第25話 この時間が永遠に続きますように
飯盒炊飯が終わり、夕方の自由時間。
各々が部屋でくつろいだり、広場で遊んだりしている中、僕は実行委員の仕事として、夜に行われるキャンプファイヤーの準備を確認するために広場の端へと向かっていた。
「奏多ー!」
不意に、背後から明るい声が響いた。
振り返ると、他クラスの花穂が、手を振りながら小走りで駆け寄ってくるのが見えた。
花穂はジャージ姿でも隠しきれない華やかさを持っており、すれ違う他クラスの男子たちが次々と彼女を目で追っている。
太陽のように明るい茶髪が、走るたびにふわりと夕日を反射して揺れていた。
「花穂。そっちのクラスはもう自由時間か?」
「うん! カレー作り、すっごく大変だったよぉ。煙で目が痛くて、あたしずっと泣きっぱなしだったんだから!」
花穂は僕の目の前で立ち止まると、ぷくっと頬を膨らませて抗議するように言った。
その目元は、確かに少しだけ赤くなっているように見える。
「お前は料理下手だもんな。同じ班の人が可哀そうだ」
「あたしだってやればできるもん! でもほんとに目が痛かったんだよ? ほら、見てよ」
そう言って、花穂は僕のジャージの胸ぐらを軽く掴むと、ぐいっと顔を近づけてきた。
突然のことに僕が身を引くより早く、彼女の大きな瞳が、ほんの数センチの距離で僕を見つめ上げてくる。
「ほ、ほんとだ。ちょっと赤いな……こすりすぎたんじゃないのか? 冷やしたほうが……」
「だって痛かったんだもん。……ほら、奏多、フーフーして」
「は?」
「だから、目に息吹きかけてって言ってるの! ゴミが入ってるかもしれないし」
花穂は目を閉じて、無防備に顔を突き出してきた。
幼馴染とはいえ、これはいくらなんでも度が過ぎている。
目を閉じている彼女の長い睫毛が微かに震え、ほんのりと上気した白い頬が夕日に照らされている。
学年で三番目に可愛いと密かに噂されている花穂の、こんなにも無防備な顔を至近距離で見せつけられれば、僕だって一人の男子高校生として平常心ではいられない。
「なんだあいつら……」
「幼馴染の特権かよ……」
「灰原、そこ代われ……!」
周囲を見渡せば、広場で遊んでいた男子たちからの殺意と嫉妬の入り混じった視線が、チクチクと背中に突き刺さるのを感じる。
「ばっ、お前な……ここは学校だぞ。しかも他クラスの奴らもいっぱい居るって言うのに」
「えー、ケチ。昔は転んで泣いてたら、いっつも頭撫でて慰めてくれたくせに」
花穂は少しだけ唇を尖らせて目を開けると、僕のジャージの袖をきゅっと引っ張った。
その甘えるような仕草は、昔から全く変わっていない。
太陽のように明るくて、誰からも好かれる彼女が、僕に対してだけ見せるこの無自覚な好意とスキンシップ。
それにどう対応していいかわからず、僕は視線を泳がせるしかなかった。
「……あの頃と今は違うだろ。お前も立派な女子高生なんだから、もう少し自覚を持て」
「むぅ……奏多の分からず屋。でも、そういうちょっとお兄ちゃんぶるところ、嫌いじゃないけどね」
花穂はくすくすと笑いながら、今度は僕の右腕に自分の両腕を絡ませてきた。
ぎゅっと抱きつくように密着してくる彼女の体温と、柔らかな感触が腕に直接伝わり、僕の心臓がどきりと大きな音を立てて跳ねた。
「お、おい! あんまりくっつくなよ。本当に周りが見てるだろ」
「いいじゃん、幼馴染なんだから! 減るもんじゃないでしょ!」
僕が慌てて腕を引き抜こうとするが、花穂は絶対に離さないとばかりにさらに力を込めてしがみついてくる。
「それに、奏多ったら最近、再開した音楽活動で、あたしと付き合い悪いし? ……これくらい独占させてよ」
花穂のその言葉に、僕は一瞬、心臓を冷たい手で掴まれたような気がして息を呑んだ。
「そりゃ、最近はそうだと思うけど……」
「でしょ? だから今日くらい良いじゃん」
「わ、分かったって……」
僕が冬峰さんと秘密のユニットを組んでいること。
そして僕の日常が、あの圧倒的な才能によって劇的に変わり始めていることを、薄々感じ取っているのだろう。
その不安を打ち消すように、彼女は僕の温もりを確かめるようにすがりついているのかもしれない。
本当なら、花穂にすべてを話してしまいたい。
いや、話すべきだとは思う。
僕が再び音楽に向き合えるようになったのは、冬峰 凛のおかげなのだと。
けれど、僕が音楽を捨てた時、一番近くで涙を流してくれたこの幼馴染に、それを素直に伝えることがどうしてもできなかった。
僕の隣にいるのは自分だと思っていた彼女を、ひどく傷つけてしまう気がしたから……




