことになる。
「んで、せっかくだし、ユニット名はどうしようか。何かアイデアはある?」
僕が尋ねると、冬峰さんは少しだけ首を傾げ、やがて夜空を見上げるように視線を上げた。
「……『Polaris Echo』はどうかしら」
「ポラリス・エコー?」
「ええ。北極星の光に導かれて、世界中に響き渡る残響。……私たちが作る音楽は、絶対に誰かの心に届くはずだから」
冬峰さんの瞳には、かつてないほどの強い光が宿っていた。
Polaris Echo
僕たちの、新しい居場所の名前。
こうして、決して交わるはずのなかった作曲家と氷の令嬢、そして有能な裏方の三人は、薄暗い旧音楽室で秘密の同盟を結んだのだった。
カクヨムでも同作品を先行して投稿しております。
先が気になった方はそちらもご覧ください。




