第43話 夏が始まった合図がした
夏休み編です。
七月も終わりに近づき、僕たちの一学期は無事に終わりを告げた。
いよいよ本格的な夏休みの始まりだ。
クーラーがフル稼働している僕の部屋には、今日もいつもの三人が集まっていた。
しかし、今日に限っては、パソコンの前に座って音楽の作業をしているわけではない。
「……ねえ、本当に私も行くの?」
冬峰さんが、部屋の隅のソファに座りながら少しだけ不満そうに唇を尖らせた。
彼女の視線の先には、満面の笑みを浮かべてスマートフォンの画面を見せている結城さんがいる。
「もちろんですわ、凛。せっかくの夏休みですから、たまには外の空気を吸って、インスピレーションを刺激するべきです。それに、今日の夜は隣町の神社で大きなお祭りがあるんですよ」
「お祭り……人混みは好きじゃないわ。うるさいし、暑いし」
誰とも関わろうとしない冬峰さんにとって、お祭りのような喧騒は最も苦手とする場所だろう。
しかし、結城さんは眼鏡の奥の瞳をキラリと光らせ、冬峰さんの耳元で悪魔のように囁いた。
「あら。でも、浴衣を着て、灰原さんと一緒に夜店を回ったり、花火を見たりするのも悪くないと思いませんか? もちろん、わたくしが凛の浴衣の着付けからヘアセットまで、完璧にプロデュースして差し上げますわよ」
「っ……‼」
『灰原さんと一緒に』というキラーフレーズを聞いた瞬間、冬峰さんの肩がビクッと跳ねた。
彼女はチラリと僕の方を見てから、顔を真っ赤にして視線を泳がせた。
「そ、そこまで言うなら……行ってあげなくもないわ。……灰原くんは、行くのよね?」
「え? ああ、まあ、そこまで言われたら行くよ。……正直、僕も冬峰さんの浴衣姿、見てみたいなって思ってたし」
「じゃ、じゃあ、決まりね」
僕が素直な気持ちをこぼすと、冬峰さんは耳の先まで真っ赤に染め、早口で言ってそっぽを向いてしまった。
結城さんの人心掌握術には、本当に恐れ入る。
こうして、僕たち三人は、息抜きも兼ねて夜の夏祭りへと出かけることになったのだった。
◇◇◇
夕方の午後六時。
まだ完全に日が落ちていない空の下、僕は隣町の神社に続く参道の入り口で二人を待っていた。
私服の薄手のシャツに袖を通した僕は、少しだけそわそわしながらスマートフォンで時間を確認する。
ちょっと、ダサいかもな……
蝉の鳴き声と、遠くから聞こえてくるお囃子の音が、夏の夕暮れを彩っている。
浴衣姿のカップルや家族連れが次々と神社へと吸い込まれていく中、人混みの向こうから涼やかな声が聞こえた。
「お待たせしました、灰原さん」
顔を上げると、そこには紺色を基調とした落ち着いた浴衣に身を包んだ結城さんが立っていた。
そして、その後ろから、少しだけ恥ずかしそうに俯きながら歩いてくる冬峰さんの姿があった。
「冬峰……さん」
僕は思わず、言葉を失い、完全にその場に釘付けになってしまった。
冬峰さんが着ていたのは、夜空のように深い群青色に、白い朝顔の花が散りばめられた浴衣だった。
艶やかな黒髪は結城さんの手によってうなじが見えるように美しくまとめられ、可憐な花の髪飾りが添えられている。
息を呑むほどに艶やかで、純粋な少女の美しさがあった。
「……どうかしら。変じゃない?」
冬峰さんが上目遣いで僕を覗き込み、もじもじと浴衣の袖を握りしめる。
僕は大きく深呼吸をして、自分の心の中で弾けそうになっている感情を、ありのままに言葉にした。
「……すごい。本当に、綺麗だ」
「えっ……」
「深い群青色が、冬峰さんの透き通るような白い肌にすごく合ってるし、散りばめられた朝顔の柄も涼しげで完璧だよ。それに、髪型も……いつもと違ってうなじが見えて、すごく大人っぽくてドキッとした」
「そ、そんなに……具体的に褒められると、恥ずかしいんだけど……‼」
冬峰さんは顔を真っ赤にして両手で頬を覆い隠そうとしたが、僕の言葉はもう止まらなかった。
「……その、さっきから見とれてしまって、上手く言葉が出なかったくらいだよ。一緒に歩くのが緊張するくらい、今日の冬峰さんは特別に、誰よりも可愛い」
「ズルいわよ……」
僕がそこまで一気に言い切ると、冬峰さんは僕の視線から逃げるように結城さんの背中に隠れてしまった。
しかし、結城さんの背中から少しだけ顔を覗かせた冬峰さんの瞳は、潤んでいて、隠しきれない喜びでキラキラと輝いている。
「でも、灰原くんにそう言ってもらうために、栞にすごく時間かけてもらったんだから。……似合ってるなら、よかったわ」
「ええ、わたくしの最高傑作ですわ。灰原さんのその熱烈な反応を見れば、大成功ですね」
結城さんが満足げに微笑む。
僕の心臓はすでに、お囃子の太鼓の音よりも激しく鳴り響いていた。
カクヨムでも同作品を先行して投稿しております。
先が気になった方はそちらもご覧ください。




