第40話 どうすればいいをどうすればいい
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「…………は?」
僕は絶句し、その場に完全にフリーズしてしまった。
十三位?
理系科目が苦手で勉強会の時には基本問題で詰まっていた彼女が?
たった数日の勉強会と、あの強烈な執念だけで、一気に僕の順位を抜き去ったというのか。
「うそだろ……」
「嘘ではありませんわ。凛は、あの日から睡眠時間を削ってまで猛勉強していましたからね。彼女の執着心は、わたくしの想像を遥かに超えていたようです」
結城さんがくすくすと笑いながら、恐ろしい事実を口にした。
「負けた……」
「あの凛が、ここまで爆発させるとは……灰原さん、あなた、愛されていますわね」
「愛されてるっていうか、執着されてるっていうか……」
僕は背筋にゾクゾクと悪寒が走るのを感じた。
学業の順位で、冬峰さんに完全に敗北してしまった。
それはつまり、僕が彼女に『たっぷり罰を与える権利』を奪われ、彼女の好きなようにされる未来が確定したことを意味していた。
「……灰原くん」
不意に、背後から底冷えするような、それでいて甘く震える声が響いた。
振り返ると、そこには黒縁眼鏡をかけた冬峰さんが、静かに立っていた。
「ふ、冬峰さん……」
冬峰さんは掲示板の僕の順位と自分の順位を交互に見比べた後、ふっと口角を上げ、誰にも見えないような極上の笑みを浮かべた。
「……私の、勝ちね」
その一言には、音楽で完璧なテイクを録り終えた時と同じくらいの、圧倒的な達成感と優越感が込められていた。
僕の隣にいた花穂が、冬峰さんの登場に少しだけ警戒して身を固くする。
「冬峰さん、十三位なんだね。すごい……」
「ええ。目標があったから、頑張れたの」
冬峰さんは花穂には冷たい視線を向けたままだが、僕の方へ視線を移すと、瞳の奥だけで熱く語りかけてきた。
『約束、覚えてるわよね?』
その視線に射抜かれ、僕は完全に白旗を上げるしかなかった。
◇◇◇
その日の放課後。
僕の部屋には、僕と冬峰さんの二人きりになった。
「わたくしは家での作業がありますので、今日はこれで失礼しますわ。……お二人とも、テスト明けの解放感に任せて、あまり無茶はしないように」
「あたしも、今日は打ち上げで友達と駅前にカラオケ行ってくるね! 奏多、また明日‼」
結城さんは全てを察したような笑みを浮かべて帰り、花穂もテストの解放感から早々に遊びに出かけていった。
部屋の扉がガチャリと閉まり、鍵がかけられる。
先日、妹に乱入された反省を活かし、今日は念には念を入れて鍵を二重に確認した。
外の喧騒が完全に遮断され、濃密な静寂が部屋を満たす。
冬峰さんは部屋に入るなり、学校でかけていた無骨な黒縁眼鏡を外し、机の上にコトンと置いた。
そして、ふうっと深く息を吐き出し、僕のベッドの端に腰を下ろした。
「……やっと、二人きりになれたわ」
その声は、学校での冷たい『氷の令嬢』の面影は微塵もなく、ただ純粋に僕の温もりを求めて甘える、ドロドロに溶けきった少女の響きだった。
「……まさか、十三位を取るなんて思わなかったよ。本当に驚いた」
僕がキャスター付きの椅子に座りながら素直に称賛すると、冬峰さんは立ち上がり、ゆっくりと僕の方へと近づいてきた。
一歩、また一歩。
彼女の甘いシャンプーの香りが、部屋の空気を満たしていく。
「当然よ。私、絶対に負けたくなかったもの」
僕は後ずさりしようとしたが、背中がパソコンデスクにぶつかり、逃げ場を失ってしまった。
「あでっ‼」
「……あなたから、あの権利をもらうために」
冬峰さんは僕の目の前で立ち止まると、スッと両手を伸ばし、僕の首に腕を回してギュッと抱きついてきた。
「っ⁉」
「……約束、覚えてるわよね?」
胸元に顔を押し付けられ、冬峰さんの柔らかな体温と、狂おしいほどに速い心拍数が直接伝わってくる。
制服越しでもわかるほどの熱量。
冬峰さんは僕の胸にすりすりと頬を擦り付け、さらに強く抱きしめてきた。
「冬峰さん……あの、これは……」
「私が勝ったんだから、私があなたにたっぷり罰を与えていいのよね? あなたが日向さんと仲良くしてたことへの罰も込めて」
上目遣いで覗き込んでくる冬峰さんの瞳には、隠しきれない独占欲と、僕に対する重たいほどの愛情が渦巻いていた。
「罰って……具体的に何を……」
僕が震える声で尋ねると、冬峰さんは悪戯っぽく微笑み、僕の耳元にスッと顔を近づけた。
甘く湿った吐息が、僕の鼓膜をくすぐる。
「……目を閉じて」
冬峰さんが、僕の部屋でだけ見せる甘すぎる命令。
それに逆らうことなんてできるはずもなく、僕は言われるがまま、ゆっくりと目を閉じた。
視覚が遮断されたことで、他の感覚が異常なほどに研ぎ澄まされていく。
防音室の無音の世界の中で、衣擦れの音がひどく生々しく響いた。
彼女が僕の膝の上に、ゆっくりと跨るようにして密着してくる気配。
柔らかな重みが僕の太ももに乗せられ、彼女の両腕が僕の背中へと深く回される。
「灰原くん……」
僕の頬を、彼女の熱く湿った吐息が優しく撫でた。
顔が近い。
唇と唇の距離が、もう数センチもないことが気配でわかる。
僕の心臓は口から飛び出しそうなほど激しく鳴り響き、繋がれた手から伝わる彼女の脈動と完全に同調していた。
「私、ずっと……この時を待ってた……」
震える声が耳元を掠め、僕の全身に甘い痺れが走る。
見えないからこそ、次に何が起こるのかという期待と焦燥感が際限なく膨れ上がっていく。
冬峰さんの髪の毛先が僕の頬をくすぐり、ふわりとした柔らかいものが僕の唇の端に微かに触れた。
「冬峰……さん」
「……これが、私からの罰よ。絶対に、逃がさないから」
甘く、切実な宣告。
僕はもう完全に理性を手放し、唇を受け入れようと顎を少しだけ上げた。
距離がゼロになる。
しかし。
――柔らかく温かいものが触れたのは、僕の唇ではなかった。
「……んっ」
ちゅっ、という微かな水音と共に、僕の右頬に、冬峰さんの震える唇がそっと押し当てられたのだ。
ほんの一瞬の、けれど確かな熱を帯びた、不器用なキス。
「……え?」
予想外の感触に僕が目を開けると、そこには耳の先まで茹でダコのように真っ赤に染め、涙目になっている冬峰さんの顔があった。
自分の大胆すぎる行動と、唇を奪う直前で恥ずかしさに耐えきれなくなって逃げてしまった自分自身への羞恥で、完全にパニックに陥っているようだった。
「ひゃああっ‼ ち、違うの‼ 本当はもっとちゃんと……でも、恥ずかしくて……‼」
冬峰さんは両手で顔を覆い隠し、僕の胸元にぐりぐりと頭を押し付けてきた。
先ほどまでの挑発的な態度はどこへやら、完全にキャパシティオーバーを起こしてドロドロに溶けきっている。
「……君から仕掛けてきたんだろうに」
「だって、だってぇ‼ いざとなったら、心臓が爆発しそうになっちゃったんだもの……‼」
「冬峰さん……」
僕が苦笑しながら冬峰さんの華奢な背中をそっと撫でると、彼女はさらに僕の胸に強くしがみついてきた。
「灰原くんのバカっ‼」
カクヨムでも同作品を先行して投稿しております。
先が気になった方はそちらもご覧ください。




