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第19話 アンダンテな判断で

 その瞬間、教室中が水を打ったように静まり返った。


 誰もが自分の耳を疑い、まるで時間が止まったかのような錯覚に陥る。


 やがて、数秒の空白を経て、教室のあちこちから抑えきれないどよめきが波のように広がり始めた。


「……え、嘘だろ? あの冬峰ふゆみねが?」


「マジかよ、当たったのか……」


「委員とか集団行動とか、絶対やらないタイプだと思ってたんだけど」


「っていうか、冬峰ふゆみねさんが誰かと協力して仕事してるとこなんて想像できない……」


 男子生徒たちは信じられないものを見るような目を向け、女子生徒たちはヒソヒソと戸惑いの声を漏らす。


 無理もない。


 誰とも関わろうとしないあの冬峰ふゆみねさんが、クラスをまとめる実行委員という面倒な役職に当たってしまったのだ。


 担任の教師でさえ、あまりの予想外な事態に目を丸くし、教壇の上で固まっていた。


「あー……その、冬峰ふゆみね。本当に、当たり、か?」


 担任が確認するように恐る恐る尋ねるが、冬峰ふゆみねさんは涼しい顔のまま、小さく一度だけ頷いた。


「はい。私がやります」


 その冷たく毅然とした態度に気圧され、担任もそれ以上深く追求することはできなかった。


「……そ、そうか。冬峰ふゆみねがやってくれるなら助かる。よし、じゃあ今年の林間学校の実行委員は、灰原はいばら冬峰ふゆみねに決定だ。放課後、少し残って図書室で打ち合わせをしてくれ」


 担任の言葉で、ようやく異様な空気に包まれたホームルームは締めくくられた。


 しかし、僕の心臓は激しい警鐘を鳴らし続けていた。


 僕と冬峰ふゆみねさんが、二人で実行委員?


 ただでさえ目立つ彼女と一緒に仕事をするとなれば、僕の灰色の高校生活は完全に終わりを迎えてしまう。


 どうしてこんなことになってしまったのか。


 ◇◇◇


 その日の放課後。


 僕と冬峰ふゆみねさんが図書室で向かい合っているその頃。


 同じ校舎の少し離れた場所にある、人気のない空き教室で、結城ゆうき しおりは一人、窓際の席に座ってノートパソコンを開いていた。


「まったく……。あの不器用な令嬢は、本当に手がかかりますわね」


 しおりは誰もいない教室で一人、小さく、けれどとても楽しそうにクスクスと笑い声を漏らした。


 彼女のノートパソコンの画面には、二つのウィンドウが並んで開かれている。


 右側には、プロのクリエイター『ダチA』としての動画編集ソフト。


 そして左側には、林間学校の実行委員が作成すべき『()()()()()()()()』のWordファイルが開かれていた。


 キーボードを叩くしおりの指先は、滑らかで無駄がない。


 表紙のデザイン、タイムスケジュールのレイアウト、持ち物リストの箇条書き。


 面倒な事務作業とされているしおりの原案作りだが、動画編集で培われたしおりの圧倒的なパソコンスキルとデザインセンスにかかれば、ほんの数十分で終わってしまう程度の簡単な作業だった。


「……まさか、あそこであのりんが自ら動くなんて。少し驚きましたわ」


 画面を見つめながら、しおりは先ほどのホームルームでの出来事を思い返していた。


 自分が教師に止められ、実行委員に立候補できなかった瞬間。


 あのままいけば、灰原はいばら さんは、自分でもりんでもない、他の見ず知らずの女子生徒と二人きりで林間学校の打ち合わせをすることになっていた。


 そして、それはりんが許すとも思えない。


 しおりが視線を送った時、りんの瞳には明確な焦燥と、隠しきれない独占欲が浮かんでいた。


 他者との関わりを極端に避け、誰に対しても氷のように冷たい態度をとってきたあのりんが、自ら嘘をついてまで、灰原はいばらさんとの時間をもぎ取ったのだ。


「本当に、彼のことになると、なりふり構わなくなりますね。……ふふっ、良い傾向です」


 しおりはしおりの原案ファイルを上書き保存し、満足げに息をついた。


 彼女にとって、りんは中学時代からの唯一の親友だ。


 他県から引っ越してきて孤立していた自分を、不器用ながらも受け入れてくれた大切な存在。


 だからこそ、りんが『フユ』として歌うことにどれだけ魂を削り、そして灰原はいばらさんの『タラ』としての旋律にどれだけ救われているかを、誰よりも理解している。


「今頃、図書室で二人きり。……絶対に実行委員の仕事なんてしていませんね」


 しおりは窓の外の夕暮れを見つめ、瞳を悪戯っぽく細めた。


 彼らが真面目に林間学校の打ち合わせをするはずがない。


 どうせ、周りに人がいないことを確認して、あの音の編曲について熱く語り合っているに決まっている。


 だからこそ、自分がしおりの原案を完璧に作成しておくことで、二人が誰にも邪魔されずに密会できる時間を作ってあげたのだ。


「さて、わたくしも負けてはいられませんわ。二人の熱に感化されて、動画のインスピレーションがどんどん湧いてきますから」


 しおりはしおりのファイルを閉じ、全画面表示にした動画編集ソフトに向き直った。


 ペンキをぶちまけたような暴力的な色彩と、コマ送りのザラついた質感。


 二人の恋心と音楽の共鳴が深まれば深まるほど、『Polaris(ポラリス) Echo(エコー)』の作品は研ぎ澄まされていく。


 それを裏方として支え、最高の形で世界に届けるのが、しおりの役目だった。

カクヨムでも同作品を先行して投稿しております。

先が気になった方はそちらもご覧ください。

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