第22話 過剰も不足もない
翌朝。
どんよりとした曇り空の下、学校のグラウンドには大型の観光バスが数台並び、一年生の生徒たちがクラスごとに列を作って集まっていた。
色とりどりの私服やジャージに身を包んだ生徒たちの顔には、これから始まる林間学校への期待と興奮が浮かんでいる。
そんな喧騒の中、僕は手にしたバインダーを強く握りしめ、クラスの列の先頭に立っていた。
隣には、同じく実行委員の腕章を付けた冬峰さんが立っている。
彼女は黒を基調とした動きやすいパンツスタイルで、その洗練された着こなしは、まるでファッション誌から抜け出してきたモデルのようだった。
無骨な黒縁眼鏡をかけていても隠しきれない圧倒的な美貌に、他クラスの男子生徒たちからの視線までが彼女に集まっているのがわかる。
「……それじゃあ、点呼を取るぞ。いたら返事してくれ」
僕が声を張り上げると、クラスメイトたちは少しだけざわめきを静めた。
しかし、その視線は僕ではなく、隣に立つ冬峰さんに釘付けになっていた。
無理もない。
あの誰とも関わろうとしない冬峰さんが、クラスの先頭に立ち、実行委員として点呼の紙を持っているのだから。
「一番、相沢」
「はい!」
「二番、石川」
「はい!」
僕が出席番号順に名前を読み上げると、冬峰さんが横でバインダーに挟まれた名簿に素早くチェックを入れていく。
僕が名前を読み終えるのと、彼女がペンでチェックマークを書き込むタイミングは、恐ろしいほどに完璧にシンクロしていた。
一切の言葉を交わすことなく、流れるような連携で点呼が進んでいく。
それは、第一スタジオで何時間も音を重ね、互いの呼吸を完璧に把握している僕たちだからこそできる、阿吽の呼吸だった。
「……二十八番、結城」
「はい、おりますわ」
列の中腹にいた結城さんが、奥の瞳を悪戯っぽく細めて返事をした。
彼女の視線は、僕たちの完璧な連携を面白がっているように見える。
「三十番、渡辺」
「は、はい!」
「はい、灰原くん」
全員の点呼が終わり、僕は冬峰さんからバインダーを受け取って担任の教師に報告に向かった。
「先生、全員揃ってます。欠席はいません」
「おお、そうか。……お前たち、随分と息が合ってるな。正直、冬峰がちゃんと仕事をするか心配だったんだが、杞憂だったみたいだ」
担任が驚いたように目を丸くして言った。
クラスメイトたちも、僕たちの流れるような連携にポカンとしている。
「あいつら、いつの間にあんなに仲良くなったんだ?」
「っていうか、冬峰さん、灰原に合わせて動いてなかったか?」
「マジで……? あの氷の令嬢が、男子と息ぴったりって……」
「実行委員で一緒になっただけだ。茶化すな」
ヒソヒソと交わされるクラスメイトたちのざわめきが耳に届き、僕はサラッと一掃する。
その内心では冷や汗をかいた。
音楽制作で培われたリズム感が、こんなところで裏目に出るとは。
隣を見ると、冬峰さんは周囲のざわめきなど全く気にする様子もなく、ただ涼しい顔で立っていた。
「……ほら、灰原くん。次はバスへの乗車よ。早く指示を出して」
冬峰さんが小声で僕に促す。
その声には、学校行事を利用して僕に堂々と話しかけられることへの、隠しきれない喜びが滲んでいた。
「わ、わかってるよ。……えーと、一班から順に、バスに乗り込んでくれ! 座席はあらかじめ決められた通りだから、間違えないように!」
「「うーい」」
僕が声を張り上げると、生徒たちはぞろぞろとバスへと向かって歩き出した。
生徒たちが続々とバスに乗り込んでいく中、結城さんは列の最後尾付近で、密かに口角を上げていた。
◇◇◇
――遡ること数日前。
栞は、林間学校のしおりを作成する際、クラスのバスの座席表のデータを入手していた。
そして、凛の隣の席が、乗り物酔いをしやすいことで有名な女子生徒であることを真っ先に確認した。
栞はクラス内で一番頼れる女子という自身の絶対的なポジションをフル活用し、行動を開始したのだ。
まず、その女子生徒に自然に近づき、体調を気遣うふりをした。
『バスの座席、後ろの方になってしまって心配ですね。わたくし、酔い止めの薬を多めに持っていきますから、遠慮なく言ってくださいね』
そう言って、相手の不安を優しく引き出す。
案の定、その女子生徒は『後ろの席だと絶対に酔ってしまう』と怯えていた。
そこで栞は、救いの手を差し伸べるふりをして、致命的な一手を打ったのだ。
『それなら、前の方の席の子と代わってもらうのが一番ですわ。……そうだ、実行委員の灰原さんなら、前の方の席ですし、きっと快く代わってくれますよ。当日の朝、わたくしから彼に頼んであげましょうか?』
女子生徒は涙ぐんで栞に感謝した。
栞の狙いは、もちろん凛と灰原さんを隣の席に座らせることだ。
凛が灰原さんの隣に座りたがっているのは明白だったし、少しでも二人の間の『距離感』を縮め、感情の起伏を促すことは、音楽のクオリティ。
――ひいては『Polaris Echo』の作品の質をさらに高めることに繋がると確信していたからだ。
栞にとって、現実の人間関係の操作など、動画のタイムラインを編集してクリップを入れ替えるのと同じくらい容易いことだった。
「……ふふっ。さて、灰原さんはどんな顔をするでしょうか」
栞は誰にも聞こえない声で呟き、優雅な足取りでバスのステップを上った。




