第18話 ときめきが弾けていく予感
少しだけ甘い余韻を残した夜の通話から、数日が経過した。
季節は五月下旬から六月へと移り変わろうとしている。
どんよりとした梅雨の気配が少しずつ制服のシャツにまとわりつく中、僕たちの秘密のユニット『Polaris Echo』の活動は、僕の部屋を拠点として秘密裏に、しかし着実に進んでいた。
次回作のデモ音源アレンジ作業。
一曲目とは違う、かなり挑戦的な構成は、僕の制作意欲をかつてないほどに刺激していた。
才能の壁に絶望し、一度は完全に捨て去ったはずの音楽。
それが今、冬峰さんという圧倒的な才能を持つボーカリストと、結城さんという天才的なクリエイターの存在によって、鮮やかな色を伴って僕の日常を塗り替えている。
しかし、そんな放課後や休日の熱狂とは裏腹に、学校での僕たちは徹底して他人のふりを続けていた。
僕がユニットに参加する条件として提示したルールを、冬峰さんは忠実に守っていた。
相変わらず彼女は教室で誰とも関わろうとせず、冷たい視線で周囲を拒絶する『氷の令嬢』のままだ。
男子が勇気を出して話しかけても、視線すら合わせずに冷え切った態度であしらう姿は、僕の部屋で見せる音楽への情熱的な姿や、通話越しに甘えてくる声とはまるで別人のようだった。
だが、机の下で震える僕のスマートフォンの画面には、冬峰さんからのメッセージがひっきりなしに届く。
『フユ:ねえ、昨日のミックス、もう少しギターの歪みを前面に出してみてくれない?』
『フユ:放課後は早く帰ってきてよね。あなたの家で新しいサビの入り方を試したいの』
『フユ:ちょっと、既読になってるのに返信が遅いわよ‼』
『タラ:朝の会が始まるんだよ‼ ちょっとはこっちにも余裕をくれ‼』
教室での無表情からは想像もつかないほどの饒舌ぶりだ。
チラリと窓際の最後列に視線を向けると、冬峰さんは文庫本を開いたまま、表情一つ変えずに机の陰でスマートフォンを操作している。
その凄まじいギャップに、僕は内心でため息をつくしかなかった。
器用だな……
先日までの数々なやり取りを経て、冬峰さんからのメッセージはさらに熱を帯びている気がする。
とはいえ、この『会話禁止ルール』は僕たちを身を守るための防波堤だ。
学年一の美少女として目立つ冬峰さんと関われば、必ずクラスの注目を集めてしまう。
そうなれば、僕も冬峰さんも居心地が悪くなる。
それを避けるためには、これくらい徹底するしかなかったのだ。
そして、六月に入ったある日のホームルーム。
担任の教師が教壇に立ち、パンパンと手を叩いてクラスの注目を集めた。
「えー、先日も予告していた通り、来週に迫った林間学校の実行委員を、今日はクラスの男女一名ずつ決めてもらう」
その言葉が発せられた瞬間、教室中から「えー」という面倒くさそうな声と、重苦しい空気が漂った。
林間学校というイベント自体は誰もが楽しみにしている。
しかし、その裏方となる実行委員となれば話は別だ。
「主な仕事は、しおりの作成と、当日の点呼、それから各プログラムの進行サポートだ。休み時間や放課後も少し作業してもらうことになるが、やりがいのある仕事だぞ」
担任がどれだけフォローを入れても、生徒たちの反応は冷ややかなものだった。
休み時間を削られ、何かと前に立って仕切らなければならない役職など、誰もやりたがらないのが常だ。
「先生。もし誰もやりたがらないのであれば、わたくしが……」
結城さんが立候補しようと、真っ直ぐに手を挙げた。
彼女の自己犠牲精神に溢れた申し出に、女子たちが「助かった」とばかりにぱぁっと顔を明るくした。
しかし、担任の教師は申し訳なさそうな顔で首を横に振った。
「いや、結城。お前はすでにクラス委員をやっているだろう。学校の規定で、林間学校の実行委員はクラス委員以外の生徒から選出しなきゃいけないんだ。お前のその気持ちは非常にありがたいが、今回は座っていてくれ」
「え……? そうでしたか。それは、残念ですわ」
結城さんがゆっくりと席に座り直すと、クラスには再び「誰がババを引くのか」という重苦しい空気が舞い戻った。
結城さんは座る直前、チラリと窓際の最後列
――冬峰さんの席へと視線を送った。
それはまるで、「わたくしは動けなくなりましたが、どうしますか?」と、冬峰さんの行動を促すかのような、切実な視線だった。
「結城以外の立候補は……いないようだな。よし、それじゃあ公平にくじ引きで決めよう」
担任が用意していた、中身の見えない不透明な抽選箱を教卓に置いた。
男子はともかく、女子は結城さんがやる予定だったと初めからそう思い込んでいたため、クラス内にピリッとした緊張感が走る。
出席番号順に、生徒たちが一人ずつ前に出てくじを引いていくことになった。
まずは男子からだ。
前の席の男子たちが次々と箱に手を入れ、折りたたまれた小さな紙片を引いていく。
自席に戻って紙を開き、それが白紙だとわかると、彼らは大げさに胸をなでおろして安堵の息を吐いていた。
「次、灰原」
「はい……」
ついに僕の名前が呼ばれた。
僕は気乗りしない重い足取りで教卓へ向かった。
クラス中の視線が僕に集まっているのを感じるが、誰も僕自身に興味があるわけではなく、ただ「こいつが当たりを引いてくれれば自分は助かる」という身勝手な期待の眼差しだ。
僕は箱の中に手を入れ、指先に触れた紙片を無造作に一つ掴み取った。
どうか、白紙でありますように。
そんな切実な願いを込めながら席に戻り、こっそりと折りたたまれた紙を開いた。
『当たり』
――嘘だろ。
僕は思わず天を仰ぎそうになった。
赤いマジックで乱暴に書かれたその三文字が、僕の視界を絶望的な色に染め上げる。
よりによって、なんでこんなところで不運を発揮してしまうのか。
凡人は運の良さまで凡庸以下ということらしい。
才能もない上に運もないなんて、神様はどこまで僕をコケにすれば気が済むのだろうか。
「……先生、当たりました」
僕が引きつった声で申告すると、担任は大きく頷いた。
「よし、男子は灰原に決まりだな。よろしく頼むぞ」
その瞬間、まだくじを引いていなかった残りの男子たちから「よっしゃあ!」という歓声や、これ見よがしな安堵のため息が漏れた。
僕は引きつった笑いを浮かべて頷くしかなかった。
最悪だ。
これで林間学校の間、ずっと前に出て仕切らなければならない。
目立たずに過ごすという僕の完璧な計画が、見事に崩れ去ってしまった。
「さて、次は女子の番だ。もちろん、結城以外で決めるぞ」
担任が女子の列に箱を回す。
女子たちも一様に嫌そうな顔をしながら、恐る恐る箱の中に手を入れていく。
男子の時と同じように、次々と白紙のくじが引かれていくが、なかなか『当たり』が出ない。
順番が後ろの方へと回っていくにつれて、まだ引いていない女子生徒たちの間に悲壮感が漂い始めた。
「……先生」
教卓から、凛とした冷え切った声が響いた。
クラス中の視線が一斉にそちらへ向く。
それは、普段は自分から一切発言せず、誰の言葉にも耳を貸さない『氷の令嬢』からだった。
「私が、当たったみたい」
冬峰さんは無表情のまま、手の中のくじを見せることもなく、ただ平坦な声でそう告げた。
カクヨムでも同作品を先行して投稿しております。
先が気になった方はそちらもご覧ください。




