第17話 努力のやり方は指南希望
自宅に戻り、静まり返った僕の部屋の椅子に座る。
パソコンのモニターには、まだ未完成の音楽編集ソフトの画面が広がっていた。
椅子に深く腰掛け、大きく息を吐き出した直後、机の上に放り出していたスマートフォンが短い振動音を立てた。
画面を見ると、メッセージアプリの通知が光っている。
『フユ:随分と遅かったわね。どこか寄り道でもしてたの?』
帰宅を待ちわびていたような、それでいて少しだけ棘のあるメッセージだった。
僕は一瞬、どう返信すべきか迷った。
花穂とクレープ屋に行っていただなんて正直に言えば、冬峰さんはどう思うだろうか。
しかし、変に嘘をついて後からバレる方が厄介だ。
『タラ:ごめん。ちょっと幼馴染と駅前で話してて、帰りが遅くなった』
できるだけ感情を交えずに事実だけを送信した。
すると、すぐに『既読』がつき、数秒後に返信が来た。
『フユ:へえ。駅前に新しくできたクレープ屋さんで、ずいぶんと楽しそうだったわね』
――見られていた。
背筋に冷たい汗が流れる。
『タラ:……見てたの?』
『フユ:栞がね。委員会の買い出しの帰りに、あなたと日向さんが並んで歩いているのを見たって言ってたわ。……別に、私にはどうでもいいことだけど』
絶対にどうでもよくない文面だ。
画面の向こうにいる冬峰さんの不機嫌な顔が目に浮かぶようだ。
彼女は学校で僕に干渉することができない。
そのフラストレーションが、今このテキストに滲み出ている。
『タラ:違うんだ。僕がまた音楽をやり始めたってことを彼女に話したら、そのお祝いで奢ってもらっただけで』
『フユ:……ふーん』
このまま文字だけでやり取りするのは危険だと思い、僕は通話ボタンを押した。
数回のコールの後、カチャッと通話が繋がる音がした。
「……なに」
スマートフォンのスピーカーから、ひどく冷たく、不機嫌そうな彼女の声が耳に届いた。
教室で男子をあしらう時の『氷の令嬢』そのものの声色だ。
「怒ってる?」
「別に。灰原くんが放課後に誰とクレープを食べようと、私には関係ないもの。学校では他人のふりをするっていうルールなんだから、灰原くんのプライベートに口出しする権利なんてないわ」
冷たい声色だが、その奥にある拗ねたような響きが、僕の胸をチクリと突いた。
「ごめん。でも、花穂には僕が音楽をやり始めたって伝えただけで、ユニットのこととか、冬峰さんと一緒にやってることなんかは一切言ってない。隠し事をしてるみたいで心苦しいけど……僕にとっての音楽は、今は君とのこれしかないんだから」
必死に弁明する僕の言葉に、電話の向こうで小さく息を呑む音が聞こえた。
「……本当?」
「本当だよ。それに、僕は甘すぎるのは苦手だから、食べたのもツナサラダのクレープだったし」
「……ふふっ。何よそれ、全然お祝いのクレープじゃないじゃない」
冬峰さんの声からようやく刺が抜け、微かな笑い声が聞こえたことに、僕は心底ホッとした。
「甘いのが苦手なんだから仕方ないだろ。……待たせてごめん。今日の分のミックス、終わってるから今からデータを送るよ」
「ええ、お願い。……ねえ、灰原くん」
「なに?」
不意に、冬峰さんの声のトーンが一段低く、そして甘くなった。
「私、甘いものは結構好きなの」
「え?」
「今度……私たちの曲が完成して、次の目標を達成したら。お祝いに、私にも奢ってよね。ツナサラダじゃなくて、一番甘いやつ」
その言葉の破壊力に、僕は一瞬呼吸を忘れた。
顔の半分を黒縁眼鏡で隠したクールな彼女が、僕に対してだけそんなワガママを言ってくる。
その事実が、僕の理性をどうしようもなく揺さぶってくるのだ。
本当にズルい。
「……わかった。約束するよ」
「ふふ、言質は取ったからね。……さあ、ミックスのデータ送って。早くあなたの音が聴きたいわ」
「うん、今送る」
パソコンを操作し、調整を終えた音源データを共有フォルダにアップロードする。
数秒後、冬峰さんがそれを受け取った音がした。
「……再生するわね」
電話越しの静寂。
やがて、冬峰さんのイヤホンから漏れ聞こえる微かな音が、僕の耳にも届いた。
歪んだギターと、地声で張り上げる彼女の痛切なボーカル。
前回の『Rewrite』とは全く違う、ひどく泥臭くて、感情をむき出しにした不器用な旋律だ。
「……すごい」
曲が終わると、冬峰さんが深い溜息とともに呟いた。
「ギターの歪みが、私の声を押し潰すんじゃなくて、一緒に燃え上がってるみたい。すごくヒリヒリして、痛くて……でも、これ以上ないくらい最高だわ」
「良かった。君の提案通り、キーを下げずに地声で張り上げてもらったのが正解だったよ。あの声の掠れ具合が、曲の焦燥感を何倍にも引き上げてる」
「ふふっ。やっぱり、私の見込んだ通りね。あなたの音は、私の声を一番綺麗に、そして一番残酷に引き出してくれるわ」
電話越しに伝わってくる冬峰さんの熱に当てられ、僕の心拍数も自然と上がっていく。
夕方の公園で花穂と一緒にいた時に感じた罪悪感は、いつの間にかすっかり消え去っていた。
才能のない僕と、圧倒的な才能を持つ冬峰さん。
恋愛感情なんていう不確かなものよりもずっと強固な、『音楽』という絶対に嘘をつかない絆で、僕たちは確かに繋がっている。
「ねえ、灰原くん。次のサビの入り方なんだけど……」
そこからは、いつものように時間を忘れて音楽の話に没頭した。
カクヨムでも同作品を先行して投稿しております。
先が気になった方はそちらもご覧ください。




