第28話 君が笑ってくれるのなら答えになるから
「でも、どんなに歌っても、カバー曲じゃ私の心は埋まらなかった。綺麗で完成された曲を歌うたびに、自分の空っぽさが浮き彫りになるみたいで……ずっと、息苦しかった」
冬峰さんは僕の方へと顔を上げ、その透き通るような瞳で僕を真っ直ぐに見つめた。
彼女の目が、微かに熱を帯びる。
「そんな時に、ネットであなたの曲を見つけたの」
冬峰さんの指に、きゅっと力が込められた。
「……灰原くんの曲を聴いた時、暗闇の中で、私だけを強く呼んでくれたような気がしたの。私の空っぽな魂を、全部受け止めてくれるって」
冬峰さんは僕のジャージの袖を、祈るように両手で包み込んだ。
彼女の震える体温が、布越しに伝わってくる。
「だから、お願い。……日向さんでも、他の誰でもなく……あなたの隣にいるのは、私だけにして」
その瞬間、僕は初めて、冬峰さんの本当の音に触れた気がした。
「……しないよ」
僕は宙に浮いていた両手をゆっくりと下ろし、冬峰さんの震える背中をそっと包み込んだ。
腕の中にすっぽりと収まる冬峰さんの体は、驚くほど華奢で、そして温かかった。
「僕の曲は、君の歌声がないと完成しない。だから、僕の隣で歌い続けてほしい。……君が、僕にとっての正しい声なんだから」
僕の言葉に、冬峰さんは大きく目を見開き、やがて安心したようにふっと笑みをこぼした。
その笑顔は、薄暗いこの森の中で、何よりも鮮やかに僕の目に焼き付いた。
「……灰原くんのばか。そういうこと言うと、もっと我慢できなくなるじゃない……」
冬峰さんは顔を真っ赤にして僕の胸にすり寄り、僕の背中に腕を回してギュッと強く抱きついてきた。
その体温と甘い香りに包まれながら、彼女は、僕の背中に回していた右手をゆっくりと解き、僕の左手へとそっと伸ばしてきた。
「……灰原くん」
「何?」
「手、繋ぎましょ? なんだか寒いわ」
「……どうぞ」
囁くような声と共に、冬峰さんの白く細い指先が、僕の左手の指と指の間に、ゆっくりと滑り込んできた。
ひんやりとした彼女の肌の感触が、直接伝わってくる。
僕の指を押し広げるようにして、一本一本、隙間を埋めるように深く絡み合っていく。
「冬峰さん……これは?」
そして、手のひら同士がぴたりと重なり合うと、冬峰さんはギュッと強い力を込めて握りしめてきた。
「灰原くんは、私の過去を聞いた。それの《《報い》》を受けなければならない。とは思わない?」
霧の森の静寂の中、二人の体温が直接混ざり合う。
手から伝わってくる冬峰さんの脈動が、僕自身の心拍数を恐ろしいほどの速さで跳ね上げさせていくのがわかった。
「……冬峰さん。これ、誰かに見られたら……」
「見えないわよ。この霧が、私たちを隠してくれているもの。……それに、嫌? 私とこうして手を繋ぐの」
冬峰さんは僕の胸に顔を埋めたまま、上目遣いで僕を覗き込んでくる。
「嫌なわけないだろ。ただ、心臓に悪いって言ってるんだ」
「ふふっ。なら、もっと心臓に悪いこと、しちゃおうかしら」
冬峰さんは繋いだ左手を自分の胸元へと引き寄せ、そのまま自分の心臓の鼓動を僕の手に直接伝えてきた。
柔らかな感触の奥で、トクトクと激しく脈打つ命の音。
冬峰さんの鼓動もまた、僕と同じようにうるさく鳴り響いている。
「……ねえ。私の音、聞こえる?」
「……うん、聞こえるよ。すごく、速い」
「あなたが私をこんな風にしたのよ。……私の心臓も、私の歌も、全部あなたのものなんだから。だから、絶対に手放さないで」
冬峰さんの真っ直ぐな言葉が、霧の空気に溶けていく。
参ったな……何も言うことができない。
僕たちは言葉を失い、ただ繋いだ手の熱と、互いの心臓の音だけを確かめ合うように、深く密着し続けた。
冷たい霧に包まれた森の中で、ここだけが異常なほどの熱を帯びている。
それは、ザクッ、ザクッと、遠くから一人目の落ち葉を踏む足音が聞こえてくるまで。
カクヨムでも同作品を先行して投稿しております。
先が気になった方はそちらもご覧ください。




