第26話 仮面をつけて笑ったまま
「……分かったよ」
「ほんとぉ? なら、証拠写真撮らせて‼ 奏多があたしから離れていかないように、しっかり記録に残しておくんだから!」
「どういう理屈だよ、それ」
苦笑する僕をよそに、花穂はスマートフォンのカメラを起動し、僕の隣にさらにぴったりと身を寄せてきた。
肩が触れ合うどころか、彼女の頭が僕の肩にこてんと乗せられている。
画面の中には、少し強張った顔の僕と、満面の笑みを浮かべる花穂の顔が並んで映っていた。
「ちょっと、もっと笑ってよ奏多ぁ! せっかくの林間学校なんだから!」
「いや、一応仕事中だからな、僕は」
「固い固い! ほら、こっち向いて!」
花穂は強引に僕の頬を指でつつき、無理やり口角を上げさせようとする。
そのまま、彼女は自分の頬を僕の頬にぴたりとすり寄せてきた。
信じられないほどの密着度に、僕の顔は一瞬で沸騰したように熱くなる。
「ちょっ、花穂……!」
「はい、チーズ!」
僕の抗議の声を遮るように、カシャッという大きなシャッター音と共に、フラッシュが焚かれた。
僕と花穂のツーショットが、スマートフォンの画面に収められる。
「あー、ちょっと逆光になっちゃったかな? もう一枚撮るよ!」
「まだ撮るのかよ……」
「あたしが納得いくまで撮るの! はい、チーズ!」
何度もシャッター音が響き、その度に花穂はいろいろなポーズをとって僕にすり寄ってきた。
周囲の視線が痛いどころではなくなってきた頃、ようやく彼女は満足したようにスマートフォンを下ろした。
「うん、これならバッチリ! 奏多、すっごくいい顔してるね!」
花穂は楽しそうに写真のデータを確認し、僕にも画面を見せてくる。
そこには、呆れたように苦笑する僕の肩に顎を乗せ、最高に可愛い笑顔でピースサインをする花穂の姿が写っていた。
確かに、青春の一ページとして切り取れば、これ以上ないほど綺麗に撮れている。
「……あれ?」
しかし、花穂が不意に画面の端に視線を移し、首を傾げた。
「どした?」
「なんか、後ろに誰か写ってる……」
「心霊写真とかだったら勘弁な」
「そういうのじゃないよ……」
花穂がスマートフォンの画面をピンチアウトして、写真の背景部分を拡大した。
僕も何気なくその画面を覗き込む。
写真の奥。
僕たちのいる場所から少し離れた、広場の隅。
うっすらとオレンジ色に染まった霧の中に、ポツンと立つ一つの影が写り込んでいた。
黒いジャージ姿で、こちらをじっと見つめている。
僕は息を呑み、全身の毛穴が粟立つのを感じた。
間違いない、冬峰さんだ。
拡大された画面の中の彼女の視線は、写真越しでもわかるほどに冷たく、そして鋭かった。
いや、冷たいというより、それは絶対零度の『怒り』に近かった。
僕の隣で無邪気に笑い、頬をすり寄せて腕を絡ませている花穂。
そして、それにまんざらでもない様子で苦笑して応えている僕の姿を。
冬峰さんは霧の向こうから、獲物を狙うような、あるいは裏切り者を断罪するような恐ろしい目で、じっと見据えていたのだ。
怖っ……冗談抜きで怖いわ。
「……冬峰さん、こっち見てるね。なんか、すっごく怖い顔してるけど……」
花穂の声が、微かに震えていた。
持ち前の明るさで誰とでも仲良くなれる彼女でさえ、本能的な恐怖を感じるほどの凄まじいオーラが、その小さな写真の背景からヒシヒシと伝わってくる。
「き、気のせい、気のせいだよ! うん、きっと写真写りが悪かっただけだって!」
僕は背筋に滝のような冷たい汗が流れるのを感じながら、必死に裏返った声で平静を装った。
「ほんとかなぁ……。あたし、何か冬峰さんに悪いことした……? もしかして、仕事の邪魔しちゃったから怒ってるのかな」
花穂が少し怯えたように僕の袖をぎゅっと掴んだ。
違う、絶対に違う。
冬峰さんが怒っている理由は、実行委員の仕事なんていう次元の話じゃない。
バスの中で僕の腕を抱きしめて寝言で甘えてきた彼女が、今、他の女子と僕が密着している光景を見せつけられたことに対する、ドロドロとした嫉妬だ。
「た、多分、キャンプファイヤーの仕事の確認で僕を探してたんだと思う‼ ごめん花穂、ちょっと戻るよ! うん、気にしないで!」
「えっ、あ、うん……じゃあ、また後でね。仕事、頑張って!」
「ホント、気にしなくていいから! ごめん」
花穂に見送られながら、僕は逃げるようにその場を離れた。
しかし、写真に写っていた広場の隅の霧の中には、すでに冬峰さんの姿はなかった。
彼女はどこへ行ってしまったのか。
探しに行くべきか、それともこのまま何も見なかったことにして仕事に戻るべきか。
冬峰さん……何を考えているんだ。
激しく葛藤したが、今の冬峰さんに声をかければ、取り返しのつかない修羅場になるような予感がして、僕の足は完全にすくんでしまっていた。
結局、僕は彼女を探すことを諦め、キャンプファイヤーの薪の前に戻った。
山の冷たい空気が、火照っていた僕の体を急速に冷やしていく。
周囲の霧はさらに濃さを増し、数メートル先の景色さえ白く霞ませ始めていた。




