第46話 満足なんてねできるわけない
お盆を迎える少し前の、うだるような暑さが続くある日。
外の酷暑から完全に隔離された僕の部屋では、今日もいつものように三人が集まり、パソコンのモニターと睨めっこをしていた。
二曲目の『Replica』が大反響を呼び、僕たちのユニット『Polaris Echo』は次なるステップへ向けて新曲の構想を練っている真っ最中だった。
「……暑いですわね」
不意に、背後のソファでノートパソコンを開いていた結城さんが、パタンと画面を閉じて深くため息を吐いた。
「え? クーラー、強めに効かせてるはずだけど」
「物理的な温度の話ではありませんわ。毎日毎日この部屋に引きこもって画面と音符ばかり追っていては、インスピレーションが枯渇してしまうと言っているのです」
結城さんは眼鏡の奥の瞳をキラリと光らせ、優雅に立ち上がった。
「ということで、今度の休日、三人で海に行きましょう」
「「……は?」」
僕と冬峰さんの声が見事にハモった。
「海って……なんで急にそんな話になるんだよ。今は新曲のデモを固める大事な時期だろ?」
「だからこそです。大自然のエネルギーと開放感を直接浴びることで、次なる作品に新たな風を吹き込むのですわ。それに、たまには息抜きも必要でしょう?」
結城さんの唐突な提案に、隣に座っていた冬峰さんが露骨に嫌そうな顔をして眉をひそめた。
「……私は遠慮しておくわ。海なんて人混みばかりでうるさいし、日焼けもしたくないもの。クーラーの効いたこの部屋で、灰原くんと音を合わせている方がずっと有意義よ」
冬峰さんは、基本的にアウトドアとは無縁のインドア派だ。
彼女が渋るのも無理はない。
しかし、結城さんは悪魔のような笑みを浮かべて、冬峰さんの耳元で囁いた。
「あら。でも、海に行けば……灰原さんの水着姿や、波打ち際ではしゃぐ無防備な姿を合法的に堪能できますわよ? それに、凛の魅力的な水着姿を見せつければ、彼の理性を限界まで揺さぶるチャンスでもありますし」
「っ……! 栞、そう言って浴衣を着せてきたでしょ。そうはいかないわ」
「あら、では私と灰原さんの二人きりで行っても良いと?」
「うぐっ……それは……」
その言葉を聞いた瞬間、冬峰さんの肩がビクッと跳ねた。
彼女はチラリと僕の方を見てから、顔を真っ赤にして視線を泳がせた。
「……そ、そこまで言うなら……行ってあげなくもないわ。……灰原くんは、行くのよね?」
「え? いや、僕は別に……」
「行 く わ よ ね ?」
冬峰さんが、僕のジャージの袖をきゅっと掴み、潤んだ上目遣いで僕を覗き込んでくる。
その瞳には、隠しきれない期待と熱情が渦巻いていた。
「……行きます。はい」
僕が力なく頷くと、結城さんが満足そうにパンッと手を叩いた。
「よろしい」
「決まりですね! では、わたくしが凛のために、灰原さんをイチコロにする最高の水着を見立てて差し上げますわ!」
「ちょっと栞! 変な水着は着ないからね!」
こうして、結城さんの暗躍により、僕たち三人は海へと出かけることになったのだった。
冬峰さんの最高の水着……どんなのだろうか。
「ふーむ……」
「灰原くんのえっち‼」
「何も言ってないんだが⁉」
◇◇◇
そして迎えた、海へのお出かけ当日。
僕たち三人は、電車に揺られて県内の海へと向かっていた。
車内のボックス席で、僕は窓際に座り、そのすぐ隣には冬峰さんがぴったりと身を寄せて座っている。
向かいの席には、結城さんが優雅に足を組み、ノートパソコンを開いて何やら作業をしていた。
「……本当に、海に来る必要があったのか? クーラーの効いた僕の部屋で、新曲のデモ作りを進めた方が効率がいいと思うんだけど」
僕が窓の外を流れる景色を見ながらボヤくと、隣に座る冬峰さんが、僕の肩にこてんと頭を乗せて甘く囁いた。
「……そういうことだから、諦めなさい、灰原くん」
「君も最初は嫌がってたじゃないか」
「私だって、本当はあなたの部屋でずっとデモ作りをする予定だったわ。でも、栞がわざわざ水着まで見立ててくれたんだから、無駄にするわけにはいかないでしょ?」
「水着……」
その単語を聞いた瞬間、僕の心臓がドクリと大きく跳ねた。
学年一の美少女にして、誰も寄せ付けない『氷の令嬢』の海での水着姿。
そんなものを見せつけられたら、僕の理性がどうなってしまうか全く予想がつかない。
「ふふっ。……楽しみにしててね」
「さいですか……」
冬峰さんは僕の耳元で悪魔のように囁き、僕の腕に自分の腕をしっかりと絡ませてきた。
駅を降りると、潮の香りが混じった生ぬるい風が頬を撫でた。
日差しは容赦なく照りつけ、アスファルトの照り返しが目に痛い。
砂浜に到着すると、色とりどりのパラソルが並び、家族連れや若者のグループで賑わっていた。
海の家でパラソルとサマーベッドをレンタルし、結城さんが手際よく拠点を設営していく。
「さて、わたくしはここで日陰に入り、次回の動画の絵コンテを進めますわ。お二人は、せっかくですから海で遊んできてくださいな」
結城さんはそう言いながら、大きなつばの麦わら帽子と、完璧な日焼け対策を施した長袖のラッシュガード姿でサマーベッドに寝転がった。
「えっ、結城さんは泳がないの?」
「わたくしは日焼けをしたくないので。それに、若者二人の青春の邪魔をするほど無粋ではありませんわ」
「若者って……同い年だろうに」
結城さんはサングラスの奥でウィンクをして、完全に僕たちを放置する構えを見せた。
やはり、これが彼女の狙いだったのだ。
「……だそうだけど。冬峰さんはどうする?」
「……着替えてくるわ。少し、待ってて」
冬峰さんはそう言うと、持っていたバッグを抱えて海の家の更衣室へと向かっていった。
カクヨムでも同作品を先行して投稿しております。
先が気になった方はそちらもご覧ください。




