表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
48/60

第48話 大暴走獰猛な鼓動を

 日が傾き始め、海風が少しだけ涼しくなってきた夕暮れ時。


 海の家の客もまばらになり、波音だけが静かに響いていた。


「少し、辺りを散歩してきますわ」


 結城ゆうきさんが気を利かせて席を外し、僕と冬峰ふゆみねさんはサマーベッドに座ったまま、オレンジ色に染まる海を眺めていた。


「……綺麗ね」


 冬峰ふゆみねさんがポツリと呟く。


 夕日に照らされた彼女の横顔は、言葉を失うほどに美しかった。


「ああ」


「今日、海に来てよかったわ。ずっと部屋にこもって音楽を作るのも好きだけど、たまにはこうやって、あなたと一緒に外の景色を見るのも悪くないわね」


「僕も、君の水着姿が見られて……来てよかったと思ってる」


 僕が正直に言うと、冬峰ふゆみねさんはほんのりと頬を赤く染め、僕の方へと顔を向けた。


「……灰原はいばらくんはズルい。そういう言葉をサラッと言う」


「ズルいのはどっちだよ。海でくっついたとき、僕がどれだけドキドキしたか」


「それは、それ」


「これはこれってか?」


「そうよ」


 そんな言い訳が通じるわけがない。


「……ねえ、灰原はいばらくん」


 話題を変えるべく、冬峰ふゆみねさんの声が甘く、そして切実な色を帯びた。


「あの時のこと、覚えてる?」


「どの時のことだよ」


「夏祭りの時よ……雨宿りしていた時の……覚えてる?」


 その言葉に、僕の心臓が大きく跳ね上がった。


 正直、忘れる方が難しい。


「覚えてる……」


 正直、冬峰ふゆみねさんとの出来事を忘れるというほうが難しい。


「雷のせいで、最後までできなかったじゃない?」


「最後って……」


 冬峰ふゆみねさんはそう言うと、そっと僕の手に自分の手を重ねてきた。


「私、あなたにキス出来なかったこと、ずっと引きずってるの。……あなたが私を導いてくれたように、私もあなたにとっての特別な存在になりたい」


「そう……」


「ねえ……()()……()()?」


 夕暮れの静寂の中、冬峰ふゆみねさんの顔がゆっくりと近づいてくる。


 周囲には誰もいない。


 波の音だけが、二人の鼓動をかき消すように響いている。


「……今度こそ、逃げないでね」


 冬峰ふゆみねさんの長い睫毛が震え、潤んだ瞳が僕のすべてを求めている。


 僕だって、逃げたくない、逃げるわけない。


 でも、心のどこかで今は逃げるべきだと思う自分もいる。


 僕はごくりと息を呑み、何も言わずに冬峰ふゆみねさんのすべてを受け入れようと目を閉じた。


 その時だった。


「お二人とも‼ そろそろ電車の時間ですわ!」


 背後から、結城ゆうきさんの明るい声が響き渡った。


「ひゃああっ⁉」


「うぉっ⁉」


 僕たちは弾かれたように飛び退き、慌てて距離を取った。


 振り返ると、結城ゆうきさんが悪びれる様子もなく、荷物をまとめて立っていた。


「……結城ゆうきさん、絶対わざとやっただろ」


「さあ、何のことでしょう? わたくしはただ、帰る時間を知らせただけですわ」


 結城ゆうきさんはクスクスと笑いながら、駅の方へと歩き出した。


「図ったな……はぁ……帰ろうか、冬峰ふゆみねさん」


「……帰ったら、覚えてなさい」


 顔を真っ赤にしていた冬峰ふゆみねさんは僕を睨みつけ小声で捨て台詞を吐き、差し出した手を掴んだ。


 ◇◇◇


 帰りの電車の中。


 ガタン、ゴトンと規則正しいレールを刻む音が、冷房の効いた車内に響いている。


灰原はいばらさん、ちょっとこのパートで聞きたいことが」


「……しーっ、冬峰ふゆみねさん、寝てる」


「あら。失礼しましたわ」


 海で遊び疲れたのか、冬峰ふゆみねさんは僕の肩にこてんと頭を乗せて、静かな寝息を立てていた。


 少しだけ開いた彼女の桜色の唇から、規則的な呼吸が漏れる。


 冬峰ふゆみねさんの髪から微かに香る潮の匂いとシャンプーの香りが混ざり合い、僕の心をひどく落ち着かせてくれた。


「僕は起きてるから、結城ゆうきさんも寝てていいよ」


「では、わたくしも少し。最寄り駅になったら起こしてくださいませ」


「分かった」


 向かいの席では、結城ゆうきさんがノートパソコンを閉じ、腕を組んで静かに目を閉じた。


 僕は窓ガラスに映る、自分と冬峰ふゆみねさんの姿をぼんやりと見つめた。


 今日、海で見せてくれた純白のビキニ姿も、周囲の視線に対する強烈な独占欲も、かき氷での悪戯っぽい間接キスも。


 そのすべてが、彼女が僕に向けてくれている、不器用な愛情の形だった。


灰原はいばらくん……」


 多分、僕は冬峰ふゆみね りんのことが()()()()()()()


 そして、冬峰ふゆみねさんも僕のことが……


 けれど、僕がその気持ちに向かうためには、彼女のその重たくて甘い感情のすべてを、真正面から受け止められる人間にならなきゃいけない。


 相棒としてだけでなく、一人の男として、冬峰ふゆみねさんの隣に堂々と立ちたい。


「色々……頑張らなきゃな」


 窓の外には、すっかり暗くなった夜の街の明かりが、流れる星のように過ぎ去っていく。


 僕は眠る冬峰ふゆみねさんを起こさないように、そっと彼女の冷たい左手に、自分の右手を重ねた。


 微かに冬峰ふゆみねさんの指が動き、僕の指を握り返してくるような気がした。


「……()()


 寝言のように言う冬峰ふゆみねさんのその言葉は僕には電車の音で聞こえなかった。

カクヨムでも同作品を先行して投稿しております。

先が気になった方はそちらもご覧ください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ