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第52話 思ったよりしんど……

 その日の放課後。


 クーラーが快適に効いている僕の部屋には、いつものように三人の姿があった。


 僕はキャスター付きの椅子に座り、大きくため息を吐きながら、隣に座る冬峰ふゆみねさんをジト目で睨んだ。


「さて、言い訳を聞こうか?」


「何かしら?」


 しらばっくれても今回は現行犯だ。


「……なんで、また実行委員なんて立候補したんだよ。しかも、僕まで道連れにして」


 僕が文句を言うと、黒縁眼鏡を外した冬峰ふゆみねさんが、ふふっと悪戯っぽく微笑んだ。


「あら、嫌だった? でも、文化祭の準備や買い出しを理由に、こうして遅くまで一緒にいられるじゃない」


 冬峰ふゆみねさんは僕のジャージの袖をきゅっと掴み、甘えるようにすり寄ってきた。


「それに、クラスのみんなの前で、あなたが私のパートナーだってことを見せつけておきたかったのよ。……私の特権だもの」


 上目遣いで見つめてくる冬峰ふゆみねさんの瞳には、隠しきれない独占欲が渦巻いている。


「……お二人とも、イチャイチャするのはその辺にしておいてください」


 背後のソファでノートパソコンを開いていた結城ゆうきさんが、わざとらしく咳払いをし、眼鏡をクイッと押し上げた。


「今回、りんが文化祭の実行委員に立候補したのは、わたくしの指示でもあります。すべては、我々の次なる計画のためですわ」


「次なる計画?」


 僕が首を傾げると、結城ゆうきさんはモニターに一つの企画書を映し出した。


「ええ。九月末の文化祭。その有志ステージのプログラム終盤に、我々がゲリラ出演する計画です」


「なっ……⁉」


 僕は思わず椅子から立ち上がりそうになった。


「ゲリラ出演って……僕たちが、全校生徒の前でライブをやるってことか⁉」


「その通りです。ネットでバズり、数十万回の再生数を叩き出している正体不明のユニットが、突然、体育館のステージをジャックする。……想像しただけで、鳥肌が立つほどのエンターテインメントだと思いませんか?」


 結城ゆうきさんの瞳は、プロの動画クリエイター『ダチA』としての野心と興奮に満ちていた。


「んな、無茶な」


「可能ですよ。生徒会や放送部への根回しは、わたくしが裏で完璧に行います。そして、灰原はいばらさんとりんが実行委員であれば、当日のタイムスケジュールの把握や、体育館の機材へのアクセス、そして何より、怪しまれずにステージ裏で準備をする口実が作れますわ」


 結城ゆうきさんの恐ろしいほどに計算し尽くされた計画。


 冬峰ふゆみねさんが立候補し、僕を指名したのも、すべてはこのための布石だったのだ。


「……でも、大勢の前で演奏するなんて」


 僕の脳裏に、かつてのトラウマがフラッシュバックした。


 中学生の頃、ネットで叩かれ、音楽を捨てたあの日。


 顔の見えないネットの海でさえあんなに恐ろしかったのに、現実の、顔の見える全校生徒の前で自分の曲を演奏する。


 もし、誰も聴いてくれなかったら。


 もし、また嘲笑われたら。


 恐怖で指先が震え、胃の奥が冷たくなるのを感じた。


灰原はいばらくん」


 不意に、僕の震える右手を、ひんやりとした冬峰ふゆみねさんの手が優しく包み込んだ。


 冬峰ふゆみねさんは僕の手に自分の指を絡め、しっかりと握りしめてくる。


「大丈夫。私が、あなたの隣で歌うわ」


 冬峰ふゆみねさんは、真っ直ぐに僕の目を見つめた。


 その瞳には、一切の迷いも不安もない光が宿っていた。


「あなたの紡ぐ音は、世界で一番美しくて、力強い。私が証明してみせるわ。……だから、一緒にステージに立とう? あなたの音がどれだけ素晴らしいか、学校中に見せつけてやるのよ」


 冬峰ふゆみねさんの手から伝わってくる熱が、僕の心の奥底にこびりついていた恐怖の塊を、ゆっくりと溶かしていく。


 孤独だった氷の令嬢が、僕の音楽に出会い、今度は僕の手を引いて光の当たる場所へと連れ出そうとしてくれている。


 そして、何よりここまで冬峰ふゆみねさんがやる気になっているのだ。


 無下に出来るわけがない。


「……分かった……分かったよ、やろう‼」


 僕が小さく頷くと、冬峰ふゆみねさんはぱぁっと花が咲いたような笑顔を見せ、僕の胸元に顔をぐりぐりと押し付けてきた。


「ふふっ、それでこそ灰原はいばらくんよ」


「では、本番に向けて、新曲の仕上げと並行してライブのセットリストを組んでいきましょうか」


 結城ゆうきさんが満足げに微笑み、タイピングの速度を上げた。


 こうして、僕たちの前代未聞の文化祭ジャック計画が、静かに幕を開けたのだった。

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