第64話 どんなに格好つけてたって
「こちらですわ。あらかじめ裏口の鍵は、細工をして開けておきました」
結城さんが暗闇の中でも迷うことなく進み、重い鉄扉を静かに押し開けた。
外に出ると、夜の冷たい空気が、ライブの興奮で火照りきっていた僕たちの頬を撫でた。
「ふぅ……間一髪だったな」
「ええ。ですが、ここからが大事ですわ。我々は何食わぬ顔で紛れ込まなければなりません」
「おい、今の放送はどうなってるんだ‼」
「わ、分かりません!」
遠くから、教師たちの慌ただしい足音と、怒声が微かに聞こえてきた。
予定になかったライブ、しかも停電騒ぎと放送設備ジャックの主犯付き。
見つかれば大目玉を食らうのは確実だ。
僕たちは息を潜め、結城さんの先導に従って夜の校舎の裏手を小走りで進んだ。
向かった先は、旧校舎の裏にある古い倉庫だった。
「ここなら、普段は誰も寄り付きませんし、明日の片付けの時間まで機材を隠しておくには最適ですわ」
結城さんが錆びついた扉を開け、僕たちは中に滑り込んだ。
埃っぽいカビの匂いが漂う、暗く狭い空間。
「くっっら……大丈夫かよ」
「大丈夫よ。一時的に置くだけ。後は、またゆっくり回収すればいいわ」
「いや、そうじゃなくてね……」
電気をつければ、その時点でバレる可能性は高い。
かといって懐中電灯は両手がふさがっている。
暗闇の中で声を掛け合いながら、倉庫の奥へと足を踏み入れた、その時だった。
ドンッ、と僕のつま先が、床に放置されていた古い段ボールか何かに強くぶつかった。
「おわっ⁉」
両手が塞がっているため、バランスを崩しても咄嗟に手をつくことができない。
重い機材もろとも、前のめりに派手に転倒する。
そう覚悟して、ギュッと目を閉じた瞬間だった。
「危ないっ……!」
バサッ、という衣擦れの音と共に、柔らかな体が僕の正面に勢いよく飛び込んできた。
それは紛れもなく冬峰さんだった。
冬峰さんは咄嗟に持っていた軽い機材入りの鞄を床に放り出し、転倒しそうになった僕の体を、正面から抱きとめるようにしてしっかりと支えてくれたのだ。
「っ……冬峰さん、ありがとう」
暗闇の中、冬峰さんの細い腕が僕の腰にしっかりと回されている。
ギリギリのところで踏み止まった僕たちは、僕が抱えている重い機材を間に挟みながらも、身動きが取れないほど強く密着してしまっていた。
た、助かった……
「もう。足元も見えないんだから、気をつけてよね」
至近距離から、微かに震える冬峰さんの甘い声が聞こえた。
ライブの熱気をそのまま帯びた彼女の体温と、狂おしいほどに速い心拍数が、ジャージ越しに直接伝わってくる。
群青色に白い朝顔があしらわれた浴衣から漂う、フローラルなシャンプーの香りと汗の匂いが混ざり合い、暗闇の中で僕の理性を容赦なく揺さぶっていく。
「ご、ごめん。両手が塞がってて、足元が見えなくて……」
「怪我しなくてよかった。……でも、私が支えてあげなきゃ、どうなっていたか分からないわね」
暗闇の中で、彼女がふふっと悪戯っぽく笑う気配がした。
「やっぱり、灰原くんには私がいなきゃダメみたい。……だから、もっと私に頼っていいのよ?」
暗がりの中でもはっきりとわかるほど、上目遣いで覗き込んでくる冬峰さん。
「わ、わかったから! とりあえず、機材を下ろさせてくれ。重いし、君が潰れちゃう……」
「潰れてもいいわよ。……なんてね」
冬峰さんは名残惜しそうに僕の腰から手を離し、ゆっくりと体を離してくれた。
「ああ。本当に、心臓が止まるかと思ったよ」
僕が額に浮かんだ汗を手の甲で拭おうとした、その時だった。
「じっとしてて」
冬峰さんが僕のすぐ目の前まで歩み寄り、自分の浴衣の袂からハンカチを取り出した。
そして、僕の額や首筋の汗を、そっと優しく拭い始めたのだ。
深い群青色に白い朝顔があしらわれた浴衣姿の彼女から、普段の香りとライブの熱気が混ざり合ったむせ返るような匂いが漂ってくる。
「お疲れ様、灰原くん。……すごく、重かったでしょ」
「機材の重さなんて、全然感じなかったよ。……君の、あの圧倒的な歌声のおかげでね」
僕が素直な感想を口にすると、暗闇の中でもほんのりと頬を赤く染めたのがわかった。
「……ばか。そういうこと、サラッと言うの、ズルいわ」
冬峰さんは僕の汗を拭き終えると、そのままハンカチを握りしめた手を、僕の胸元へとそっと押し当ててきた。
「……まだ、すごくドキドキしてる。私の声、ちゃんとみんなに届いてたかしら」
「届いてたさ。間違いなく最高だったよ」
「……あなたの音が、私を導いてくれたからよ」
狭く暗い倉庫の中で、僕たちは互いの熱と鼓動を確かめ合うように、ギリギリの距離で見つめ合った。
ゲリラライブの極限の緊張感から解放された安堵と、大成功を収めた高揚感。
それが、僕たちの理性を少しずつ溶かしていく。
「……コホン。お二人とも」
不意に、すぐ背後から結城さんのわざとらしい咳払いが響いた。
僕と冬峰さんは、バネ仕掛けのおもちゃのように弾かれたように飛び退いた。
「わたくしという観客がいることをお忘れなく。早く身だしなみを整えて、体育館へ戻りますよ」
「わ、わかってるわよ!」
冬峰さんが顔を真っ赤にしてそっぽを向く。
僕も慌てて自分のジャージのシワを伸ばし、深呼吸をして乱れた心拍数を整えた。
結城さんはいつから観客になったのだろうか。
というかさせたつもりすらなかったんだが……
冬峰さんの浴衣の襟元が、ライブの激しい動きのせいで少しだけ崩れていた。
「冬峰さん、襟、少し直した方がいい。……貸して」
「えっ……あ、ありがとう」
僕がそっと手を伸ばし、冬峰さんの浴衣の襟元を正してあげると、さらに顔を赤くして俯いてしまった。
「はぁ……あなたたちというのは……さあ、行きますよ」
結城さんの呆れたような声に急かされ、僕たちは倉庫を後にした。
夜の冷気に当たりながら、僕たちは再び体育館の正面入り口へと向かった。
カクヨムでも同作品を先行して投稿しております。
先が気になった方はそちらもご覧ください。




