第51話 真珠の欠片だって無価値
九月。
長かった夏休みが終わり、二学期が始まった。
まだまだ厳しい残暑が続く中、僕たち一年生は、夏休み明けの少し気怠い空気と、これから始まる大きなイベントへの期待が入り混じった日々を送っていた。
九月末に開催される、高校生活最大のイベント。
――文化祭だ。
今日のホームルームは、その文化祭に向けた話し合いのための時間だった。
「えー、まずは今年の文化祭を取りまとめて、クラスの予算管理やシフト作成を行う『文化祭実行委員』を男女一名ずつ決める。……いないとは思うが、立候補はいるか?」
担任の教師が教壇から問いかけると、教室中が水を打ったように静まり返った。
誰もが目を伏せ、「自分が指名されませんように」と息を潜めている。
文化祭の実行委員は、華やかな出し物の裏で、買い出しやシフト調整、他クラスや生徒会との折衝など、面倒な事務作業をすべて押し付けられる損な役回りだ。
正直、林間学校の比じゃないレベルの仕事量といえる。
やりたくはないな……
「……誰もいないようだな。まあ、林間学校の時に実行委員をやった灰原と冬峰、それとクラス委員の結城は、免除してやるのが筋だろう。となると、またくじ引きか……」
担任が教卓の下から、見覚えのある不透明な抽選箱を取り出そうとした、その時だった。
「……先生」
教室の最後列、窓際の席から、凛とした涼やかな声が響いた。
クラス中の視線が一斉にそちらへ向く。
透き通るような白い肌に、無骨な黒縁眼鏡。
普段は誰とも関わろうとせず、一人静かに文庫本を読んでいるだけの冬峰さんが、スッと真っ直ぐに手を挙げていた。
「私、やります。文化祭の実行委員」
「……え?」
担任が間の抜けた声を漏らし、クラスの生徒たちもポカンと口を開けて固まっている。
林間学校の時は、くじ引きで引き受けた冬峰さんだが、今回は完全に自発的な立候補だ。
「冬峰……本当か? 林間学校でもやってもらったし、正直、かなり負担になるぞ?」
「構いません。その代わり、条件があります」
冬峰さんは無表情のまま、スッと立ち上がった。
そして、その冷たい視線を、なぜか教卓の近くの席に座っている僕へと向けた。
「男子の実行委員は、灰原くんにしてください。林間学校で一緒にやったので、連携が取れていて仕事がしやすいですから」
「なっ……⁉」
僕の口から、素っ頓狂な声が漏れた。
同時に、教室中がどよめきに包まれる。
「おい、嘘だろ……あの氷の令嬢が、男子を名指しで指名したぞ⁉」
「林間学校の時、確かにあいつら息ぴったりだったけど……マジかよ」
「灰原、お前いつの間に冬峰さんとそんなに仲良くなったんだよ!」
男子生徒たちから、羨望と嫉妬と殺意が入り混じった視線が、一斉に僕に突き刺さる。
「僕が知りたいよ……」
生きた心地がしない。
「え、えーと……灰原、お前はどうだ? 冬峰がこう言っているが」
担任に助けを求めるように視線を向けたが、担任も「引き受けてくれ」というオーラを全力で放っていた。
ここで僕が断れば、再び誰がババを引くのかという地獄のくじ引きが始まってしまう。
クラス中の「頼むからお前がやってくれ」という無言の圧力と、冬峰さんの「断ったら絶対に許さない」という冷たくも熱を帯びた視線に挟まれ、僕の選択肢は完全に消滅していた。
「……やります。はい」
僕が力なく頷くと、教室中から安堵のため息が漏れた。
こうして、僕と冬峰さんは、林間学校に引き続き文化祭の実行委員という大役を任されることになってしまったのだ。
◇◇◇
「よし、じゃあ実行委員が決まったところで、次はこのクラスの出し物を決めるぞ。灰原、冬峰、前に出て進行を頼む」
促されるまま、僕は重い足取りで教壇に立ち、チョークを手に取った。
隣には、無表情のまま黒板の前に立つ冬峰さんがいる。
「えーと、それじゃあ、やりたい出し物がある人は意見を出してくれ」
僕が声をかけると、すぐに何人かの生徒が手を挙げた。
「はい! メイド喫茶とか、クレープ屋とかやりたい!」
「タピオカドリンクのお店とかどうかな!」
華やかな提案が飛び交い、僕が黒板にそれを書き込もうとした瞬間、担任が咳払いをした。
「あー、お前ら、しおりの注意事項を読んでないのか? 学校の規定で、一年生は保健所の関係もあって、火を使ったり食品を直接加工したりする飲食関係の出し物は禁止されているんだ。やるなら、既製品のペットボトル飲料を売るくらいしかできないぞ」
「「えーっ⁉」」
教室中から大ブーイングが巻き起こった。
「飲食ダメなら、お化け屋敷とか迷路とかか……?」
「でも隣のクラスがお化け屋敷やるって言ってたし、被るのはちょっとなぁ」
「被るのは極力避けてほしい。お互いにメリットがないから」
「そうだよなぁ……」
一気にトーンダウンするクラスメイトたち。
何かいい案はないかと考えた僕は、ふと夏祭りの夜の記憶を思い出し、口を開いた。
「それなら……ベタではあるが、縁日系の出し物とかどうだろう? 例えば、『射的』とか」
「おおっ、射的! 教室を射的場にするのか!」
「ああ。的やお菓子、ちょっとした雑貨を景品にしてさ。それなら飲食には引っかからないし、安全だ」
「でも、射的だけだと少し地味じゃないかな? 男子はいいけど女子は来ないと思うよ」
クラスの女子が不満そうに声を上げる。
「だったら、案内係や店番は全員『浴衣』を着るっていうのはどう⁉ 教室の装飾も提灯とかを作って夏祭り風にすれば、結構雰囲気が出ると思うし、写真映えもするよ!」
別の女子が提案すると、教室の空気が一気に盛り上がった。
「それいい! 浴衣着たい‼」
「俺も甚平持ってる‼」
その提案に、隣に立っていた冬峰さんがスッと頷いた。
「良い案ね。射的の的や銃のセットなら、ホームセンターやネットで安く仕入れられるから予算の計算もしやすいわ。シフトも細かく分けられるし、浴衣なら各自で持ち寄れるから衣装代も抑えられる」
「おお……」
学年一の美少女にして、先ほど自ら実行委員に名乗り出た冬峰さんの冷たくも的確な後押しに、クラスメイトたちも感心したような声を上げた。
僕も冬峰さんの浴衣姿を思い出し、不覚にも少し顔が熱くなるのを感じた。
夏休みの夏祭りの夜、冬峰さんは深い群青色の浴衣を着ていた。
あの艶やかな姿を、文化祭でもう一度見られるのだろうか。
僕がそんなことを考えていると、冬峰さんが誰にも気づかれないように僕の方へ少しだけ顔を寄せ、耳元で悪魔のように囁いた。
「……灰原くん。私の浴衣姿、また見たいのかしら?」
「っ……⁉」
完全に心を読まれていた。
僕は顔を真っ赤にして咳払いし、慌てて黒板に向き直った。
「と、というわけで! 僕たちのクラスの出し物は、『射的』で、案内係は浴衣を着るということに決定でいいかな⁉」
「「賛成ーっ‼」」
一気にクラスの空気がまとまり、僕たちのクラスの出し物は『射的』の満場一致で決定したのだった。
カクヨムでも同作品を先行して投稿しております。
先が気になった方はそちらもご覧ください。




